第2話 商船改造空母「隼鷹」
1
約半年前に帝国海軍最新鋭戦艦の「大和」が公試運転を行った、宿毛湾沖の静かな海面にその空母はいた。空母は速力18ノット程度で航行しており、艦上機の着艦の準備を完全に整えていた。
「あれか、半月前に竣工したばかりだという空母は。見るからに新品だな」
第205航空隊艦爆隊長大枝敏大尉はそんなことを呟きつつ、空母の艦尾から接近し、機体の着艦態勢を取った。
操縦桿をぎっしりと握る大枝の手は汗で少しだけ濡れていた。
これから着艦しようとする空母は、前に大枝が乗艦していた「祥鳳」よりも飛行甲板の全長・最大幅共に大きい。
そのため、着艦に失敗し、海面にドボンしてしまう可能性はほとんどないと言っていいが、それでも空母への着艦というものは緊張するのだ。
機体がゆっくりと下降していき、両脚が飛行甲板を捉え、機体が完全に停止する。
機体から出た大枝は、後続の17機の99艦爆が着艦してきている間に空母を観察した。
「元が日本郵船の豪華客船とは到底思えない艦容だな」
大枝は感嘆の気持ちを呟いた。
商船改造空母「隼鷹」。
日本郵船の豪華客船「橿原丸」を海軍が買収し、日米開戦直前の1941年10月から航空母艦への改装が開始された艦だ。2週間前の5月3日に竣工し、航空母艦「隼鷹」として改めてこの世に生を受けたのだ。
空母の命ともいえる飛行甲板の大きさは「蒼龍」「飛龍」と同程度であり、この艦が改装空母ながら正規空母顔負けの力を有していることを伺わせた。
艦橋は右舷に設けられており、「飛龍」での左舷艦橋の失敗もしっかりと生かされていた。
両舷には12.7センチ高角砲が3基ずつ取り付けられており、25ミリ3連装機銃も所狭しと並んでいた。近年の航空機の脅威度の上昇に伴って、対空火力にも力が入れられているということが分かる。
やがて、全員が機体から出て、大枝を含む36名の搭乗員を2人の士官が迎え入れた。
空母「隼鷹」艦長岩井芸井大佐と、「隼鷹」が配属されている第4航空戦隊司令長官の角田覚治少将だ。
2人を確認した大枝達が敬礼し、岩井と角田がそれに答礼した。
「飛行場からの移動ご苦労だったな、大枝大尉」
「いえ、本艦の飛行甲板が思いの外広々としていたため、着艦が難しいということはありませんでした」
「頼もしい限りだ。次の戦いには貴官達には存分に腕を振るってもらう事になるぞ」
角田が満足そうに頷いた。大枝の言葉に頼もしさを感じたのだろう。
「艦戦隊及び艦攻隊は既に着艦したのですか?」
大枝は聞いた。艦爆隊の隊長として他の隊長と早めに意見交流を行いたかったのだ。
「艦戦隊及び艦攻隊の到着は明日以降になる予定だ。つまり、貴官たちが一番乗りということだ」
今度は岩井が口を開いた。
岩井は話を続けた。
「本艦の搭載機数は艦戦12、艦爆、艦攻各18機の合計48機だ。かなりの大所帯だぞ」
それを聞いた大枝は僅かに驚いた。「隼鷹」の搭載機数が大枝の予想よりも多かったのだろう。
「艦爆、艦攻計36機に世界最強の零戦が12機といったら、正規空母に匹敵する戦力です。珊瑚海で散った『祥鳳』の仇は必ず本官達が取りますよ」
そういった大枝は腕をグルグルと回した。
「『隼鷹』は現在横須賀に停泊している軽空母の『龍驤』と組んで1個航空戦隊を編制する。次の戦いではGF司令部から出撃命令が下るはずだ」
「珊瑚海海戦で中破した『翔鶴』の埋め合わせは出来そうですね。何せ『翔鶴』は戦列復帰まで3ヶ月以上かかる見通しですから」
「あらためて『隼鷹』へようこそ。貴官達の働きに司令官も私も期待しているぞ」
岩井が手を差し出し、大枝が力強くその手を握った。
2
「真珠湾・珊瑚海で米軍にある程度の損害を与えることには成功した。しかし、当初の目標であった短期決戦という目論見は崩壊しつつあるか・・・」
連合艦隊司令長官の山本五十六大将は旗艦「長門」の艦橋で静かに話を始めた。
「それどころか、真珠湾攻撃が偶然の重なりから『騙し討ち』となって米国民の戦意を大きく煽る結果となってしまった」
「真珠湾攻撃から既に半年が経過した現在、米国の生産能力は頂点に達しようとしています。これから米軍は徐々に戦力を増強し、戦局の巻き返しに計ってくるはずです」
連合艦隊参謀長の伊藤整一少将が発言した。知米派で知られる伊藤は米国が持つ力について十分過ぎるほどに理解しており、その顔は僅かに青ざめていた。
「短期決戦」を戦略目標に定めた日本軍は、昨年の12月の真珠湾攻撃とマレー半島侵攻によって戦端を開いたが、蓋を開けてみると米軍の撃滅にはほど遠い状況となってしまっている。
戦艦は4隻の撃沈が確認されているものの、肝心の空母は珊瑚海で撃沈したレキシントン級の1隻だけで、大多数の空母はまだ健在なのだ。
更に戦略目標であったポートモレスビーの攻略にも失敗し、戦線も停滞してしまっている始末だ。
そのような事情が重なり、次の作戦は慎重に展開しなければならなかった。
「次の作戦目標はミッドウェーですか、それとも他の場所ですか?」
連合艦隊主席参謀の藤井茂中佐は山本に質問を投げかけた。真珠湾攻撃を発案した奇才ならば腹案があるのではないかと期待しているのだろう。
「実は軍令部のある士官に頼んで次期作戦の概要を既に組み上げてもらっている。司令部の面々には事後報告を取る形になってしまったが」
山本が先程までの沈痛な雰囲気とは打って変わって生き生きした顔で次期作戦の概要の説明を開始した。
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