無愛想な義妹は「うざ」とか言ってるが、俺の寝てる間に夜這いしてキスをして朝まで添い寝してる
じゅうぜん
第1話
「ねぇ……起きて」
朝。
窓から暖かな陽が射していた。
気温も暑すぎず、寒すぎず、実に心地いい。布団の暖かさも最高だ。
こんな日は二度寝するに限る。
「めんどくさいから二度寝しないで」
……とは、ならず。
底冷えするような声に観念して、俺は目を開けた。
5年前、父の再婚でできた義理の妹だ。
ふわっとしたショートカットの黒髪。細い線のすらりとした体。切れ長の瞳。めちゃくちゃ可愛い義妹だが、なぜか俺への当たりが強い。
昔から不愛想で、冷たい声で「きも」とか「うざ」とか言われる。ご褒美ですとかいう奴もいるかもしれないが、実際そんな目をされたら怖いし、びびる。
「おはよう……冬香」
「……うざ」
ばたん、とドアを閉めて冬香が出ていった。残された俺は深く溜息を吐いて、
そんなに嫌われるような事はしてないと思うんだけどな。
一つ思い当たるのは、初めて冬香がうちに来た時のことだ。その頃、俺はよく冬香に話しかけていた。思春期の女の子に対して、話しかけすぎたのかもしれない。
気づくと、今朝みたいな絶対零度の態度で「うざ」と言われるようになっていた。
「あれは失敗したかな……」
まぁ、「うざ」と言われるのも、そういう時期だと思って気にしないようにしている。
俺は進学したばかりの大学生で、冬香は二つ離れた高校二年生だ。冬香も、もう少しすれば大人な対応になってくれるはずだ。
その時は、少しでも仲良くなれたら嬉しい。
……そんな兆しは全く無いが。
毎朝起こしに来てはくれるが、あれは母親に言われてやっているのだ。俺たちの仲を不憫に思った母が、多少でも交流の機会を作ってくれているんだろう。
「飯食べるか……」
そして絶対に俺と目を合わせない義妹と一緒の食卓でご飯を食べた。
ここから仲良くなれるとか、あり得るのか……?
そんな事を思いつつ、大学へと向かった。
今日は、久々に高校時代の友人と会う約束もしている。
ちょっと話を聞いてもらおう。
◇
「お前、なんか唇プルプルじゃね?」
講義の後、高校時代の友人とラーメンを食べていると、不意に彼が言った。
「え?」
「なんというか……ツヤが出てる」
友人は木村と言う。眼鏡をかけた普通の男である。大学に入って普通の黒メガネを丸眼鏡に変えたが、特に周囲への影響は無かったらしい。
木村は変な顔で俺の唇を見た。
「口紅のCMにでも出るのか?」
「そんなわけないだろ」
「じゃあなんでそんな変な唇になってんだよ」
俺は思わず指を唇を当てた。
「どういうこと……? 木村君。私のことそういう目で見てるの?」
「はは、ぶっ〇すぞ」
ひどすぎる。
「つーか、普通に変だろ。お前自分で気づかないの?」
「全然気づかなかった」
「前の写真とか出してみるか? ちょっと待て……これとかどうだ」
そう言ってスマホを出してくる。高校三年生の俺がいた。最近見た鏡の中の自分を思い起こして、スマホの中の俺と比べてみる。
……確かになんか、唇がつやつやしてるかもしれん。でもよくわからん。そんなに変わっていないような気もする。
「なんか毎日塗ってる? リップクリームとか」
「いや、そういうのはしてないが……」
「そうか、まぁ気になるなら病院行く感じかな」
「……そうだな」
でも唇がプルプルになるって、どんな病気だ?
特に痛みも無いし、よく会う大学の友人たちも唇に触れてくることは無かった。ぱっと見た感じ、そんなに変化もない……ように思う。病院に行くほどではないだろう。
「それより、お前
「あー、その話をしたかった」
俺も冬香も、高校は同じだ。二歳差なので、俺が三年生の時に冬香は一年生。美人の新入生が来たとかで、ちょっと話題にもなった。あいつと俺は他人みたいな関係なので、特に同棲の噂は広まらなかったが……。
ただ木村には話したことがあって、義妹のことも知っている。
俺は日々の事を話した。
「……は~。それはご褒美じゃないのか」
「じゃねーよ。普通に喋りたいわ」
「でもお前の義妹ちゃん遠目で見たことあるけど、絶対お前のこと好きだと思うけどなぁ」
木村が思い出すように視線を空に向ける。
あまりにも義妹のイメージからかけ離れた事を言われて、怪訝な顔をしてしまった。
「んなわけあるか。見たのっていつだよ」
「球技大会の時だな。お前がサッカーしてるの、めちゃくちゃ目にハート浮かべて見てたよ」
「は? 嘘つけ。あいつなら俺が何してようが『うざ……』とか『きも……』とか言うだろ」
にわかには信じがたい話だ。いつも氷点下よりも冷たい目でしか見られたことが無いというのに。
「いやぁ、照れ隠しとかじゃないのか? あんな恋する乙女の顔してて」
「え……急にきもい」
「あ? 彼女いないくせに俺と戦うのか?」
「お前もいないだろ」
そう言うと、木村はにや~っと嫌な笑みを浮かべた。
まさか貴様……。
「いやいないけどね」
「だよな」
頷くと、俺たちは二人でラーメンを啜った。
なんだか、いつもよりしょっぱかった。
◇
家に帰った後、リビングのソファに体を預け、木村に言われた事を考えてみた。
俺の唇はプルプルになったのだろうか?
さっき鏡で見てみたが、よくわからなかった。
唇を指で触ってみる。よくわからんが、確かにしっかりした弾力がある気がする。これがプルプルというやつなのかもしれない。
「ぷるぷる~」
呟いたら、リビングのテーブルにいる冬香がじろりとこちらに冷たい目を向けてきた。
……ごめん。変な事言って。
冬香もこの時間はよくリビングにいる。勉強しているか、スマホをいじっているかだ。俺の顔を見たら逃げるように去っていく、とかされなくて本当によかった。
俺もソファでぼんやりスマホをいじっていることが多かった。
今日もそうだ。一人で唇について調べている。
そもそも唇はどうしたらプルプルになるんだろうな……。
「『唇 プルプル』、と」
グーグ〇大先生は『女子力アップの唇ケア術!』みたいなページを差し出してくれた。ラップでパックするとか、マッサージするとか……心当たりは無い。
ツイッ〇ーとかどうだろう。なんかあったりしないか。
「ここも『唇 プルプル』……」
理解できない人を見るような目で冬香が見てくるが、気にしない。俺はこの謎を解き明かさねばならないのだ。
……ん?
『彼ピとずっとちゅーしてたら唇プルプルになった(笑)』
見知らぬギャルが唇を尖らせて自撮りを上げていた。
ちゅーしてたら唇がプルプルになるのか? 聞いたことないが、そうなのかもしれない。唇の事なんて今まで俺は何も意識してこなかった。ちゅーにも可能性はあるかもな。
……俺にキスするような人間はいないんだが。
スマホの電源を消して、時間を見る。23時だ。今日もぐだぐだ過ごしてしまった。
唇の事はわからなさそうだし、そろそろ寝よう。
そう考えて、俺はソファから体を起こした。
冬香がちらっと、そんな俺の様子に目をやり、すぐに外した。
そして立ち上がる。自分の部屋に戻るらしい。
そういえば、冬香はいつもこのタイミングで部屋に戻ろうとするな。
まるで俺が戻るから、帰ろうとしているみたいだ。
――ん?
それだと、まるで俺と一緒にいたいみたいじゃないか。
ふと、そんな風に思って、口を開いた。
「なあ、冬香」
俺の呼びかけに、部屋を出ようとしていた冬香が振り返る。冷たい表情だ。
「……なに?」
これは気の迷いだった。木村が『目にハート浮かべて見てたよ』とか変な事を言うからだ。
冬香の態度が、もしかして、本心ではないとしたら?
そんな風に思って、つい声をかけてしまった。
でも何も考えず呼び止めたせいで話題がない。何の話をすればいい?
なんかすぐに出せそうな話題は――
「俺の唇が去年と比べてプルプルになってるらしいんだが、知らないか?」
「さっきぶつぶつ呟いてたやつ? 知らない」
にべもない返事だった。
めっちゃ恥ずかしい。
知るわけない。そうだよな。どうでもいいしな。俺の唇が多少変わっていようが、何も関係ないよな。
「だよな……すまん。急に呼び止めて悪かった。……キスで唇がプルプルになるって見たんだが、これも知らないよな……」
「え」
何にもならないと思って口にした言葉に、冬香が硬直した。
急に視線を斜め上に逸らし、汗を垂らしながら目をぱちぱちさせ始めた。
「――ししし知らないけど? なななに聞いてんの。わ、私、部屋戻るから」
冬香はギギギ、と音のしそうな動きで体を反転させると、カクカクした動作でリビングから出ていく。その後、盛大にどしーん! と言う音がした。『きゃ! 冬香ちゃん何してるの!?』『こ、転んだだけ!』母の叫びに答える冬香。その後なんとか階段を昇りきったが、またゴン! という音。頭でもぶつけたのだろうか。我が家は音が通りやすいのだ。キィ……と二階からドアの開く音が届き、ぱたん、と閉まった。
呆然と、俺はその惨状を聞いていた。
いや…………絶対何か知ってるじゃん。
◇
考えてみれば、色々おかしい点はあった。
毎朝、冬香は必ず起こしに来てくれる。平日も土日も、一日も欠かさずである。普通、嫌いな兄を毎朝起こしに来るのだろうか? 何かしら言い訳をして断るのでは?
他にも、木村が言っていた、冬香が目にハートを浮かべて俺を見ていたということ。
それが本当なら、冬香のそっけない態度は何かを隠しているせいだ、とも思える。
あと、毎朝、俺の布団から甘い匂いがしていることは不思議だ。
思い返してみると、これも大学に入ってからの事のように思う。
そして、先ほどの冬香の慌てよう。
「一体、何をしてるんだ……」
いくらか想像できそうではあるが、今までのイメージが壊しきれずにいた。
実際に見ないと信じられそうにない。
だから、俺は自分の部屋にカメラを仕込むことにした。
スマートフォンを録画モードにしたまま、ティッシュ箱とか分厚い教科書とかで隠す。よし、うまくできた。これで傍目にはわからない。部屋が暗ければまず見つからないだろう。我ながら完璧だ。
このカメラがきっと真実を暴いてくれる。
俺の知らない真相を。
「……とりあえず、寝るか」
色々準備をしていたら、だいぶ眠たくなってきた。
俺はベッドに入って、布団を被る。
眠気はすぐにやってきて、俺を眠りの中へ誘った。
◇
「ねぇ、朝なんだけど」
――そして翌朝。
いつも通り、冬香が起こしに来ていた。
昨日の慌てっぷりなど何もなかったかのように、いつもの不愛想な顔である。
俺は素直に目を覚ました。
「おはよう、冬香」
「……なに、なんか顔うざい」
いつもより二割増しくらいの冷たい声を出される。いつもなら傷つくところだが、今の俺はそれよりも別の事が気になっている。
「どうした?」
「別に……なんでもない」
冬香は俺の様子に眉をひそめていたが、やがていつものように部屋を出ていった。階段を下りる音を確認して、俺は隠していたスマートフォンを取り出す。
録画はちゃんと残されている。
開始時刻は24時頃、俺が眠った少し前から。
「……見るか」
何もなければ、それはそれでいいのだ。
どこかパンドラの箱を開けるような気持ちで、俺は動画の再生ボタンを押した。
◇
■24:00頃
部屋が暗い。当たり前だが。
様子はなんとなくの輪郭で判断するしかなかった。
特に変わった所はない。
俺もすやすや眠っているようだ。
■24:30頃
ドアがノックされた。
ノック? こんな時間に、誰だ。
『ねえ……起きてる?』
この冷たい声は……冬香だ。
起きてるかと言われても、寝ている俺は返せない。
沈黙が数秒過ぎる。
そしてドアがそっと開けられ、冬香が部屋へ入ってきた。
恐る恐るといった感じで、そろそろと踏み入る。
『起きてる……?』
冬香が俺のベッドの脇に立つ。俺を見下ろして、寝ているかどうかを確認しているようだ。俺はまさしく、ちゃんと寝ている。
冬香が体をかがめた。顔を近づけている。
俺の寝顔を確認しているのだろうか。
『寝てる……』
じっと俺の寝息を確認し、数秒後。
『お兄ちゃん……ん~~♡』
――俺に口づけした。
「えええええええええ!?」
『好き……しゅき……んっ……♡』
「えええええええええ!?」
「うるさーい!」
「おわあああああああ!?」
一階から届いた母の声にびっくりして俺は盛大にベッドから転げ落ちた。
「何してるのー! 朝ごはんできてるよ!」
『さっきは変な事聞くから焦っちゃったじゃん……んっ……ちゅ……』
「い、いいい今! 今行きます!」
大声で返して、急いで動画の停止ボタンを押した。
動悸がすごい。俺はなんて物を撮ってしまったんだ。これは爆弾すぎる。不用意に取り扱ってはいけない。
ばくばくする心臓を抑えながら、よろよろと階段を降りる。
リビングに入ると、冬香がテーブルに座って冷めた表情でパンを食べていた。
あまりにも平常通りだった。
くらっとする。
お前……マジか。
昨日あんなことをしてたのに、普通にパンが食えるのか。
いや……あんなことしてないのか?
あの動画が夢なのか?
逆にパンを食ってないのか?
パンってなんだ?
「……何見てんの。うざい」
混乱してきた。ダメだ。思考がまとまらない。朝から衝撃映像を見たせいで、人並みの思考ができなくなっている。
あれはいったん置いておこう。
そうしよう。
まずは、パンだ。
パンでも食べて落ち着こう。
「…………」
震える手でパンを食べる俺を、冬香が訝しげな目で見ていた。
◇
今日は、まったく講義に集中できなかった。
「無理だ……」
夕方頃に自分の部屋に帰ってきて、俺はベッドに大の字で寝転がった。
今日は無理だ。
講義中もずっと、今朝の音声がずっと脳内で再生されていた。
「お兄ちゃん……って」
今までそんな風に呼ばれたことが一度でもあっただろうか。
今までの不愛想な冬香と、甘えた声の冬香が俺の中でせめぎ合っていた。
冬香は俺の事をどう思っているんだ?
俺は一体、どのお前を信じればいい?
その答えは、動画の中にあるのだろうか?
体を起こし、スマートフォンを取り出した。
続きを見よう。
そうしたら、わかることがあるかもしれない。
俺は今朝の動画を選択し、再生ボタンをタップした。
◇
『お兄ちゃん……ん~~♡』
『好き……しゅき……んっ……♡』
『今日は変な事聞くから焦っちゃったじゃん……んっ……ちゅ……』
『おーにーいーちゃーん、ふふ、ちゅ~~♡』
やばい。
聞いててドキドキしてきた。
本当にこれ、見ていいやつなのかな。
『お兄ちゃん、ちゅー♡ ちゅー♡』
これは間違いなく、見られたら死ねるなと思った。
最初は俺も赤面しながら見ていたが、それでも十分くらい見ていたら慣れてきた。
『えへへ、お兄ちゃん……♡』
『腕枕、借りるね』
『すんすん……お兄ちゃんの匂いがする』
『大好きだよ……』
俺はこんなに愛されていたのか。
正直、嬉しい。恥ずかしい気持ちや戸惑いも、もちろんある。
でも、冬香が俺を嫌っていないという事がまず嬉しい。こんなに可愛い一面を俺の前で見せていることも嬉しい。
これ、こっそり目覚ましにしようかな。
でも本気で「きもい」って言われそうだな……。
画面で冬香は布団の中に忍び込んでいる。顔ははっきり見えないが、いつもの不愛想でない事は想像できた。ごそごそという音が聞こえる。冬香が体を起こす。
俺の顔を少し眺めた後、キスをした。
『ん……』
思わず自分の唇に触れた。空気にしか触れていないから、冷たく感じる。
今、俺の隣に冬香はいない。
嬉しく思うが、これはあくまで寝ている時の話なのだ。
夜、俺の知らない時間の話。
現実は変わってない。俺と冬香の関係はこんな甘々じゃなくて、凍り付いている。
冬香は、俺が寝ている時にだけ甘えている。
何かあるはずだ。
起きている俺がダメで、寝ている俺が大丈夫な理由が。
その手掛かりを探ろうと俺は動画を見続ける。
相変わらず冬香は幸せそうであり、俺はすやすやと眠っていた。
添い寝しながら、冬香はずっと独り言を喋っている。
それは『お兄ちゃん……』というただの呟きであったり、『手、握ってもいい?』という確認だったりした。
俺が寝ているのをわかったうえで甘えている。
それがなぜか。
薄々、思うことがあった。
返答がないというのは、プラスでもないが、マイナスでもない。
自分が嬉しい事を言ってくれるわけではないが、自分が嫌になることも言われない。
俺が、冬香を嫌にさせるような事を言うと思っているのだろうか?
『……ごめんね、お兄ちゃん。こんなことして』
不意に、落ち着いたトーンの声が届いた。
何かをこらえるような声で、冬香は言った。
『お兄ちゃんは私の事……嫌いなのにね』
嫌い?
俺が?
その後、呟く声は止んだ。冬香はそのまま寝たようだった。
朝まで時間を飛ばしてみる。
俺が起きる30分ほど前に冬香が起きて、部屋を出ていく。そして、普段の様子に戻ってから、俺を冷たい声で起こしに来る。
そこまで見て、動画を停止した。
これを知らないままにしておくのも一つの手だった。それはそれでいい。冬香は俺に冷たいが、日常になんら変化は無い。俺はこの動画を消して、また普通に大学に向かう。
けどそれじゃあ、冬香はずっと俺に嫌われていると思い込んだままだ。
スマホを持って、部屋を出る。
お兄ちゃんはお前が大好きだぞと、ちゃんと伝えなければならない。
◇
「冬香」
部屋のドアをノックした。今日は冬香もリビングではなく、自室にいた。
いつもと違う。もしかしたら、今朝の俺の様子から、冬香も薄々察しているのかもしれない。
「……なに?」
ドアが開けられる。どことなく強張った表情。
その顔へ俺は言い放った。
「冬香、お兄ちゃんはお前の事が大好きだ」
「……え?」
「ラブ、冬香。うぉーあいにー冬香。愛してるぞ、冬香」
「な、なに? 急に」
「お兄ちゃんは嬉しいよ。まさかお前が夜な夜なお兄ちゃんの寝床に――」
「な――!」
腕をつかまれ、部屋に引きずり込まれた。
部屋を見て、なんだか新鮮な印象を受けた。笑ってしまいそうになる。自分の家のことなのに、冬香の部屋に入ったのはこれが初めてなのだ。なんてことはない、普通の高校生の部屋だった。
ただベッドがまるで新品みたいにとても綺麗で、そして、部屋は毎朝の俺の布団と同じ匂いがする。
「な、何考えてるの!?」
顔を真っ赤にした冬香が、詰め寄ってきた。
これだけ距離を詰めたのも初めてだ。
ずっと一緒に暮らしてたんだけどな。
「何って、お兄ちゃんがお前を大好きだと伝えに来ただけだが?」
「き、きも……何言ってんの?」
冬香は顔を引きつらせていた。
でも今の俺は「きも」と言われても動じない。昨夜の事を知っているのだ。
スマホを取り出す。
「俺は、お前と仲直りしに来たんだ」
「仲直りって……」
「これを見たからな」
動画、再生。
『お兄ちゃん……ん~~♡』
『好き……しゅき……ん……♡』
「だ――ダメ! これはダメ! 止めて!」
スマホを取ろうとしてきたので、手を高く伸ばして避けた。ぴょんぴょんしてくるが、俺の方が背が高い。
なんだこれ、可愛いな。
『今日は変な事聞くから焦っちゃったじゃん……んっ……ちゅ……』
「待って! ストップ! 絶対ダメ!」
「あ~冬香が暴れるから止められないな~」
『おーにーいーちゃーん……ふふ、ん~~♡』
「聞いちゃダメ! 止めて! ダメ……止めてよぉ……!」
ずっと流してても良かったが、涙声になってきたので流石に停止した。
「という、昨日の様子を見たんだ」
冬香は顔を真っ赤にしてぷるぷる震えていた。
『死なせて……』と思ってる顔だ。気持ちはわかる。
「それで仲直りしようかと」
「……脅してるの?」
違います。
……まあ確かにちょっと脅してるみたいだな。
「お前が誤解しているようだったから、本当の事を言いに来ただけだ」
「意味わかんない。引いたでしょ。私、あんなこと」
「引いてない。びっくりはしたが」
「で、でも……嫌でしょ? ごめん。もうしない。本当に」
だって、と震える声で呟く。
「私のこと――嫌いなんでしょ?」
「……それだ」
「え?」
俺はその勘違いを正すために来たんだ。
「冬香、なんで俺がお前を嫌いだと思ってるんだ?」
「え、だって……ここに来て少し経ってから、急に話しかけてこなくなったから……」
俺はあんぐりと口を開けた。
え、そんなこと?
「――それはお前が『うざ』とか『きも』とか言うからだろうが!」
冬香が目を見張る。嘘、と言いたそうな顔をしている。
「嘘じゃない。お前が嫌そうにするから俺は絡むのをやめたんだ」
覚えている。会ったばかりの頃、俺はよく冬香に話しかけていた。仲良くなるには、話さないと何も始まらない。仲良くなるにはまず褒めろ! というのを見たから、色々そういう事を言っていた記憶がある。でも、冬香は返事をしてくれなくなって、終いには「うざ」と言われて止めた。
「あのな、『うざ』って傷つくんだよ。そんなこと言われたら話しかけなくもなる。むしろお前が俺を嫌ってると思ってた」
「……でも、すごく私の事、避けてたし」
避けてたわけじゃない。距離を取っていたんだ。お前が嫌がるかと思って。
「信じられないか? どうしたらいい。ハグでもするか?」
「ハグしてくれるの……?」
冬香が顔を上げる。
意外にも好印象だったらしい。一度頭を掻いて、ハグするために腕を伸ばした。
背中に手を回して抱き寄せる。
柔らかいし、想像よりもずっと細かった。
「お前の事は嫌いじゃない……これで信じてもらえるか?」
「う、うん……」
そっと背中に手が回される。冬香は顔を俯かせている。耳が真っ赤だった。
「足りなければ、なんでもしてやる。お前が信じられるまで」
「なんでも?」
「……ああ、お兄ちゃんだからな」
なんでもはちょっと言い過ぎたかもしれない。が、もう言ってしまった。二言は無いのだ。
顔を俯かせたまま、小さな声で冬香が言う。
「じゃあ、髪……撫でてほしい」
「……はいよ」
それくらいで良かった。
頭の上に手を置いて、髪の流れに沿うように下ろしていく。
「なんか……撫でるの上手なんだけど」
「上手ならいいだろ」
「お兄ちゃん……彼女できたの?」
「できてねーよ」
「そう、なら良かった」
冬香が背中に回した腕をぎゅっと寄せて、耳を俺の胸にぴったりと押し付ける。
呼び方が、いつの間にかお兄ちゃんになっている。
「どきどきしてるじゃん」
「……そうかもな」
えへへ、と冬香が子供みたいに笑う。
そうしていた方が、間違いなく可愛い。
「やっぱお前、笑った方が可愛いよ」
「――そっ! そういうこと言うから!」
腕の中で、勢いよく冬香が顔を上げた。
「え?」
「そういうこと言うから、うざとか言っちゃうんじゃん……!」
「な、なんでそうなるんだ?」
わからない。俺の長年の悩みの原因が今明かされようとしているのに、心当たりは全くなかった。
「可愛いとか言われると、どきどきしてやばいから……ダメなの」
か細い声で、そう言われた。
「お兄ちゃん……普通にそういうこと言うから、顔熱くなるし、頭真っ白になっちゃうし……ワケわかんなくなるし」
尻すぼみに小さくなる声。
訪れる沈黙。
……そ、そういうことなのか。
「俺の言う事が恥ずかしいから、つい、突き放すような事を言ってしまったと……」
「そ、そう。っていうか、口に出さないで」
「あ……すまん」
うろたえていたら、冬香が噴き出した。
「ふふっ……! 何それ」
「い、いや、なんだよ」
「お兄ちゃん、私のこと嫌ってると思ってたのに」
「嫌ってねーよ」
「そうみたい。なんか、くっついてたらよくわかった」
冬香が、胸に顔を寄せる。
「お兄ちゃん私のこと嫌いじゃなかったんだ……」
「当たり前だ」
五年経った。ずいぶん長かった。いや、五年で済んだと思うべきなのか?
肩の荷が下りたようだ。
ずっとお前と仲直りしたかった。
それが今日できて、本当に良かった。
ようやく俺たち兄妹の凍り付いていた関係が溶け始めたのだ。
そんなことを考えていたら、冬香が体をわずかに離した。
何か決心をつけているようで、じっと俺の事を見上げていた。
「じゃあ、私もちゃんと教えるから」
「……なにを?」
「お兄ちゃんが大好きだってこと」
そう言うと、冬香はつま先を伸ばして俺に口づけした。
あまりに一瞬の事で、何もわからなかった。
遅れて、唇に残る熱だけを感じた。
「……棒立ちじゃん」
耳まで赤くして、冬香がぎこちなく笑っていた。
「ねぇ」
「……はい」
「お兄ちゃんも、私の事が大好きなんでしょ?」
最初の俺の言葉を持ち出してくる
俺はずいぶん恥ずかしい事を言ったものだ。
「まあ……そう、だな」
「それって……
答えられずにいると、冬香が近づいてきた。
「私のは……
顔を赤くしながら、口づけしそうなほどの距離まで。
「あとで行くから。その時……ちゃんと教えて」
恥ずかしいのか、後ろの方は微かな声になっていた。
そんな風に言われたら、俺は頷くしかなかった。
◇
義妹と仲直りしたら、もっとすごい事になった。
具体的には、冬香が毎日寝ている俺に夜這いして、キスをして、朝まで添い寝するようになった。
それは変わってない。変わったのは、俺が起きているかどうかだ。
もちろんしっかり起きてた。期待してたので。男子なので。
もちろん、大好きの意味は全力で教えた。
あの日、朝起きたら父と母がいて、ニマニマしながら『昨晩はお楽しみでしたね』と言われた。
最悪である。
冬香は顔を真っ赤にしていた。
二人とも、冬香の態度が額面通りでないことは知っていたらしい。
『気づかんお前が鈍すぎる』
と父に言われた。返す言葉もない。
木村は冬香と仲直りした事を話すと『あっそ』と言って溜息を吐いた。
今度、何か奢ってやろうと思う。
俺と冬香はその後、だんだん昼間も一緒にいるようになった。
余りにくっつきすぎたから、父も母もいつも呆れた顔をしていた。
もちろん夜は添い寝もしていた。
頭と頭を合わせて、一緒に眠ったりもした。
目覚ましの音を『お兄ちゃん、ちゅー♡ ちゅー♡』にして、本気で怒られたりもした。
そういう日々を過ごし、やがて俺たちは――
◇
「ねぇ……起きて」
朝。
窓から暖かな陽が射していた。
気温も暑すぎず、寒すぎず、実に心地いい。布団の暖かさも最高だ。
そして隣には、ちょっと不愛想だけど、とても可愛いお嫁さんがいた。
「おはよう」
「おはよ、あなた……二度寝しないでね」
おどけて言われる。
ぼんやりとした頭で、軽口を言う。
「お兄ちゃんじゃないのか?」
「もう……」
嫁が頬杖をついて、俺の寝ぼけた顔を見つめている。
微かに笑って呟く。
「……うざ」
思わず俺も笑った。
ずいぶん柔らかくなったその響きに、愛おしいものがこみ上げてきた。
無愛想な義妹は「うざ」とか言ってるが、俺の寝てる間に夜這いしてキスをして朝まで添い寝してる じゅうぜん @zyuuzenn11
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