第76話:神仏

 俺は神仏を全く信じていない。

 もしこの世界に神仏というモノが存在するのなら、善男善女が苦しみ悪人がのさばるような事にはなっていないからだ。

 差別され、心身を傷つけられ、奪われ、殺されるような事にはなっていない。

 何より、神の名を騙って行われる悪行を許したりはしない、絶対に。

 だが一方、強大な力を持つ残虐非道な存在はいるかもしれないと思っている。


 ギリシャ神話にでてくるような、人間と同じ悪行を強力な力で行う存在や、日本の荒神のように力ある存在が、神に祀られる事もある。

 そんな身勝手な力あるモノが、人間を弄んで愉しんでいる可能性はある。

 身勝手な力あるモノが、人間同士を争わせて苦しむ姿を見て喜ぶのだ。

 時に自分がひいきにしている種族や一族に味方して、他の種族や一族を迫害する。

 そんな存在が俺達を苦しめて喜んでいるのではないかと思う事がある。


 だから、このような苦境に陥ると、つい神仏に頼ってしまいそうになる。

 自分だけの事なら、誇りにかけて死んでも神仏などに頼らない。

 顔を伏せる事なく尊厳を守って身勝手な神を相手に文句を言ってやる。

 どれほどの苦痛を与えられようと、頭を下げる事なく死んでみせる。

 自分一人の事ならば、プライドを失ったりはしない。

 だが、マリアとお腹の子の命が掛かっているとなると……


「エドアルド公王殿下、ギリス教団の神官と名乗る者が謁見を求めて来ております」


 後宮の総責任者となっているソフィアが重大な報告を届けてきた。


「……その神官はどこから来たのだ。

 国内の神官はことごとく殺すように命じたはずだぞ」


「それが、ローマ帝国からやってきたと申しております。

 ただ、マリア王太女殿下が懐妊されて以来、病が国内入り込まないように、国境の出入りはとても厳重に行われていました。

 それは海軍の警備も同じでございます。

 しかも先日ローマ帝国の大艦隊を壊滅させたばかりでございます。

 とてもではありませんが、国外から入ってくる事は不可能だと思います」


「厳重な警戒網を潜り抜けて国内に入ってきたのか、それとも誰かに匿われて潜伏していた神官が出てきたのか、それは後で考えよう。

 問題なのは、今この時期に命懸けで謁見を求めてきた理由だ。

 私がギリス教を信じる者を根絶やしにしているのを知らない訳がない」


「はい、その神官は、公王殿下と王太女殿下の弱みに付け込んで、今なら処罰されるどころか、高い地位に取立てられると思って出てきたようです」


「マリアのお腹の子が逆子だという情報を手に入れて、神に祈れば助かると言っているのだな」


「はい、姑息にも逆子が治るか治らないかの二分の一の確率に賭けて、教祖の地位を手に入れようとしているのです、絶対に許せません」


 俺も、冷静な時なら、今この場で首を刎ねろと命じていただろう。

 だが、心の弱った状態では、斬首にしろと命じるのには凄まじい胆力が必要だ。

 このような情報は、どれほど努力しても隠蔽する事はできない。

 今頃は後宮中に逆子を治せると言った神官の話が広まっているだろう。

 きっとマリアも俺と同じように苦しんでいる事だろう。


 俺の教育した侍女の中にはいないと思いたいが、マリアに神の教えを勧める者が現れているかもしれない。

 そもそも、後宮の侍女の中に逆子の事を外部に話した奴がいるかもしれない。

 このような機会を待って、深く静かに潜伏していた可能性があるのだ。

 全力で自制しないと、侍女達を拷問にかけてしまうかもしれない。

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