263話 遅い昼食

「んがっ……?」


 ゆさゆさと肩を揺らされる感覚で俺は目覚めた。


 ぼんやり目を開けると、どこか真剣な表情で俺を見つめるマリナの姿が。俺が起きたことに気づいたマリナは、じろじろと俺の顔を覗き込む。


「おっはーイズミン。ってかもうお昼も過ぎてんだけどね。……で、だいじょぶ?」


「へ? 大丈夫とは……?」


「いやさ、昨日ウチに帰ってきてから即寝落ちしたっしょ? それからお昼を過ぎても起きてこないしさ。それでー、ママが心配だから見てきなさいって。……んで、どうなん? 体に痛いところとかない?」


 なるほど。たしかに言われてみれば、危険と隣り合わせの冒険者が宿に戻ってきてすぐに眠り込んだりしたら、心配にもなるだろう。


 俺は上半身を起こしながら体の調子を確かめるが、もちろん何も問題ない。ぐっすり眠れたせいか、寝起きだというのに頭もハッキリしている。


「ああ、大丈夫。心配かけてすまなかったな」


「えっ、あたしは別に心配してないし。駆け出しのナッシュにーがここに泊まっていた頃も、そういうのはたまーにあったから」


 ぱたぱたと手を振りながらマリナが答える。なんだい、少しくらい気にしてくれたっていいんだぜ?


「そんなことよりイズミンさー。起きたならヤクモちゃんにご飯食べさせてあげなよ。さっきからずっとお腹を鳴らしてるよー?」


 マリナが見つめる方向には、ぐったりしながらベッドで横になっている狐姿のヤクモがいた。


『なんだヤクモ、起きてたのか。……ってか、何してたんだ? 今まで』


『やることがないから、お前のつまらぬ顔を見て時間を潰しておったのじゃ。腹が減った……』


 前脚で腹をさすりながらヤクモが大きな耳をペタンと折り曲げる。きゅるる~と腹の音が聞こえてきた。


 腹が減ったなら俺を起こせばいいのにとは思うんだが、なんといっても長旅から帰ってきたところだからな。コイツなりに気を使ったんだろう。


 窓を見れば日の光がたっぷりと降り注ぎ、眩しいくらいに部屋の中へと入っている。我ながらぐっすりとよく寝たなあ。今から昼飯を自分で用意するのも面倒だし――


「なあマリナ、俺とヤクモの分の昼飯を用意してくれないかな。久々にこの宿の料理を食べたい」


「おっ、まいどありー。それじゃあええと……ママに言ってくるけど、ちょっと時間がかかるかも。出来たら呼びに行くから待ってて。あっ、それから後で昨日のキラキラ光る魔法のことも教えてよね!」


「あーはいはい」


 俺が適当に返事をすると、マリナはパタパタと音を立てながら部屋から出ていった。食堂は頼めばすぐに料理が出てくるイメージだったんだけどな。昼過ぎならそんなもんなのかね?


 俺はきゅるるると腹を鳴らすヤクモにカ○リーメイトを1ブロックだけ与えると、身支度を整えながらマリナに呼ばれるのを待つことにした。



 ◇◇◇



 マリナに呼ばれて食堂に降りた。


 昼下がりでガラガラの食堂。ママさんとパパさんは奥の方で夕食の仕込みをしており、カウンター席にはすでにパスタとパン、水の入ったコップが置かれていた。床に置かれたヤクモ専用の食器にも同じ物が入っている。


 どうやらメインとなるパスタはトマトソースの冷製パスタのようだ。食堂でパスタを食べたこともあるけれど、このレシピは初めてだな。これならさっぱりとしているし、起きてすぐ食べるにはちょうどいい料理かもしれない。


「それじゃいただきま――ん?」


 なぜか俺がメシを食うのを、マリナがカウンター越しに見守ってる。他に客もいないしヒマなんだろうが、じっと見られると食べにくい……けど、まあいいか。


 俺はパスタをクルッとフォークに巻きつけて、パクリと一口。冷たいパスタの舌触りと、すっきりした酸味に甘さを兼ね備えたソースが口の中で混ざり合う。


 今まで何度か食べたこの世界のパスタは、どれも前の世界のものに比べると少し切れやすくボソボソとしていた。だがこれは前の世界の物にかなり近く、つるっとした食感でするすると喉を通っていく。ソースの味もなかなかだ。


「おお、美味いな」


「ふふん、でしょー?」


 思わず俺が漏らした言葉に、マリナが勝ち誇るように胸を張る。残念ながら揺れるほどの胸ではないけれど、代わりに頭のツインテールがゆらゆらと揺れた。


「もしかして……これ、マリナが作ったのか?」


「そういうこと! ……まー、イズミンも遠出してお疲れだったみたいだし? ちょっとくらいはいたわってあげようかなーって。どうよ、うれしいっしょ?」


「ああ、うれしいぞ。うまいうまい!」


 俺はそう答えると、どんどん口の中にパスタを放り込んでいった。


 普段はマリナではなく、ママさんとパパさんが料理を作っている。当然それも美味いんだが、かわいい女の子が俺のために作ってくれた思うと、ひときわ美味い気がしてくるもんだよ。


 こういうサプライズは大歓迎だ。俺は人をもてなすのは好きな方だが、もちろん、もてなされるのも大好きだからな。


 そうしてパスタを食べる俺の足元では、ヤクモが口の周りをソースでべちゃべちゃにしながらパスタをすすっていた。


『うむうむ、美味いのう。このちゅるちゅる感はこの世界では実現不可能じゃと思っとったが、ようやったもんじゃわい! ズビズバー!』


 ズビズバーとパスタをすすり上げるヤクモ。どうやらヤクモも気に入ったらしい。そんな俺たち二人を眺めながら、マリナが指先でサイドテールをいじって、はにかむように笑った。


「にへへ……我ながら上手に作れたみたいじゃん。そのパスタさ、こないだ薬師局のルーニーさんがやってきてさ――」


 ――うん? ルーニー? なんでここであの眼鏡の名前が出るんだ……?


 ぴたりとパスタを口に運ぶのを止めた俺に気づくことなく、マリナが言葉を続けた。


「パスタを売り込みに来たんよ。新製品の自信作で、これから絶対に流行るんだってさ。それならイズミンが戻ってきたら食べてもらいたいな――って、恥っず! いっ、一応言っておくけど、お客さんとしてだから! 変な勘違いはすんなし!」


 少し照れたように話していたマリナは、急に我に返ったように早口でまくし立てる。だが、こっちはそれどころじゃない。


「おっ、おうっ……!」


 俺はなんとか言葉を返しながら、反射的に吹き出しかけたパスタをゴクンと飲み込んだ。


 ……今のところは体調に問題はない。ルーニー製とはいえ、おそらく大丈夫だとは思う、思うんだが――どうせなら楽しく食べ終わった後に知りたかったぜ……。


 それから俺とヤクモはゆっくりと時間をかけながら、恐る恐るパスタを食べ切ったのだった。そんなに味わって食べなくてもまた作ったげるよー? とマリナは上機嫌だったよ。



 ◇◇◇



 パスタを食べ終わった後、胃の調子を確かめるためにもすぐには動きたくはなかった俺は、少しマリナと話をした。


 その話の中で、マリナが聞きたがっていたクリーンについても教えてやった。


 てっきり「ちょっと掃除を手伝ってほしい」とか言われるのかと思いきや、「キラキラキレーだから気になっただけ。そんな便利な魔法に頼ったら、あたし絶対サボり癖がつくし」とのことだ。


 この世界の人間は一部を除いて働き者が多いよな。まあなんの保障もない厳しい世界。キリキリと働いていかないと一寸先は闇なんだろうし、こんなもんなのかね。


 そして俺はと言えば――



 ◇◇◇



 干していた洗濯物を取り込んでくるというマリナと別れ、俺とヤクモは二階の自室に戻った。ヤクモが人型に戻り、パタパタと尻尾を振る。


「腹もいっぱいになったことじゃし、この後どうするつもりじゃ? ワシとしてはじゃな、まだ日が落ちるまでは時間があることじゃし、ひとまず冒険者ギルドに行ってめぼしい依頼を探してくるのがいいと思うぞい。今日中に依頼を受けて、明日の朝イチから出発というのもオツなものじゃろう?」


 上機嫌に仕事のスケジュールを語るヤクモ。そういえば面倒くさいことになりそうなので、ヤクモには俺の長期休暇計画のことは言ってなかったんだった。


「俺は働かないぞ」


「……む?」


 俺の言葉にヤクモが首をかしげた。どうやら意味がよくわかっていないらしい。仕方がないので詳しく言ってやることにする。


「俺は、今日も明日も、働かない。働いたら負けかなと思っている」


 するとヤクモは顔をこわばらせながらも言葉を返す。


「ほ、ほう……。まあ、そうじゃな。お前がかなり稼いだことはワシもよく知っておる。じゃから……うむ、二連休くらいはアリかもしれんなあ」


「いや、俺、長期休暇に入るから。そうだな……一ヶ月くらいは休んでみたいな」


 俺の宣言にヤクモがわなわなと震えだした。


「いっ、一ヶ月じゃと!? お前っ! なんという、あわっ……あわわ、あばばばばばば……!」


 そうしてヤクモは白目を剥くと、そのまま真後ろのベッドにバターンと倒れ込んだ。おいおい、長期休暇に拒否反応を起こしたのか? さすがにこの反応は想定外だよ。


 まあそれでも俺は絶対に休むけどな。絶対にだ。

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