フィンディルの感想論あれこれのこれ
フィンディル
1【意識していること】注意書きを入れない理由
注意書きとは何かというと「ここで書いたことは一個人の考えであり、強制するものではありません」というものです。
指摘ありの感想を読むとき、よく目にすると思います。感想の最初か最後、あるいは最初と最後に書き添えられていることが多いと思います。
この注意書き、私はつけていません。
注意書きなしに感想を書き、指摘をしています。
と書くと「ここで書いたことは一個人の考えであり、強制するものではありません」に反対なのかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
指摘とは他者の作品および創作を変化させてしまう可能性を多分に含む行動ですので、感想筆者個人の考えが無闇に作者に押しつけられることがないように十分に配慮する必要があります。
つまり私は上述の配慮は「注意書きをする」では不十分であると考えているのです。
注意書きをすると、安心しちゃうんですよね。感想筆者は。
「最初(最後)にちゃんと注意喚起しといたから大丈夫だな」と安心してしまって、本文への意識が疎かになってしまうのです。対策済みの印鑑を押しちゃうんですよ。
その安心感から、本文の言い回しに配慮が行き届かない危険があるのです。
「一個人の考えです」と注意書きをしておいて本文ではやたらと断定的な物言いをする感想、見たことがありませんでしょうか。態度が一致してないじゃないかと感じられますが、あれは安心しているからです。
逆に注意書きをしないと不安になります。安心感が得られません。
「うわ、これ軽率な言い回しをして、自分個人の考えを押しつけることになりやしないか」という不安感が常に付きまとう。
だから本文の言い回しに気をつけざるをえなくなる。注意書きをしてないなら、感想筆者は本文を書くときに常に注意しないといけなくなる。
私の感想を読んだことがある人は既にお気づきだと思います。
「思います」「考えます」「気がします」「感じます」「印象を持ちます」「映ります」「想像します」「妄想します」って、どれだけ言うんですかと。合計すると、感想一本につき百回は言ってるんじゃないか。
うるさいくらいに思って考えて感じて印象を持って想像妄想してます。
「フィンディルは思います」「フィンディルは考えます」など、「フィンディルは」もよくついてますよね。
逆に「しないといけない」「するべき」という文言はほとんど見かけないと思います。全く使ってないわけではありませんが、使っても支障ないと判断できたときのみ使うようにしています。
それだけでなくて「フィンディルがそう考えているだけで、作者は別のことを志向しているかもしれません」「読者それぞれですけどね」「的外れな考察だった場合は一個人の考えとして流してください」といった一文も、本文中にたびたび登場します。
一個人の考えを押しつけている危険がある意見表明の文と、「一個人の考えです」という文の距離が近くなるように意識しています。
最初(最後)の注意書きだけだと、両文の距離が遠くなっちゃうんですよね。
また最初(最後)の注意書きはテンプレート化しやすく、感想数が増えるごとに感想筆者も作者も読み流してしまいやすい。
さらに指摘は二度三度と読み直すことが多いものですが、そのときに丁寧に注意書きを反復するとも考えにくい。
注意書きで済ますのではなく本文に配慮を巡らすことで、読み流しにくく、どこから読んでも「一個人の考えです」を意味する文言が目に入る。
なので、注意書きで安心してしまうのではなく、不安をもって本文で配慮することが大事だと私は思っています。
少し話は逸れますが、(プレゼンなど)自分の考えを相手に伝える場では「思います」「印象を持ちます」という語彙は避けることが望ましいとされています。
主張が鈍ってしまい、説得力が落ちてしまうからです。ですので「AはBだと思います」ではなく「AはBだ」と断定的に言いきってしまうのが望ましいそうです。
もちろん感想・指摘でも説得力は大事です。
(依頼など指摘同意がある場では)依頼者は自作を改善するために有益な意見を求めているわけですから、参考にしようと思える説得力ある感想・指摘を求めています。高い説得力が求められます。
しかし質の良い感想・指摘は、内容や論理展開で既に説得力がめちゃくちゃ高いんですよね。「自分より作品を理解してる」と作者に思わせる感想は存在します。ならば意見を求める作者個人は簡単に心を動かされてしまいます。
組織や不特定多数を動かすなら説得力は青天井に高いことが望まれます。ただ意見を求める個人にそこまでの説得力が必要なのか。
むしろあえて「思います」「印象を持ちます」を使って主張を鈍らせて、説得力が高くなりすぎないようにするのが良いんじゃないかとも考えています。
そういう意味も込めて私は思います思います思います並べて、主張を鈍らせるようにしています。
感想が上手くなり説得力が高くなるほど、注意書きだけでは抑えつけられなくなります。
ですので感想が上手くなるのと同時に、自身の高い説得力を抑えつける言い回しも上手くなる必要があると思っています。
ということで私が注意書きをしない理由は、それだけでは配慮が不十分だから、でした。
注意書きで安心して本文での配慮が疎かにならないように、注意書きをせず本文で「一個人の考えです」を表現する。
そのように意識して感想を書いています。
ですので「注意書きをしなくていいんだ」とだけ受けとらないようご注意ください。
注意書きもせず本文で配慮もしないのは、基本的に最悪で有害です。
「わざわざそんなことを書かなくてもいいぐらい十分な思慮と覚悟を備えた作者にのみ感想・指摘を書いている」場合のみ許される仕草です。
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