92話 食卓会議

 食卓がしんと静まり返った中、最初に口を開いたのは意外にもラウラだった。


「イズミさんにこの村は狭すぎる。いつか出ていくだろうと私は思ってた」


 ラウラはそれだけ言うとカレーに視線を戻し、再びカレーを食べ始めた。それを見てクリシアは眉を下げながら呟く。


「そっ、そっか、そうだよね……。普段は普通の男の子だから忘れそうになるけど、死にそうだったお父さんを治したり、魔物を倒したり、美味しいお料理を出したり……こんな小さな村なんか、すぐに飽きちゃうのも当たり前だよね……」


 いやいや、それは違う。ここはハッキリと言っておきたい。


「そういうわけじゃない。クリシアや親父さん、キースたちも俺に良くしてくれてるし、ここは住みやすくていい村だよ」


「じゃあ……どうして?」


 クリシアが俯きながら俺に問いかける。その表情は前髪が隠しているので見えない。


「ほら、俺っていろいろと美味しいものとか便利なもの出したりしてるだろ? 詳しいことは言えないけど、あれってさ、このまま村にいるとできなくなりそうなんだよね」


「……それはイズミにとって大事なことなの?」


「ん……ああ、これは大事なことだ」


 前の世界に未練がないわけではない。そんな俺に唯一残された繋がりがツクモガミだ。


 俺は別に前の世界で仕事や人生に疲れたわけでもないし、仕事を辞めて田舎に引きこもってのんびり暮らしたいなんて思ったこともない。


 ただダラダラと仕事して、仕事終わりには美味いものを食って酒を飲んで、後はかわいい彼女でもいれば最高だよな~ってぼんやり考えながら歳を重ねていただけの、だらしないサラリーマンだ。


 この村の暮らしは気に入ってはいる。だからといって前の世界の繋がりを切り捨て、何もかも忘れて暮らすというのは俺の性に合わないんだよな。


「そういうことでさ、今度ルーニーさんが町に戻るっていうし、それに無理やりついていこうかなーとか思ってる」


「イズミさん、もしかしてルーニーさんを好きになったとかじゃ……」


 ラウラがジュースの入ったコップに口をつけながら、じとっとした目を向ける。


「え? それはないな」


 きっぱりと否定してやった。見た目だけならともかく、あの性格は面倒くさすぎるだろ。


 ルーニーのことを思い出し、なんだか疲れたようなため息を漏らしたところで、これまでだんまりだった親父さんが声を上げた。


「よし! イズミの言いたいことはわかった。もちろん俺は引き止めたりはしねえぞ。お前ならどこでだってやっていけると思うからな。ただな……ひとつだけ聞きたい。もう二度とこの村には来ないつもりなのか?」


 親父さんの視線がちらっとクリシアに向いたような気がした。


「……あー、そういうわけでもないんだなあ。たまにはここにも来たいと思ってるんだけど……もしかして迷惑だったりする? そういう村の掟があったりとかさ」


 すると突然クリシアが顔を上げ、俺の手をがっしり掴みながら言った。


「迷惑なんか、そんなことない! いつだって来ていいんだからね! あの客室だってそのままにしておくから!」


 クリシアの瞳には涙が浮かんでいるが、俺との別れを惜しんでくれているのだろう。ありがたいことだよ。でも客室なんだから、俺が去ったら別の人が使えるようにしてくれよな。


「おう、お邪魔じゃなければ、ふらっと寄らせてもらうよ」


「うんっ! 絶対来てよね! 私、その、待ってるから!」


「そうだな、クリシアに忘れられないうちにまた顔を出すよ」


「忘れるわけないでしょ! バカ!」


 ぶんっと握った手を振り払いながらクリシアが怒った顔をする。湿っぽい雰囲気になるよりよっぽどいい。そこで親父さんがパンと手を鳴らした。


「よし、話がまとまったところで、今夜はお前の送別会も兼ねて騒ぐか! おいイズミ、いい酒を用意してくれるよな!?」


「ああ、任せてくれ。今夜は飲むぞ!」


「イズミ、私も飲むから!」

「友よ、俺も今夜は飲ませてもらおう」

「イズミさん、私も、飲んでいい?」


 俺は頷いて返すと、ツクモガミを操作。そこでヤクモの存在を思い出し足元を見ると、俺をじっと見ていたらしいヤクモと目が合った。


 ヤクモはやれやれと言った風に肩をすくめると、『お前の旅立ちに乾杯じゃ』とメッセージを流しながらカレーをぺろりと舐めたのだった。

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