第8話 さくら ⑤


「「お疲れー、晴」」


「2人もお疲れ」

「ごめんね、長引いちゃって」

「向こう全国常連ダブルスでさぁ。意外と強かったんだよね」

「でも、2人が勝ったんだよね」


ふふん、と2人とも誇らしげに笑う。


「僕ら、けっこう運動神経いいんだよね」

「それに、双子の僕らにダブルスで勝とうなんて100年早いよー」

「僕らなんて掛け声なしで意志疎通できちゃうもんねー」


1戦目が卑怯な手で引き分けに持ち込まれたせいか、2人とも勝てて嬉しそうである。


「2人が勝ったって知らせを受けたから、翔平に言われた通り負けて来たよ」

「悪いな。わざと負けてもらって」


晴は首を横に振った。


「どっちにしろ、あの人相手にはおれじゃ勝てなかった。2人の結果が出るまで勝負を引っ張るので精一杯だったよ」

「テニスで勝てば1勝1引き分けで、どこかで負けとかないと最初の目的を果たせないからな」


つぼみの目標は、善戦して引き分けか勝ち越しての勝利である。

1戦目が引き分けとなった以上、他の4戦で勝負を決めることになる。



もしチェスの相手が晴より弱く、テニスも勝った場合、4戦目と5戦目の純と翔平が負けなくてはならなくなり、運動神経の良い2人が負けるという手抜きを疑われかねない結果になるのだ。

それを避けるために、晴にはテニスの勝敗が決まってから勝負を決めてもらうということを事前に話しており、テニスの勝敗を窓の外から知らせる約束をしていたのだ。



晴がチェス部の部室の窓から見たのは、木の上でブイサインをつくっている純だった。

翔平に頼まれたのだろうが、ふてくされながらやっていたのでつい笑ってしまった。

瞬きした瞬間には消えていたので、チェス部の部長は何もない窓の外を見て笑う晴を不思議に思っただろう。


「これで1勝1敗1引き分け。残るは弓道と柔道の対決だな」


翔平はちらりと純を見た。


『引き分けにするには俺か純が負けないといけないが…こいつがわざと負けるわけがないよな』


純の持つ辞書に「負ける」という言葉はないだろう。



そして翔平の予想通り、純は弓道勝負で「圧勝」という形で勝利したのだった。




「あの弓道部の人、確かこの前の大会で全国3位だったはずだよ」

「さすが純だねぇ」


双子は改めて純の凄さを目の当りにした。


相手も強かったはずなのだが、応援する間もなく全ての矢を的のど真ん中に当ててきた純は、審判が勝敗を決めるのも待たずに帰ってきた。


「僕、1本目以外の全部の矢が継ぎ矢したとこ初めて見たよ」

「僕も。矢が繋がって1本になってたよね」


継ぎ矢とは、先に射た矢を次に射た矢が打ち抜くことである。

直径1センチメートルもない矢の後部を狙ってあてるなどほぼ奇跡に近いのだが、純は射った矢を全部その矢の後部にあてたのである。

的中どころの騒ぎではない。


「でも、これで2勝1敗1引き分け。最後の勝負で勝てば僕らの勝利。負けても引き分けだね」

「まぁ、相手はあの鬼堂猛だけど…」

「その人、そんなに強いの?」

「強いってもんじゃないよ。中等部の頃から試合では負けなしなんだから」

「出た試合では必ず優勝して帰ってくるんだよね。常に全国1位。日本代表の声もかかってるんだって」

「へぇ…すごい人なんだね。でも、翔平も強いんだよね?」


晴は実際に見たわけではないが、雫石がそう言っていたのを思い出した。


「うん。始業式の日に何回か襲われたけど、全部撃退してたもんね」

「それに、体育祭では毎年活躍してるし」


双子は、体育館の真ん中で向かい合っている2人を眺めた。


「「どっちが強いんだろうねぇ~」」



「やっと勝負ができるな、龍谷翔平」

「やっとと言われる覚えはないんだが…」


何となく目の敵にされている翔平だが、翔平本人にそんな覚えはない。


「俺は、ずっとお前と勝負をしたいと思っていたんだ」

「何故だ?」

「体育祭でも活躍し、運動神経の良いお前が、何故部活に入らない?」

「それは、1つの部をひいきにすることに――」

「御託はいい」


鬼堂は、ふんっと鼻をならす。


「見ていて分かる。それは本当の理由ではないだろう」


翔平はちょっと眉間にシワを寄せただけで、沈黙のままそれを返した。


「お前のような奴がそんな小さなことを気にするはずがない。お前は俺と似ているからな」


何故か得意げな鬼堂に、翔平はげんなりした。


「…俺の何を知っていてそう言っているのかは分からないが、やめてくれ」

「まぁいい。とにかく、俺が勝ったらその理由を教えてもらうからな」

「俺に拒否権はないのか」

「教えたくなかったら勝つことだな!」


さぁ勝負だと言わんばかりに鬼堂は構え出したので、翔平も構えることにした。



全国1位というだけあって、構えに隙がない。迫力も十分だった。

身長は翔平と同じくらいだろうが、鬼堂の方が体重も筋肉量も多いだろう。一回りは大きいように感じる。

その体重にしては足さばきは素早く、身軽さが窺える。

翔平の隙を淡々と狙う姿は、野生の獣のそれのようだった。


『負けなしと聞いたが…かなりの練習を積んでるな』


洗練された一挙一動からそれが窺える。


鬼堂も天から才を与えられた側の人間だろう。しかし、それらの人間には2つの種類が存在する。

たゆまぬ努力がその才を支えている人間と、その努力の必要がない人間だ。

鬼堂は前者で、後者は翔平の知る限りただ1人である。


『努力をしても敵わない存在というのは、確かにいるものだ』


翔平の場合、その存在は幼い頃から隣にいた。

勉強でも勝てなかった。運動でも勝てなかった。音楽でも、美術でも、記憶力でも、勝てたことはなかった。


『そんな存在が近くにいれば…』


鬼堂をふと見た時、その肩越しに純が立っているのが見えた。



いつも通りの無表情で、翔平の勝負を眺めている。


その時、純がふっと手を動かした。

つい視線で追うと、純は人差し指で上を指差した。


「?」


何かあるのかと思って思わず上を見そうになった時、頭の中がぱっと晴れた。


『そうか。あの時…』


「隙あり!」


翔平が視線を外したことでできたほんの少しの隙を、鬼堂は見逃さなかった。

すかさず翔平の肩あたりの胴着を掴み、バランスを崩そうとする。

そのまま足技をかけて技に持ち込もうとした鬼堂だったが、翔平はそれを逆手にとって逆に鬼堂の足を絡め、そのままの勢いで素早く背負い投げをした。


「……!」


一瞬のうちに攻勢を逆転されて床に投げられた鬼堂は、仰向けになりながら呆然としていた。

気付いたら天井が上にあった。背中が床についていた。自分は負けていた。


『そんな…馬鹿な…』


昔から、負けたことはなかった。どんなに強敵でも、自分は勝ってきた。

それが、負けた。


背中をついて初めて見上げる天井に、ただただ呆然としたまま動けなかった。


「さっきの話だが…」


翔平は胴着を直しながら何気なく口を開いた。


「俺が何で部活に入らないかだが…努力しても敵わない相手がいることを知ってるからだな」

「……どういうことだ?」

「どれだけ努力をしても勝てない相手がいるのに、他の誰かに勝っても嬉しくはないだろ」


部活に入れば、どこかで他人と比べられることになる。そこでは少なからず、勝ち負けが存在する。

勝っても、負けても、嬉しくはない。誰かと比べられても、嬉しくはない。


嬉しかったのは、一緒に庭を走っていて追いついた時。

同じ高さまで木登りができた時。どこかに隠れてしまったのを見つけた時。



「悪いが、俺はあんたたちに興味はない。俺が追い付きたいと願うのは、昔からただ1人だけなんだ」


鬼堂は翔平の表情を見てどこか納得したように笑うと、そうか、と言って目を閉じた。




部活連対つぼみの勝負は、3勝1敗1引き分けでつぼみの勝利となった。

つぼみに選ばれた者としての威信を守れた結果である。

それでも部活連側の生徒の健闘を称える声も多く、つぼみ相手にここまで戦えたということで静華学園の部活の強さを再認識した生徒も多いようだった。


「お疲れ~、翔平」

「全国1位を瞬殺だったねー」

「さすが翔平くんね」

「でも、途中一瞬意識逸れたとこあったよね」

「そうそう。あれ、どうしたの?」


翔平が試合中に意識が一瞬逸れたことに双子には気付いていたようで、翔平は純をじろりと睨んだ。


「勝負中じゃなくてもいいだろ」

「あれくらいで意識逸らす方が悪い」

「あのなぁ…」


翔平は呆れてため息をついた。


「まぁ、おかげであの時のことを思い出したけどな」


11年前。

桜が舞い散る中で、翔平は1人の少女と出会った。

桜並木の中にぽつんと1人で立っているその少女が気になって、翔平は名前を尋ねた。

少女は何も答えなかった。その代わりに、ただ上を指差したのだ。


少女の上には、満開の桜があった。

翔平がその桜に目を奪われている間に、いつのまにか少女は消えていた。



「結局、名前教えてもらってなかったな」

「教えたでしょ。指差して」

「それだけで分かるか。それに桜だったら、普通下の名前だと思うだろ」

「わたしはちゃんと教えた。分からない方が悪い」


そう言って、純はふふっと、いたずらが成功した子供のように笑った。

小さな花がほころんだような、微かな笑みだった。


それを見ていた晴は驚いた。


「…櫻さんって、笑うんだね」


出会ってからずっと無表情で面倒くさがりの印象だったので、笑う姿が想像できなかったのだ。


「2人って仲良いよね」

「そうそう。遠慮がない感じ」


晴と同じように純の笑顔に驚いている双子の言葉に、雫石は面白そうに微笑む。


「初等部1年生の時からずっと一緒だから。幼馴染なの」



4人の話が聞こえていないのか、2人はまだ言い合いをしている。


「お前、絶対名前を教えるのが面倒くさかっただけだろ」

「昔のことをいちいちうるさい。忘れてたくせに」

「お前が面倒くさがらずにいれば、俺は思い出すのにここまで苦労してないんだよ。それに、お前はどうせ覚えてたんだろ」


純の記憶力の良さは翔平が一番よく知っている。純が忘れるわけがない。

純は面白そうに笑うと、今度は翔平に向けて指を差した。


「わたしに頼りきりじゃだめなんでしょ?」


『…見透かされてたのか』


確かに、自分もつぼみの1人なのだからいつも純に頼りきりではいけないと思い、今回の勝負に挑んだ。しかし、気付かれていたとは思わなかった。


『やっぱり、純には敵わないな』



勉強も、運動も、音楽、美術も、記憶力も、何一つ勝てたことはない。

それでも、一緒に庭を駆け回るのは楽しいし、一緒に高いところに登るのは楽しい。

どこかに隠れてしまっても、見つけられたら嬉しい。



窓の外を見ると、あの日と同じ、美しい桜が舞い散っていた。

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