第10話 女神 ②
1通の投書によって1年B組を調査することになったつぼみは、1年生全体に要望調査を行うことにした。
その依頼は学年主任に特に不審に思われることなく承諾され、次の日には実際にクラスを訪れることになった。
高等部は1学年にA組からE組までの5つのクラスがあり、各クラス40人で1学年は200人である。
各クラスを訪ねるのは、つぼみ全員で行ってしまうと圧迫感が強いと思われることから、2人1組で訪ねることにした。
2人にしたのは、1人よりも複数でいた方がそれぞれ違うことに気付けるだろうと思ったからである。
「優希さんと翔平がここまで急いで準備したのは、あの投書が切羽詰まったものだったから?」
1年生の校舎へ向かっている途中である。
今は他の学年はホームルーム中のため、校舎内は静かである。
つぼみの訪問は、混乱を避けるためにホームルームの時間を割いてもらったのだ。
晴と雫石は、問題のB組に向かっていた。
人当たりの穏やかな2人なら相手を委縮させることもないだろうという翔平の判断である。他のクラスには、翔平たちが向かっている。
「それもあるけれど、投書が告発のような内容だからという理由が大きいわね。クラスメイトにばれたくないということは、ばれたら何か問題があるのかもしれないわ。それに、投書をした生徒に何かないとも限らないもの。B組で何が起きているのかは分からないけれど、できるだけ早く解決した方がいいと思ったの」
雫石は、ふふっと笑う。
「それと、私のことは雫石って呼んでくれると嬉しいわ」
晴は少し驚いた。
雫石はその上品でとっつきにくさを与えがちな見た目とは違い、実際はもっと接しやすい女の子のようだ。
「じゃあ、遠慮なく雫石って呼ばせてもらうよ」
「嬉しいわ」
そんなことを話していると、問題のB組の教室の前に着いた。
つぼみが来ることが知らされているらしく、そわそわとした空気が廊下まで伝わってくる。
「それじゃあ、打ち合わせ通りにいきましょう」
雫石は晴に微笑みかけると、教室のドアを開けた。
その瞬間、地が揺れたような歓声のような雄たけびのような悲鳴のようなものが混ざったものが2人の耳を駆け抜けた。
『これ…B組に来るの、私たちでよかったのかしら』
予想以上の反応に、ちゃんと調査ができるか心配になってきた雫石だった。
しかし耳を澄ませてみると少し離れたところから似たような歓声が聞こえるあたり、他のクラスでも似たような現象が起こっているらしい。
若い女性の教師が生徒を落ち着かせると、やっと話が通じそうなくらい静かになる。
雫石と晴は生徒たちと向い合うように立った。
「つぼみの牡丹、優希雫石です。今回はお時間をいただきありがとうございます。先生からお話を伺っていると思いますが、皆さんの学校生活がより快適なものとなるよう、要望調査を行いたいと思います。ご協力、よろしくお願いします」
「桔梗の周防晴です。困ったことやこうしてほしいという願いがあれば、遠慮なく要望を出してください。つぼみは皆さんのためなら力を惜しみません」
わぁっとまた歓声が上がる。この要望調査は生徒たちにも好感触のようだ。
「それでは、プリントを配りますので記入をよろしくお願いします。その間、私と周防が教室をまわりますので何か質問があれば聞いてください」
今度は、キャーという悲鳴に近い声が上がる。
今代のつぼみの中でも特に容姿が優れた2人が近くに来るとあって、男女ともに興奮しているようだった。
雫石と晴でプリントを配り、その後は生徒の様子を観察しながら教室の中をまわった。
今のところクラスに変わった様子はない。
つぼみに対する少し過剰とも言える反応は、入学したばかりということを考えればそこまでおかしくはない。
静華は内部進学の生徒が多いものの、高等部からは外部からの入学者も増える。憧れのつぼみを近くで初めて見る生徒も多いのだろう。
そんな熱烈な視線を受けながら、雫石は生徒を1人1人観察していた。
この中に、投書をしてきた女子がいるはずなのである。
今この時間でその女子を見つけ出さなければならない。そのためのカモフラージュの要望調査なのである。
しかし、要望調査自体も生徒の声を聞く手段として大切なものである。
雫石は緊張している生徒に微笑みかけたり優しく話しかけてみたり、何か不慣れなことはないかと聞いてまわった。
晴も雫石と同じく生徒たちの間を歩きまわっているが、生徒からの熱視線にそろそろ耐えきれなくなってきたようである。
そろそろ潮時かと考え、プリントを集めようとした時だった。
ちょうど通り過ぎた生徒の机の上を見て、雫石はその生徒に気付かれないようにさっと観察すると、すぐに視線を戻して晴に微笑みかけた。
「そろそろ、プリントを集めましょうか」
晴はその言葉の意味することが分かったようで、晴れやかな笑顔で頷く。
それを見た女子たちは、気を失いそうになっていた。
「佐久間さん。お客さんよ」
クラスメイトに呼ばれて教室を出て廊下まで行くと、少し年上の女子が立っていた。
漆黒の黒髪を背中に流し、焦げ茶色の瞳が覗く目は見惚れるほどまつ毛が長い。
肌は陶器のように白く、制服の上からでもウエストが細いのが分かる。
深緑のスカートから伸びる足は羨ましいほど細くて長かった。
同じ空間にいるのもためらわれるほどの美少女である。
「佐久間さん?」
「あ、はい」
呼びかけられて、目が覚めたように返事をした。
あまりに美少女すぎて見惚れていたのだ。
それは自分だけではないようで、教室の中からいくつもの視線を感じる。
「ちょっといいかな」
「えっと…何のご用でしょう」
この美少女は恐らく上級生である。
進学したばかりだというのに、上級生に呼び出される心当たりはない。
「古文の先生があなたを呼んでて」
そう言って美少女は、他のクラスメイトには見えないようにあるものを見せた。
それを見て目を見開いたが、後ろから見られていることを思い出し、動揺を覚られないように自分を落ち着かせた。
「来てくれるかな」
「…はい。分かりました」
美少女について一緒に歩いていると、周囲の生徒は美少女の美しさに釘付けになっているようだった。
あれは誰だと囁く声が聞こえ、男子のほとんどがぽーっと顔を赤らめて目を離せないでいる。
改めて見ると、歩いているだけでも所作の美しさが分かる人だった。
頭の先から指先まで品に溢れていて、かなりの良家のお嬢様だろうと思った。
しかしそのまま歩いているとだんだん人気がなくなり、ついにはどこだか分からない校舎の外れまで来てしまった。
「あの…どこまで行くんですか?」
尋ねても、美少女は何も答えずスタスタと歩いていくので、ついて行くしかなかった。
少しすると、やっと着いたらしく足を止めた。
扉を開けて入っていったのは、空き教室のようだった。
カーテンが閉まっているのか、少し薄暗い。
あれを見せられたのでここまでついて来てしまったが、ここまで人気のないところに来ると本当について来て大丈夫だったのかと不安になる。
そもそも、この美少女が何者なのか分からない。彼らとどんな関係があるのか。
「あの…」
やはり教室に戻ろうかと声をかけた時、部屋の中にいる人物が目に入った。
「こんにちは。先ほどぶりね」
そう言って美しく微笑んでいるのは、つぼみの牡丹である優希雫石である。
その隣には、桔梗の周防晴もいる。
2人を見てほっとした。自分の声は、つぼみに届いていたのだ。
「手の込んだ呼び方をしてごめんなさいね。私たちがあなたを呼んだことを、周囲に知られない方が良いのだろうと思って」
「ありがとうございます。あの…それで、この方は…?」
自分を呼びに来た美少女は、さっきまでの雰囲気とは打って変わって何故か不機嫌そうに腕を組んで壁に寄りかかっている。
「私たちの関係者よ。安心して」
『関係者…?』
誰かは分からないが、つぼみ本人が大丈夫だと言っているのだから信用できる人なのだろう。
「あまり長い時間話しているとクラスメイトに不審に思われるかもしれないから、さっそく投書の内容について教えてもらえるかしら」
「あの、その前に…どうして投書したのが私だと分かったんですか?」
投書に名前は書いていない。ただ1年B組とだけ書いた。
40人いるうちから、どうして自分だと分かったのか。
先ほど自分を呼びに来た美少女が自分だけに見えるように見せたのは、自分の書いた投書だった。だから、つぼみが自分を呼んでいるのだと思ってついてきたのだ。
「アンケートを書いてもらっている時に、投書と同じ筆跡の子を探したの」
「あの時に…?」
確かに、あの時自分の側を優希雫石が通った。
美少女過ぎて、同性ながら緊張したのを覚えている。
「でも私、アンケートには名前しか書いてなかったんですけど…」
「えぇ。アンケートに記入した文字があればもっと分かりやすかったのだけれど、念のために名前にふりがなを振るような様式にしておいて正解だったわ。それに、あなたの名前が佐久間さんだったことも助かったわ」
「?」
自分の名前がどう関係するのだろうか。
何も分かっていない私に気付いたのか、周防晴が優しく微笑んだ。
「あなたが書いた投書の「クラスの問題を解決してください。お願いします」っていう文章に、ひらがなで「さ・く・ま」が含まれるんだよ」
言われてみれば確かにそうである。
それだけで分かったのかと驚いていると、もっと驚くことを言われた。
「同じ文字でなくても筆跡は見分けられるけれど、やっぱり正確性は劣るの。偶然とはいえ、助かったわ」
自分なんて同じ文字でも見分けるのが難しいのに、つぼみともなればそれが分かるらしい。
「それでは、本題に入りましょうか」
優希雫石にそう言われ、自分がここにいる理由を思い出した。
本当につぼみが動いてくれるかは半信半疑だったが、一縷の望みをかけて投書した。
そして、つぼみはこうやって動いてくれている。
あんな曖昧な投書だったのに、自分までたどり着いてくれた。
それが、とても嬉しかった。
そんな人たちにちゃんと応えたくて、緊張しながらも体にぐっと力を入れた。
「クラスで…いじめが起きているんです」
「…いじめ?」
女子生徒の一言で、晴の表情が少し曇る。
「あなたは大丈夫?」
雫石の優しい声に、女子生徒は首を縦に振る。
「私はまだ大丈夫です。私は高等部からの入学だし、家もそんなに有名じゃないので、多分目に入ってないんだと思います。でも、他の子は嫌がらせをされたり、陰口を言われたり、のけ者にされている子もいて…。酷い時は制服を汚されたり、転ばされたりされてるみたいで…」
「先生は気付いているの?」
「いいえ。誰も言ってないし、気付いてもいないと思います。私は一度先生に言った方がいいと思ったんですけど、内部生の子が静華学園の教師はそういうことでは動いてくれないって言っていて…」
雫石も晴も、それは否定しなかった。
静華学園の特に高等部では、何か問題があればつぼみが解決するという体制のせいで、教師の働きは学業に重きを置いている。
生徒同士のいざこざやもめ事には教師は頭を突っ込まないのだ。
それは静華学園に通う生徒のほとんどが親に大企業の社長や名家の当主など力を持った人間ばかりで、その子供の問題に立ち入ると親の存在により学園内の問題が外にも影響が出てしまい、教師の立場が悪くなるという理由もある。
そして一番の理由は、静華学園が実力主義だからだろう。
何か問題があっても、自分たちで何とかする。
大人の力が必要な時も、その力を借りれるかどうかは自分の力量次第なのだ。
だから、学園にいる大人は自分たちから手を貸さない。
将来、社会のトップに立つために相応しい者だけが残っていくのだ。
静華学園に、弱者の居場所はない。
しかし、つぼみは学園のために存在する。
そこに所属する生徒を守ることも、つぼみの役目である。
「そのいじめに関わっているのは、複数人かしら」
「取り巻きみたいな人たちはいますけど、基本は1人です」
「いつ頃からあったのか、分かる?」
「入学してすぐです」
「その生徒は、内部生なのかしら」
「はい。クラスメイトがそう言ってました」
「そうなのね。いじめが起きているということは、クラスの雰囲気もあまりよくないのかしら」
「そうですね…」
思い出したのか、女子生徒の表情も少し暗くなる。
「言い方は悪いかもしれないけれど、そのいじめの現場を見ても、クラスメイトは見て見ぬふりなのかしら」
「みんな、関わりたくないんだと思います。いじめの標的が自分になったら嫌だし…。私も怖かったんですけど、どうにかしなきゃと思って」
「それで、つぼみに投書したんだね」
「あ、その、は、はい」
晴に話しかけられると思っていなかったのか、少し顔を赤くして頷いている。
「でも、私、自分の名前も書けなくて、意気地がなくて…」
「そんなことないよ。投書しただけでも、すごい勇気だよ」
「あ、ありがとうございます…」
女子生徒は恥ずかし気に俯いている。
雫石は時計を確認した。
「そろそろ戻らないと不審に思われてしまうわね」
あまり長い時間話しているわけにはいかない。
「大切なことを聞いていなかったわ。いじめをしている生徒の名前を、教えてくれるかしら」
女子生徒は、俯いたまま小さく口を開く。
「その人の、名前は――」
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