第10話

 広島に着いてからは、白島や袋町あたりのタイプの違うカフェを数件巡り、お昼は幟町の『八昌』でお好み焼きを食べ(広島焼ではない。お好み焼きなのだ)、そのあと、リバークルーズに出る。

 奈々は性格的に取材にはあまり向いていないのではないか、俺が助け舟を出さないと成立しないのではないか、と心配していたが、アポ取りでさりげなくお店や店主をよいしょするしたたかさと的確な質問を投じ、話の枝葉を広げてゆく話術をちゃんと持っていて、横で保護者のように見守る俺を大いに感嘆させた。

 尾道は坂と海の街だが、広島は川の街である。 

 なので、まともな銭勘定ができる人間ならば、川から街を探索するツアーを企画するのは、雨の日に傘を売るくらい当然で、手堅い商売なのだ。

 平和公園から元安川を下り、原爆ドーム、縮景園、猿猴橋と広島市内観光定食コースを足ではなく、船で辿る。水の上から緩やかなスピードで流れるそれらの風景は桜や紅葉の季節でなくとも普遍であり、何よりも吹く風が気持ちいい。これが夕暮れ時ならば、尚、いいだろう。

 奈々は緊張感などなく、思いつくまま白のVAIOのミニに文章を打ち込み、感性に命じられるままライカのシャッターを押している。

「なんか、デートみたいじゃな」

「え?」

 奈々は、電流に打たれたように驚き、振りむいた。

「まさか、取材って『秋冬の広島おススメデートコース』じゃったりして」

 俺があてずっぽうで言うと、奈々は黙り込んでしまった。

 素直さというか、愚かしいほどの純真さは老獪さと引き換えに失くしてしまうものだが、奈々にはまだそういうところが残っている。平成生まれの女にしては珍しい。

「この後、弟の店に行くけど、奈々ちゃんはどうする?」

「取材できますかね?」

「さぁ、頼んでみんとわからんな」

 広島では外務大臣や財務大臣の名前は知らなくても、義晴の顔と名前を知らない人は珍しいというくらいの有名人であり、筒井先生のコネがなければ予約が入ったかも怪しいくらいなので、飛び込みで「おいそれ」と取材できるとは思えないが、それは俺に一言添えて欲しいという意味に違いない。

 奈々は、眩しそうに猿猴橋越えに見える広島駅の方角の空を見ている。

 わずか三十分の船旅も終わりだ。

 人生も船旅も終わりを自分で決めることはできない。

 舵を取っているのは自分以外の誰かだからだ。その主催者がどこの誰であるかなんて誰も知らない。それを知るのは軀を失くした後のことだ。そして、それを知ったところで指針にも果実にもならない。

「タミオさん。龍神雲!珍しい!」

 奈々が青空に向かってシャッターを切る。

 それくらいにシンプルな人生が望ましい。

 映えなくてもいい。

 俺は遠回りをしすぎた。


 八丁堀で広電(路面電車)を降り、そのまま道なりに南下すれば、中国地方一の歓楽街流川だ。

 昔は昼間でも特殊浴場やキャバクラのポン引きがそこら中にいて、物欲しそうな顔をしていると声をかけてくる妖しい大人の街の風格があったものだが、このご時世では実にのどかなものだ。

 本通りを縦に抜け、新天地公園を抜けたところにある雑居ビルの二階が右腕一つで人生を切り拓いた義晴の牙城『プレッジブルー』だ。上の階に行くエレベーターの横の案内板では一階がコンビニ、二階が義晴の店、三階が焼肉屋で四階がガールズバーのようだが、五階と六階は「非公開」とある。土地柄、反社の事務所である可能性が高い。義晴はそんなものと無縁であってほしいと願う。

「ほいじゃぁ、行こうか」

 奈々を促し、エレヴェーターにエスコートした。

 


 

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