『奥様』稼業


「ナタリア様。よくぞおいで下さいました」


 東館の立派なホールになだれ込み雪まみれの外套とショールを解く間もなく、東館の侍女長であるアルマと十数人の侍女や侍従の歓待を受ける。

 ナタリアの後ろには、アニーと幾人かの下級侍女が同じように吹雪に翻弄されて雪だるま状態になっていた。


 今やナタリアの嫁入り道具の一つと言われる大男のダビデは実に有能な男だ。


 トリフォードと二人で厩舎へ獣医師のスコットを呼びに行った際、馬と荷車を運び出し、ついでに橇も用意した。

 ダビデの天候の読みは当たり、あっという間に積もっていった邸内はとても馬車では移動できる状態ではなくなり、時には視界を見失うほどの猛吹雪となった。

 ナタリアは王都で過ごしたことがほとんどないため知らなかったが、邸内の使用人たちによるとかつてない悪天候だと言う。

 辺境の厳しい環境で生活してきたナタリアとダビデにとっては、まだまだ冬としては序の口だったが、なんにせよ役に立てて何よりだ。


 無事にスコットを東館へ送り届けたのち、東館と本館の間の馬で通れる道にロープを張り、馬に橇を引かせながら自身は手綱を引いて歩く。

 その橇にナタリアを含めた女性たちが固まって乗り、ようやく東館へたどり着いた次第だ。



「あとでセロンや行政官たちも来るわ。ここに侍従と侍女を数人待機させてちょうだい。それと、暖炉の火と、本館に面した窓辺の灯を絶対に絶やさないようにして」


「はい。おおせのままに」


「もしも人手や物品が足りなかったら本館の者を寄こすから、セロンに相談して。ダビデが必ず運んでくれるはずよ」


 東館には家令のグラハムがいるはずだが、彼が積極的に動くとは到底思えない。


「それと。この中に出産に立ち会った経験のある人はいる?」


 居並ぶ東館の使用人たちを見回し、尋ねた。


 すると、全員首を傾げ、互いに視線を交わし合う。

 ナタリアの質問の意図が分かず不安げな様子だ。


「……念のために聞いただけだから、安心して。おそらく東館にはいないだろうと思ったから、こちらから経験者を募って連れて来たの。命にかかわることだから、この人たちがマリア様のそば近くに詰めさせます。そして出産にまつわる様々な指示を彼女たちに出してもらうこととなります。従ってちょうだい」


 ローレンスは、マリアへの愛の証として東館の使用人たちを自ら選んだ。


 洗練された空間に彼女とやがて生まれる子供を置きたかったからだ。


 それにより彼らのほとんどが貴族階級の、しかもそれなりの家柄の者ばかりとなった。


 現に、侍女長のアルマは伯爵家の令嬢だ。

 そのような身分なら、家族の出産を目にすることはほとんどない。


 逆に、食器や洗濯の仕事を主とする下級侍女たちは平民と変わらない暮らしのため、生と死は身近なものだ。

 アニーに使用人たちを当たってもらい実際に経験者がいた為、即戦力としてナタリアは伴ったが、目の届かぬところで上下関係のトラブルがあっては困る。


「今夜のことが無事に解決した折には慰労と祝いを振舞います。なので、担当や身分に関しては一切目をつぶり、一丸となってマリア様をお助けしましょう」


 噛んで含めるように居並ぶ者たちに話す。

 この場にいない者についてはアルマとセロンにまかせるしかない。


「では、上へ案内して頂戴」


「はい、こちらです」


 アルマの先導で豪奢な階段をナタリアたちは駆けあがった。




「マリア、マリア、どうしたらいいんだ、マリア! ホーン医師はまだか!」


 ローレンスの焦る声が廊下にまで響く。


「破水に驚かれたのか、マリア様は大変混乱されて、うわ言を口にしたり、気を失ったりされています」


「そう……」


 アルマの説明を聞きながらナタリアは長い廊下を速足で進む。


「実は、私がマリア様を発見しました。薄着のまま冷たい廊下で立ち尽くしておられたので声をおかけしたら、その瞬間に破水されて」


「なんてこと…」


 おそらく、マリアはローレンスを探したのだろう。


「身体が冷え切っておられ、いったいどれほどの時間あそこにおられたのか分かりません」


「…スコット医師は?」


「先ほどいらしたのですが、その件についても、実は」


「揉めたのね。想定内よ、大丈夫」


 ナタリアは頷き、軽くアルマの肩を叩く。


 寝室の前に着くなり待機していた騎士たちが扉を開けてくれ、中に入ると、そこは混乱の真っただ中だった。


 可愛らしい装飾に満ちた室内はたくさんの灯りがともされ、昼間のような明るさだ。


 途方もなく大きな寝台の真ん中に小さなマリアは横たわり、せわしなく呼吸しているのが遠目にも見えた。


 ベッドに乗り上げ座り込み、マリアの手を握っているローレンス。


 その周囲では数人の専属侍女たちはただ、うろうろとさまようばかり。



「ああ、ようやくおいでなさった」


 獣医師のスコットが困り顔で歩み寄る。


「どう言う状況ですか、これは」


「それが……。正直な所、ローレンス様が逆に事態を悪化させておりますな」


「わかったわ。扉の外の騎士たちにダビデを連れて来るよう伝言してくださる?」



 本当は腕の立つ騎士たちがもっと欲しいところだが、とりあえず一人確保し、あとは自分で何とかするしかない。


 ナタリアは首と肩を軽く回して、寝台へと向かった。


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