誕生
吹雪と小休止を繰り返し、ぼんやりとした陽が外を照らし、やがて風も止み穏やかな昼を迎えようとする頃に。
小さな産声が寝室から上がる。
頼りないような、力強いような。
絶え間なく聞こえる、愛らしくも生きている証。
廊下で固唾を飲んで様子をうかがっていた使用人たちは喜びの声を上げ、騎士たちは慌てて隔離されていた主の元へはせ参じた。
「マリア!」
しばらく後始末や身づくろいのため入室を禁じていたが、解放されるやいなや早速、髪を振り乱したローレンスが飛び込んでくる。
「ローレンスさま…」
当初はマリアの慕う心を慮り隣室近くの部屋で待機を許されたローレンスだったが、陣痛の間隔が狭まり痛みのあまり声を上げるマリアを心配するあまり騒いで突入しようとするのでダビデが彼を抱えて撤収し、別の階の声が届かない部屋にグラハムともども軟禁した。
扉の前はナタリアの命を理解している騎士たちで固め、何があっても彼らがこの部屋へ来られないようにさせたおかげで、スコット医師も落ち着いて出産の対応が出来たと言える。
逆子で、予定よりひと月以上早く、母体も万全ではなく。
ようやく現れた赤ん坊はとてもとても小さい。
しかし、母子ともにつつがなく。
奇跡だった。
「男の子、です」
涙を流し、しゃくりあげながら、マリアは告げる。
「…息子…、跡取りが生まれたのか…」
東館の侍女長であるアルマが湯浴みを終えた赤ん坊をおくるみに包んで隣室からやってきた。
「旦那様。お抱きになられますか」
ナタリアが促すと、ローレンスはおののく。
「だ、大丈夫だろうか…。こんな小さい…」
おそらく、彼は今まで赤ん坊など目にしたことはないだろう。
「大丈夫です。少し小さいですが、お子様はお元気ですから。まずはこちらの椅子へお座りください」
「あ、ああ……」
マリアの枕元へ一人用のソファを運ばせ、そこへローレンスを座らせた。
そして、彼に腕の角度を指示する。
「そう、腕をそのままで…。アルマ、旦那様へお渡しして」
「はい」
アルマから渡された柔らかな布の中に金色の毛髪のついた小さな生き物がいて、目を閉じたまま小さな口をくわあと開いてあくびした。
「…まるで…仔犬みたいだな」
おくるみの中から小さな手が出てきてよろよろと動く。
ローレンスとしては悪気がないことは承知だが。
「…そうですね。生まれたての生き物はおおむねこのような顔ですよ。ほらご覧ください。ちゃんと爪も生えていて、なんて可愛らしいでしょう。旦那様とマリア様の大切な御子ですよ」
ナタリアの言葉に、慌ててローレンスはマリアへ顔を向けた。
「マリア。マリア、ありがとう。この子は私たちの愛の証で、宝物だ。大切に育てよう」
「…はい。ローレンス様…」
二人は手を取り合い、微笑み合う。
寝室には暖かな光が差し、彼らの姿は一枚の絵のような美しい光景となる。
それを後ろで見守りながらナタリアは深く息をつき、スコット医師を振り返り軽く頭を下げた。
夕方になるころにようやく、ホーン医師が到着した。
「本当にお疲れさまでした。後産も問題なく済ませられたとは、奇跡ですね。とてつもない神のご加護がついていたと、この私が言ってしまうほどの」
マリアと赤ん坊の診察を終え、東館で急遽設けたナタリアの部屋でスコット医師と三人で茶菓子をつまむ。
「王妃様と王子様はつつがなく?」
「ええ。それはそれは大きな赤ちゃんでしたよ。ちょっと育ち過ぎましたね。王妃様が経産婦だからなんとか乗り越えられたというか…、あれは憎しみと根性で生み落とされた感じで、いやもう感服しましたわ」
紅茶を飲んでいたスコット医師は思わず吹きそうになる。
憎しみ、とは。
どこに耳があるかわからないから明確に問うなどとてもできない。
「それで。早産の原因はどうなさるので?」
ホーンが悪い笑みを浮かべて尋ねる。
侍女のジャネットはやはりマリアに良からぬことを吹き込んだことが判明した。
身体に残る情事のあとを見せ、もうお前は飽きられたのだから近いうちに追い出されると囁いたらしい。
ホーン医師が診察の際にマリアから聞き出し、それをもとに書類を作成しローレンスとグラハムへ提出して、その際にスコット医師と下級侍女たちの手助けがなければマリアと子息は助からなかっただろうと説明した。
「なにも? 私はただの契約妻ですから」
この後の処分は、彼らの領域だ。
ナタリアは一切口を出さないと決めている。
しかし、この顛末がウェズリー大公の耳に届いたとき、彼女は無事ではいられないだろうと思うが、全ては悪質過ぎた。
どのようなことになろうとも、助けるつもりはない。
「それよりも問題は、この先ですね」
昨日の情事についてはローレンスがジャネットの身の程知らずな横恋慕が原因の妄言だったと言いくるめて終わるにきまっている。
あとは、出産で疲弊した母体の回復と…。
「こんな季節に生まれてしまった小さな命をどう守るか」
これに尽きる。
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