日米太平洋戦記 太平洋争覇戦
霊凰
第1章 両軍の思惑
第1話 傷ついた巨艦
1
1942年5月17日、日本最大の軍港の一つである、呉軍港は盛況に満ちていた。太平洋戦争開戦から約半年が経過した現在、呉には多数の艦が停泊していたのだ。
各艦の甲板上では多数の水兵が忙しそうに働いており、正しく戦時下を思い起こされるような状況であった。
東海岸では4月のインド洋作戦で大活躍した空母「赤城」が艦の整備と、艦上機の補充をやっている真っ最中であり、その隣では日本海軍空母の第1号である軽空母「鳳翔」が練習航海に出撃しようとしていた。
北海岸のドック内では伊勢型戦艦の「伊勢」と「日向」が対空火力の増強工事に勤しんでおり、重巡「利根」がドック入り待ちの状態であった。湾口付近では多数の駆逐艦・海防艦が忙しそうにせわしなく航行していた。
その呉軍港に、タグボートに先導されて1隻の巨艦がゆっくりとした船足で入港しようとしていた。
飛行甲板は断ち割られており、3基ある航空機用エレベーターの内、全部の1基が大きく陥没していた。
発生したガソリン庫の引火によって艦が全体的に薄黒く染められており、水面下も僅かに損傷しているのか重油の細い線が引かれていた。
人類の進歩と共に拡大してきた戦争の凄まじさを象徴している、といった眺めであり、その艦が視界に飛び込んできた他艦の水兵は一様に息を飲み、その作業を一時中断するほどであった。
去る5月8日に南太平洋・珊瑚海で行われた、大本営呼称「珊瑚海海戦」で1000ポンド爆弾3発を被弾し、中破相当の損害を受けた5航戦(第5航空戦隊)所属の空母「翔鶴」だ。
史上初の空母対空母の戦いとなった同海戦で日本軍機動部隊は米軍の正規空母1隻を撃沈、同1隻に中破の損害を与えたものの、自らも軽空母「祥鳳」を失い、「翔鶴」もまた中破したのだ。
「呉のような内地では肌で戦火を感じることはできぬが、南の最前線では激しい戦いが展開されているようだな。井上長官(第4艦隊司令長官井上成美中将)の苦労が慮れるな・・・」
「全くです。我々のような根っからの鉄砲屋は『伊勢』『日向』のような戦艦こそが海軍の頂点に君臨する艦種だと長年信じて疑う事はありませんでしたが、その認識も改める時期に来たのかもしれません」
「伊勢」と「日向」がドック入りしているため、それぞれ手持ち無沙汰となっていた「伊勢」艦長高柳儀八大佐と「日向」艦長松田千秋大佐は、帰投してくる「翔鶴」をじっと見つめていた。
「『伊勢』及び『日向』がこのタイミングで対空機銃の増設を行っているという事は、我々第2戦隊も次の戦いでは出撃機会があるという認識でいいのですかな?」
松田が自慢の顎髭を撫でながら高柳に聞いた。松田と高柳は3期差であり、高柳の方が先輩のため、少し丁寧な口調となっていた。
「松田の言うとおりだな。戦艦に対空機銃を増設するというのなら『伊勢』『日向』よりも、『大和』や長門型戦艦の方が優先順位が高いはずだ」
「・・・しかし、現実にはこっちの方が対空機銃を最初に増設されたと。確定ですな」
高柳の鋭い指摘に対して松田が納得したように頷いた。
「しかし、開戦劈頭の真珠湾攻撃や珊瑚海海戦によって空母と航空機の優位性は十分過ぎるほど証明されたはずです。そんなご時世に今や旧式戦艦へと格落ちしてしまっている『伊勢』と『日向』に出番がありますかね?」
「出番があるとしたら空母の護衛かもしれぬな。第3戦隊の『比叡』『霧島』が従事している役回りだ」
「なるほど。10年前、軍令部や海軍省の中枢で中部太平洋での漸減邀撃作戦が声高に叫ばれていた頃には空母というものは戦艦の護衛という位置づけでしたが、今や逆の立場だということですか。戦争の変遷というものは面白いですな」
「高柳大佐、そういえば本官の同期に連合艦隊司令部の参謀といて務めている者がいるのですが、この前そいつと居酒屋で酒を飲み交わしたときに面白い話を少しだけ聞きましたよ」
松田の話が高柳の興味を引きつけた。
2
「翔鶴」が呉軍港に入港しつつあった頃、呉軍港に程近い飛行場には99艦爆(99式艦上爆撃機)18機と36名の搭乗員が集結していた。99艦爆はインド洋海戦や珊瑚海海戦で米英の空母に250キログラム爆弾を直撃させている名機であり、日本各地で生産が進められている機体だった。
「全員整列!」
第205航空隊艦爆隊長、大枝敏大尉は声を張り上げて号令をかけた。大枝は元は軽空母「祥鳳」の艦爆隊で小隊長を務めていた身だったが、「祥鳳」喪失を機として第205航空隊の艦爆隊隊長に任じられ、30人以上の部下を持つ立場になったのだ。
「我々第205航空隊は基地航空隊ではなく、母艦航空隊に配属される事に決定した。空母の飛行甲板は基地航空隊の飛行場と違って非常に狭い、各々着艦の際には気を十分に引き締めるように」
15分後・・・
1番機の大枝機を先頭として18機の99艦爆が次々に離陸を開始し、大空に羽ばたいていったのだった・・・
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2022年3月4日 霊凰より
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