緊急事態
ナタリアはすぐさま立ち上がりながら毛布を掴み、ローレンスの拘束を解いた。
「すぐにマリア様の元へ向かってください、ローレンス様」
「ああ。もちろんだ」
流石に酔いがさめたのか、ローレンスはすぐに起き上がり、部屋の外へ向かって駆けだす。
他の使用人たちも異様な雰囲気に気が付いたのか、不安げな様子であちこちから顔を出し始めた。
館内全体がきんとつめたい緊張感に包まれる。
「セロン、東館の誰が探しに来たの?」
髪を無造作に一つに縛りながら尋ねると、執事はローレンスの専属護衛騎士の名を上げた。
「なら、大丈夫ね……、あ、いやでも」
「そうなのです。医師は全員、帰宅してしまいました。なので、ホーン医師の元へ騎士を行かせています」
このウェズリーは医師を数人雇い、そのうちの一人が必ず常駐している。
しかし、家族の元で年越しの祝いをさせてやるために全員の休暇をナタリアが許可した。
理由は、マリアの産み月の予定日は一か月以上先で、数日前にジェニファー・ホーンが診察したところ特に異常はないとのことだったため、二泊三日くらいは良いだろうと油断してしまった。
ホーンの住まいが割と近いのも理由の一つだったが。
「いやな予感がする……」
身支度を終えたナタリアはセロンに命じた。
「医務室の鍵を開けてちょうだい。緊急事態だから」
執事である彼は全室の鍵を管理している。
「はい。すぐにお持ちします」
頷くと、セロンは執事の執務室へ向かって駆けだした。
その背中を見送った後、アニーとトリフォードへ指示を出し、ナタリアも走る。
やがて二人は医務室の前で落ち合い、中へ入った。
「ホーン医師が作成したマリア様のカルテの写しがあるはず。探しましょう」
「承知しました」
二人は執務机の引き出しや棚を探る。
「それと、トリフォードとダビデにスコット医師を東館へお運びするよう頼んだわ」
「獣医師のスコットですか?」
「ええ」
専属獣医のスコットは、厩近くの建屋で暮らしている。
昨夜の宴には最初だけ顔を出して、直ぐに引き上げた。
酒はさほど口に付けていなかった筈。
「最悪の場合、頼りになるのはスコット医師だわ」
「そんな……!」
セロンが手を止め、ぎょっと目を見開いた。
「だって、この吹雪よ? このわずかな時間に外はあっという間に積もってしまった」
ナタリアが窓へ視線を向けると、風の唸りと真っ白な雪の乱舞でみるみる桟が埋もれていく。
ほんの数時間前までは穏やかな天候だったというのに、一転して猛吹雪になってしまった。
視界が悪い上に、飛ばされそうな勢いだ。
「ホーン医師のお屋敷へ向かった騎士は戻ってこられるでしょうけれど、他の医師たちは無理でしょうね。そもそも私たちもこれから東館へ向かうのはなかなか大変だと思うわよ」
こうなると、離れ形式であったことが仇となった。
正直なところ、スコット医師を東館へ連れて行くのも難しい。
「それで、ダビデを……」
「ええ。背負ってくれるでしょう、彼なら」
ダビデはこの屋敷で一番大柄な男だ。
彼が里帰りをしないでいてくれて助かった。
「……あ、あったわ、これね」
ようやく執務机の引き出しの奥深くに皮のケースに納められていた書類を見つける。
「……やっぱり」
ざっと最後まで目を通したのち、ナタリアは肩を落としてため息をついた。
「ナタリア様。どうされたのですか」
「ちらっと、前々から小耳にはさんでいたのだけど、好転していることを祈っていたの」
顔を上げてセロンの瞳を見つめ、ナタリアは続ける。
「最後の診察ではお腹の子は逆子だった。もしも今もその状態なら……大変なことになる」
出産予定日は一か月以上先にも関わらず破水、そして逆子。
さらに吹雪で医者の到着がいつになるかわからない。
そして何よりも、マリアの身体は若くて細く、成熟には程遠い。
「私は、なんとしても二人を生かすために手を尽くすつもりよ。セロン、お願いね」
「はい」
外の風はますます強くなり、不気味な音ばかり鳴り響いていた。
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