天上の青を纏いしきみと

クララ

第1話 ボス、それは冗談ですよね?

 あなたの全てを受け継ぎたい。


 そんな望みが叶うわけはない。相手は途方もなく特別な人。何もかも手の届かぬ先にある憧れ。

 だけど私は今の自分を誇れる。全てを教え込まれた、叩き込まれた、愛と拳とで。命をかけろと、後悔するなと。ギリギリで生き延びる戦地に幾度となく放り込まれた。

 

 けれど本当は、誰よりも私のことを心配してくれた人。この世界に生きることを迷うばかりだった私を導いてくれた人。泣き叫び、暴れる私をただただ抱きしめてくれた人。

 大きな筋肉が震えて怖がって、あなたの心を伝えてくれた日、私はあなたの奥の奥に触れたのを感じた。あなたがあえて見せなかったものを、知ることができた。そしてそれは、決して揺るがない絆となった。

 あの瞬間、私は覚悟を決めたのだと思う。生きようと。あなたと共に生きたいのだと、心から望んだ。

 

 だから笑ってこの任務を完了させよう。お前がいてくれて良かったと褒めてもらおう。現役を引退しようとしているあなたと、愛情とは何かをようやく知った私が、生涯で一度だけ組む。それはきっと永遠の記憶に残る相棒バディだ。




 総督府に戻ったボスが急ぎ私を呼び出した。旅行はどうだったのかと問う暇もなく告げられた一言に驚きが隠せない。


(ちょっと、ちょっと。それ、第一線も第一線。ボス、本気なの?)


「ああ、本気だぞ。俺とお前で乗り込む。その組み合わせが一番いい。問題はないだろう?」


 心の声はダダ漏れだったのか。涼しい顔で上司命令を発動する人に、私は大きく息を吐き出し、しぶしぶ口を開いた。


「了解しました」

「さすがだな、ティナ。腹が据わっている」

「この状態のボスに何を言っても仕方がないことは身を以て知ってますから。諦めが肝心だということも」


 せめての抵抗にと、半眼でねめつけるようにボスを見やれば、そんな私に機嫌を悪くすることなく、いや、逆にそんな様子を楽しむが如く、ボスは豪快に笑い声をあげた。


「そうだ、ティナ。勝利を得るには突き進むだけじゃない。引き際も大事だってことだな」

「その一言が今回の作戦に必要かどうはさておき、肝に命じておきます」


 嫌味たっぷりに返事をし、手渡されたファイルに目を通した私だったけれど、並んだ記号にはっとして顔あげた。ボスは涼しい顔のまま、続きを読めと顎で私を促す。

 少佐から手ほどきを受けたばかりの解読方法。まさかこんなにも早く、実際のものにお目にかかるとは。となるこれはフェルナンド中尉がらみの案件か……。


「この部屋のセキュリティに漏れはないからはっきり言っておく。それはまちがいない情報だ。これ以上ないほどの獲物だな。フェルが絡む組織は、どうやら思った以上に奥が深いらしい。売られた、つまらない喧嘩だとばかり思っていたが、これはこれは……とんだ代物だったな。人身売買、闇オークション。会場に乗り込むぞ、ティナ」


 意気揚々と宣言したボスは、ファイルを片手にしたままプルプルと震える私に怪訝げな顔をする。


「どうした? 納得のいかないところがあったか?」

「大ありです。なぜです……」

「ん?」

「なぜ、私とボスなんですか?」

「それはあれ。おじさまと令嬢の組み合わせ、だからだ」

「はあ?」


 一応は上司である。その反応はどうかと思いながらも……耐えられなかった。カップルで会場入りするのが必要条件だとして、どうしてそこがおじさまと令嬢になる。おばさまと若い愛人でも、年の近い二人でも、なんだってあるではないか。


「ロブがな、譲らないんだ。だがあいつの作戦に勝るものはないからな」


 私はガックリとうなだれた。ロバート・ハリソン少佐。ボスの右腕。彼以上に切れるものはこの総督府にはなし。しかし天下一品の狸。


(やっぱりそうか、少佐の差し金か! これは絶対、楽しんでるわ。ニヤニヤしながら作ったのよ。あの狸親父!)


「そうそう、ティナ。悪いがあいつにはうまく言っておいてくれよ。まあ、ロブがもう手を回しているとは思うがな」

「あいつ? ああ、はい、わかりました。で、コードネームは」

「倒錯した関係!」

「はあ?」


 今日二度目の大いなる疑問が声になる。詰め寄り、ボスの綺麗なタイを握りしめなかっただけでも褒めてもらいたい。私は常備必須の仮面を引き剥がし、ギリギリと歯噛みした。


「……それでおじさまと令嬢ですか……倒錯したとか、それ、クレーム来ますよ。恋に年齢はないんですからね」


 どうにか感情を抑え込み、それでもちくりと言ってやったはずが、ボスはニヤリと笑った。


「まあ、そうだな。誰かを愛することには年齢も性別もあったもんじゃない。落ちた時には、ただもうガツンと持っていかれて、とことんハマるだけだな」

「ボス……言わんとすることはよくわかりますが、それはそれでちょっと解釈に困ります」

「そうか? まあ、好きなようにとっておけ」

 

 なんだか明後日の方向に展開し始めた会話。少佐もボスも……、この人たちを相手に本気になってはいけないのだと我に返る。それでもふと、ボスの言葉に思うことがあった私は聞いてみることにした。ずいぶんと直球だとは思ったけれど、どう逆立ちしても、狸親父たちに敵うわけはないのだから、こういう時は素直が一番だ。


「そういえばボス、持ち帰った例のサンプル、あれは使うんですか?」

「まさか!」

「でもそうすれば……」

「おいおい、あの悪魔みたい天使みたいなやつを? やめておけ、本人にとっても世界にとっても大迷惑でしかない。あれは俺が墓場に持っていくさ。……誰にもやらん」

「そうですか、わかりました」


 頷きながら私は内心でうっすらと笑った。最後の一言がボスの本音だ。天才中尉のことは、何があっても離さないってわけだ。それが聞けてよかった。


「それはさておき、ティナ、抜かるなよ。ずっとお預けをくらってきて、俺はな、退屈してたんだよ。体がなまってる。ちょっと運動でもしないとやってられないな」

「ボス、これはあくまでも囮捜査で、暴れるなんて指示は出てません」

「あ? 何言ってんだ、ティナ。指示を出すのは俺だぞ。俺がいいって言ってるんだ。ああ、もちろんお前も思いっきりやっていいぞ」


 そうだった、総指揮官はボスだった。この人が総督。単身で前線に乗り込むヘッドなどどこを探してもいないだろうが、これが私たちのボスなのだ。向かう所敵なし、鬼神のごとし。けれど私だって一言くらいはお見舞いしたい。


「……嫌です。私の役割は令嬢なんですよね。それもかどわかされた儚い令嬢? とことんそれでいきましょう。血を見たら卒倒する設定とか、体が弱い設定とか、追加してもらえますか?」

「ティナ、どうした、臍を曲げるな。そこは頼むよ。俺にも発散させてくれ。一緒にガンガンやろう。なあ、たまにはお父さんのお願いも叶えてくれよ」


 さっきまでの不遜な態度はどうした。大きな体を縮こめて瞳をうるうるさせ、私を覗き込むボスにお手上げだ。


「たっ」

(しかに育ての親ですが、そういうところでいきなり親設定はどうかと思います……。お父さんって……。ずるいです)


 なんだか急に恥ずかしくなった私は、続きは心の中で言いながら、小さくボスに頷き返した。

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