会議を始めます1

「それで、これがグラハム卿の提示したことなんだけど」



 あの蛇面の家令はグラハムと言うらしい。


 最初の挨拶で名乗ったはずだが、内容の衝撃で記憶から飛んだ。


 交渉を終えた兄が執務室へ戻って来て、思い出せる限りの会話内容をざっと紙に書きだした。


 あと、新たに受け取ったのは金銭の授受などの決め事を締結した書類が数点。


 すでに、まとまった金を応接室に持ち込んでいたらしい。



「あちらは、うちの財政状況をほぼ把握しているということね」



 ナタリアはこめかみを指先で揉んだ。


 今の自分たちは、喉から手が出るほど金が欲しい。


 いったんなんとか持ち直しかけていたのだが、昨年季節外れの雹が降り放牧していた家畜と農作物を思いっきりやられたのが打撃になり、ジリ貧に戻った。


 それが綺麗に片付く額の結納金を提示してくるあたり、少しでも逆らうそぶりを見せたらどうなるかわかってるなと明らかに脅しにかかっている。


 凶作の原因はあくまでも自然災害。


 さすがにそこまで仕組まれたわけではないだろう。


 つけこまれ易い状況だったのは不運としか言いようがない。



「失礼します」



 ノックと同時に入室したのは、すぐ下の弟のルパートだった。


 馬を飛ばして駆けつけてくれたのだろう、騎士団の制服のままで麦の穂のような色のやわらかな金髪はすっかり乱れていた。



「ナターシャ。大丈夫か」



 大股で部屋を横切り、ぎゅっとナタリアを抱きしめてきた。


 小さなころからこの貧しい領地で一緒に育ってきたルパートは弟というより同志みたいなもので、彼のたっぷり日に当たった干し草のような匂いを嗅ぐと気持ちが和らぐ。



「うん、ありがと」



 大柄で鍛え上げられた広い背中ぽんぽんと叩きながら、ふうと息をついた。



「義姉さんの鷹が飛んできたのを見た瞬間いやな予感がしたんだけど、まさかこんな話とはね」



 ソファセットへ移動し、二人で兄夫婦の正面に座る。



「あの子、ちゃんと最短で飛んでくれたのね、良かったわ」



 トーマスに肩を抱かれて座ってるディアナは満足げに微笑んだ。


 ウェズリー侯爵の使者一行が到着し来訪の目的を告げた瞬間、ディアナは鳥小屋へ走り、常駐している騎士と飛ばせるだけの鳥を使って伝令を方々へ飛ばした。


 この領地は隣国との関係は良好で衝突が起きたりはしないが、傭兵崩れの盗賊は出る。被害を最小限におさめるにはまず情報共有なので、日ごろから様々な手段を使って細かなやり取りしている。非常時の対応に至っては家族全員慣れたものだ。



「それで、奴らは本物なのか?詐欺にしては大掛かりだよな」



 グラハムに付き従う騎士や従僕たちは侯爵家の家紋入りの衣装を身に着けていた。


 馬車は無紋であったが。



「そこなんだけど」



 ナタリアが書類の一枚を手に取った時、また、扉をノックする音がした。



「失礼します。ベインズです」


「入ってくれ」



 トーマスが声を上げると、三人の騎士が入ってくる。


 赤毛を短く刈り込み、金色の瞳が鋭いダン・ベインズ騎士団長を先頭に、豪奢な金髪にエメラルドのような緑の目をした部下のリロイ・ウインター、そして線が細くいかにも文官な雰囲気で茶色の髪と瞳のカーネル・レイン行政官だった。



「遅くなり申し訳ありません。レイン行政官も連れてきたかったので」



 屈強な武人らしい大柄なベインズがまず頭を下げると、背後にいた二人もそれに倣う。



「こちらこそ、ご足労頂きすみません、ベインズ団長」


「いえ、一大事ですから」



 黒豹を思わせる瞳をわずかに細めてベインズは答えた。



「ウィンター卿もレイン行政官も忙しいのにすまない。時間がなくてね。明日にはナターシャがここを発たねばならないから」


「・・・え?」



 三人は目を丸くする。



「どういうことですか。求婚に来たばかりだというのに」


「リロイ」



 ベインズが低い声で制すと、ウインターは端正な顔をゆがませてため息をついた。



「・・・失礼しました、つい」



 ウインターは五年前からこの地に赴任しルパートと同い年で仲が良いため、家族同然の付き合いだ。



「いいや、ほんっと有り得ないよね。俺も抗議したんだけど聞く耳持たないから、とりあえず親父殿たちに接待を任せたよ」



 トーマスはアルカイックスマイルを浮かべた。冴え冴えとした光を目から放ちながら。


 現在、執務室から一番遠い大広間に使者一行全員を押し込め、前伯爵夫妻主催の晩餐会の真っ最中だ。料理人と男あしらいが上手い酌婦を地元のギルドに緊急要請し歓待させている。



「お金、先に貰ったからね。それで贅の限りを尽くさせてる。吐くほど飲ませて明日は出られないくらいにしてって言っといたけどどうかなあ」



 その間に、策を練ろうという算段だ。



「で、レイン行政官。さっそくだけどこれらの書類、本物かな?」


「は」



 レインは胸元から取り出した眼鏡をかけ、書類を凝視する。



「・・・間違いないかと。まず大公閣下の手紙ですが、封蝋、封筒、便箋共に大公家御用達の特殊なものです。見本はこれなんですが、同じでしょう」



 肩から下げていたバッグの中から書類箱を取り出し、二つを並べた。



「大公閣下は無駄に長生きされて・・・いえ、とにかく割とどこにでも直筆の文書が出回っているのでようございました」



 白くて長い指が、とんとん、と指し示す。


 材質、筆跡ともに違いはないように見える。



「そして、婚姻届けの写しですね。それと証文。行政文書として体裁は間違いなく、あちらの証人の名前とサインともに筆跡は同じ」



 知らせを聞いて必要なものを全部そろえてきたらしく、次々とテーブルに広げた。



「これが偽造ならたいしたものです」



 この国で以前、自分の思うままに軍を動かそうとした高位貴族が勝手に文書を乱発し混乱をきたした前例があったため、騎士団には必ず行政官が数名所属するようになった。その中でもレイン行政官はまだ若いながらも有能で、何度も不正を摘発している。



「・・・ということは、私の嫁入りは確定ってことね」



 早馬が飛んでしまったのだ。


 王宮へ届いてしまえばあっという間に手続き完了だ。



「・・・俺がここにいればよかったな。そしたら確実に崖から馬ごと落としてやったのに」


「ルパート・・・。気持ちだけで十分だから」



 幼子が母に甘えるかのようにぎゅうぎゅうと抱きしめられ揺さぶられながら、弟が館にいなくてよかったとナタリアは遠い目をした。

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