迷惑系 【ショートショート】

いとうヒンジ

迷惑系



「はい、今日はこのコンビニで、会計前のおにぎりを食べまーす!」



 一人の男がスマホのカメラを自分に向け、嬉々とした表情で言う。周りに数人いる客は一歩引いた位置で眉をひそめるが、彼に直接話しかけ、不快を示す者はいない。客たちの顔からは、「ああ、またか」といった諦めの念が窺がえた。


 しばらくすると、男は購入していないおにぎりの包装を剝き、宣言通り食べ始める。一応、上着のポケットに小銭をじゃらつかせ、いつでも支払いができる準備はしているようだが。



「……ということで、今日の動画はここまで! バイならさーん!」



 独特な挨拶で締めくくり、男はコンビニを後にする。バイトの店員は、賃金に含まれていない仕事はやりたくないようで、ついぞ男を注意することはなかった。



「んー……。今回の出来は七十点だな」



 以外にも自分に厳しく評価をつけた男は、スマホを数回触る。


 画面には、「ヤンチューブ」の文字。近年、若者を中心に流行っている動画投稿サイトだ。可愛い動物の動画から、違法にアップされたアニメまで――さまざまなジャンルの動画が、日夜投稿されている。



「……お、昨日の動画、良い伸びしてるじゃん」



 彼が確認しているのは、自身の動画投稿画面――「佐々木のワクワクチャンネル」である。


 佐々木は、昨日投稿した「先祖の墓を蹴ってみた!」という動画が五十万再生されているのを見て、心の中でうんうんと頷く。


――動画が再生されてるってことは、やっぱり俺のしていることに間違いはないんだ。


 「ヤンチューブ」では再生数に応じて動画投稿者に報酬が支払われるのだが、五十万再生ともなれば、報酬は一般的なサラリーマンの月給とほぼ同額になる。



「人に迷惑をかけてスカッとできるだけじゃなく、その上金まで手に入るなんて……ほんと、いい時代に生まれたもんだ」



 次いで、彼はネットニュースのアプリを開く。トップページには、「佐々木のワクワクチャンネル、またもや炎上」の見出し。記事のコメント欄には、佐々木への誹謗中傷ともとれる罵詈雑言が並んでいた。



「ふん。お前らだって、やってることは同じじゃないか。相手が個人なだけ、より質が悪いじゃないかよ」



 そんな風に悪態をついて、佐々木はアプリを閉じた……と思えば、すぐさまSNSを確認する。案の定、自分への攻撃的な話題が至る所で盛り上がっており、内心ほくそ笑んだ。


――いいぞ。お前らが話題にすればするだけ、俺の動画は再生される。


 彼のように、過激な内容の動画を投稿する者は「迷惑系」と揶揄され、一種の社会問題になっていた。そして、現在の迷惑系筆頭は、誰あろう――佐々木尚也その人なのである。



「明日は交番の前で白い粉でも落としてみるかな。誰かがやってたかもしれないけど、今の俺が動画にすれば、もっと再生数が稼げるだろう」



 佐々木はぼんやりと明日の予定を立てつつ、帰路に就く。辿り着いたのは、都内一等地にそびえるタワーマンションの前。ここ数年、迷惑動画で荒稼ぎしている彼にとって、高級マンションに住むことなど訳はないのである。


 セキュリティの頑丈なエントランスを抜けてエレベーターに乗り、佐々木は最上階のボタンを押した。タワーマンション最上階のVIPルーム……それが、今の彼の根城だ。



「編集は明日にして、とりあえず寝るか」



 部屋に戻った佐々木は、着の身着のまま寝室に向かい、三ツ星ホテル御用達のベッドにダイブした。そして、己の人生のなんと順調なことかと――安らかな顔で眠りについたのである。





 異変に気付いたのは、翌朝、日課となっているSNSの確認をしている時だった。



「……ん?」



 昨日までは、薪のくべられた焚火のように盛り上がっていた自分への攻撃が――全くと言っていい程、沈静化していたのである。佐々木の元には毎日数えきれない悪口コメントが届いていたが、それもなかった。


 突然、何の前触れもなく、彼の迷惑行為に対する世間の関心が無くなったのである。



「馬鹿な。そんなはずない」



 佐々木は多少焦りながら、至極平和になってしまったSNSを閉じ、ニュースアプリを開く。だが、トップの見出しは当然、隅から隅まで画面をスクロールしても――佐々木に関する記事はなかった。「迷惑系」をこき下ろす記事はあれど、そのどれもが、別の誰かの悪行を批判していた。



「……これは一体、どういうことだ?」



 狐につままれた気分を味わいながら、彼は寝室を出る。きっと何らかのアクシデントが起きて、ネットが正常に機能していないのだ――そう結論付け、昨日撮影した動画の編集をすることにした。



「……よし、終了と」



 三十分程で作業を終え、動画を「ヤンチューブ」にあげる。五分と待たず、瞬く間に動画が拡散され、SNSやニュースを賑わし、再生数は鰻登りになる……はずだった。



「なんでだ、どうなってるんだ!」



 佐々木は怒りをあらわに机を叩く。それもそのはずだ。彼の投稿した動画は、ただの一度も再生されることはなく――ゼロという数字を、パソコン画面に映していたのだから。



「これは本当に、どういう不具合だ?」



 いつもなら、十分も経てば五万回は再生されるのに。乱痴気騒ぎを見にきた野次馬と、無意味な正義感を振りかざす小市民が、コメントで小競り合いを始めるのに。


 初めての事態に、佐々木は戸惑いを隠しきれない。気持ちを落ち着かせるために水道水をがぶ飲みするが――ひとたびパソコンの画面を見れば、ゼロの文字が頭を焼く。


――これはおかしい。絶対におかしい!


 何時間、待てど暮らせど再生数は増えず、焦りだけが心臓に溜まる。試しに、何でもない自撮り動画を投稿してみても、ただの一回も、再生されることはなかった。


 五時間が過ぎたころから、佐々木の視界は歪み出す。この国でも一握りの人間しか住めない至高の部屋が――ポッカリ口を開けた、獣の顔に見えてしょうがない。最高級の家具も、一級の調度品も――自分を嘲笑う野猿に見えた。


――このまま動画が再生されなければ、俺はどうなる!


 気づけば、佐々木は裸足のままでマンションを飛び出していた。行くあてなどどこにもない。「迷惑系」として生きていた彼に、救いの手を差し伸べる酔狂な人間など……最早、誰一人としていないのである。





 業界最大手の動画投稿サイト、「ヤンチューブ」のオフィスの一画――背の小さい若い男と、背の大きい初老の男が話している。



「この前の人間は、どうでしたか」



 小さい男が訊いた。彼のデスクには乱雑に書類が置かれており、その中でも、人間の名前と何かの数字が並んでいる表が目を引く。



「ああ、だめだった。今回こそ仲間にできると思ったのに、とんだ見込み違いだったようだ」



 大きい男が答えた。本当に落胆しているようで、部屋に溜息が響き渡る。



「……佐々木尚也、でしたっけ。うんうん、数値だけ見れば、かなりの素質があるみたいですね。彼なら立派な悪魔になれたでしょうに」



 小さい男は手元の書類に目を通した。そこには、佐々木尚也の名前と、彼の動画の再生数が記録されている。



「結局、彼もまた金が欲しいだけの小悪党だったということだ。我々のような悪魔になるためには、純粋に悪行をはたらく気持ちが必要だというのに」



 大きな男は追加で溜息をついた。小さい方はそれをみて、くくくっと意地悪く笑う。



「まあ、この計画自体無理があるのかもしれませんね。年々減っていく悪魔の数を増やすために、素質のある人間をスカウトするなんてのは……土台、無理がありますね。彼らは所詮、金にならないことはしない、そういう生き物ですよ」



「それもそうだな。迷惑行為をして、それを動画にするような道徳心のない奴らなら、てっきり悪魔になれると思ったのだが」



 二人の悪魔は、自分たちの行為が無意味だと実感しつつあった。


「ヤンチューブ」という動画投稿サイトを作り、人を集める。そこで過激な動画を撮る人間を記録し、一定の水準を満たしたところで、動画が再生されないようにする。それだけではなく、悪魔の力を使い、世間が対象者に干渉できないようにする。


 動画が再生されず、誰からも反応がなく、もちろん金ももらえない――そんな状況になってもなお、迷惑行為を続けられる人間を、彼らは探していたのだ。



「こんなことをしても無駄だと思いますがね。私としては、やはり悪魔の本分を全うしたい。早く人間に迷惑をかけたいですよ」



「まあ、そう言うな。この部署を任された以上、我々の仕事は悪魔を増やすことだ。迷惑行為は、人間に任せようじゃないか」



 小さい悪魔と大きい悪魔は、合わせて溜息をついた。せっかく人間界にきたのに、悪魔の仕事ができないなんて辛すぎる――そう思い、自分たちの現状を嘆いたのだ。


 佐々木尚也が人知れず命を絶ったことなど、彼らにはどうでもいいことだった。



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