魔性の女

Re:over

第1話

 彼は転校生の女の子に恋をしていた。授業中や休み時間、運良く登下校の時に彼女を見つけた時など、彼の目は転校生に吸い込まれる。口をぽけーっと開けて、ペンを持っていれば落としそうになるし、友達と話していれば生返事になるし、歩いていれば電柱にぶつかりそうになる。周囲の人達も彼が転校生に好意を抱いていると気づいており、友達は彼のことをよくいじる。

「おまえ、転校生のどこが好きなの?」

「うーん、どこって言われてもなー。全部としか」

 中学生の恋なんてこんなものだ。大した理由なんてないし、告白とか、付き合うだとか、よく分かっていない。アニメや漫画、ドラマから構成される大雑把な空想でしかない。ただ、彼は嘘をついていた。好きになったきっかけ、好きなところはしっかりあった。もし、好きなところを友達に言えば、気持ち悪がられるのではないかという懸念があり、心に秘めているのだ。

 転校生が来たらまず、教室はざわつき、先生がそれを沈め、自己紹介に入る。彼女の顔つきは整っていて、胸を撃ち抜かれた男子たちがまたざわつき出す。彼も、確かに彼女の顔は整っていて可愛いと感じた。しかし、心を突き動かされるほどのものではなかった。というより、彼は恋に対して無頓着で、好きとか、ドキドキするとか、そういった感情を知らなかった。

 男子のざわつきを他所に、彼女は堂々とした姿勢で自己紹介を始める。名前、出身、趣味、好きな物。ざわつきの中でも透き通る声が心地よく、もっと声を聞きたい、彼は強くそう思ったのだ。ここまで透き通るような声は聞いたことがない。何も意識せずに聞いていた自己紹介も、あたかも自分にだけ囁かれているのかと錯覚するほどに印象的であった。それだけではない。口の動きが滑らかで、見ていて心地が良い。リップクリームのツヤが大人びた印象を与える。彼は、そのような男子では気がつけない、気がついたとしても言葉にできない魅力を理解し、言葉として心に刻み込むことができたのだ。それ以降、彼女のことが気になって仕方がなかった。

 彼女が休み時間に他の友達と会話していれば、その声は喧騒を貫いて鮮明に聞こえ、話す口元を盗み見する。血色の良い唇はどこか艶めかしく、彼の気持ちを煽る。発表やグループワークも小さな幸せであった。

 もっと近くで自分だけに向けられた声を聞きたい、と思うこともあるが、この距離感に満足していた。そのため、友達に「もっと積極的に話しかければ?」や「給食当番変わろうか?」などのアドバイス、協力的な姿勢は気持ちだけ受け取っていた。

 彼としては、このままアプローチするメリットよりもリスクの方を恐れた。アプローチが上手くいかず、関係がギスギスした時、あるいは付き合って別れた時、彼女の声が濁ってしまうのではないかと思ったのだ。

 彼女の隣には誰かしら男子がいて、賑わっていた。その中には彼女と付き合っていると噂のある男子もいた。しばらくすれば、噂の男子は切り替わり、また切り替わる。そんなこんなで、五人の噂が流れ終えたところで彼氏の噂は途絶えた。それと同時に、周りで一緒に話していた男子もいなくなった。

 彼の友達は、彼を見ていて焦れったく思っていた。彼女をずっと見ているのに、話しかけようともしない。恥ずかしくて話しかけられないのかと思っていた。そこで、二人が話せる機会を作ることにした。

 彼はいつものように彼女を盗み見しながら耳を澄ましていた。そこに友達は来て、彼女を呼んだ。

「どうしたの?」

 友達の口元は緩んでいた。彼は眉をひそめる。

「こいつが話したいって」

「え?」

 驚きの声を上げる。彼女も困惑している様子であった。

「あの、今日の給食当番変わってくれない? 次、そっちが当番の時に変わるからさ」

「うん、いいよ」

 彼は上手いこと気まずい状況になるのを避け、一安心する。

「せっかく話の機会作ったのに、なんであんなこと言ったんだよ」

 友達はそう言ってつまらなさそうに席へ戻って行った。

 給食時間が終わり、彼女がやってきた。急に呼び出され、当番を変わってほしいと言われれば、不審に思っても仕方がない。

「体調でも悪かったの?」

「まぁね、そんなところ。別に大したことではないけどね」

 そう言って咳払いする。好きな人に嘘をつくのは、普通の嘘とは違った罪悪感がある。心の内側からモヤモヤが這い上がり、喉元を突き刺す。彼女の声に刺されたと言っても過言ではない。その日、彼女の声は鋭利であった。

 友達には余計なことをするな、と言い聞かせ、また平穏な生活を送ろうとした。幸い、翌日には彼女の声が正常になっていた。安心した矢先、今度は彼女から話しかけてきた。

「給食当番代わらなくていいから、一緒にケーキ食べに行こ。あ、別に奢ってほしい、ってわけではないから安心して」

 話を耳にした周囲の男子たちは何事かと一斉に振り向く。

 何が安心できるのだ、と心の中で嘆いた。男女が一緒に食事へ行くということは、すなわちデートをする、ということだ。デート、という言葉の意味は知っていても、本質は知らない。彼女とデートへ行けば、自分の保とうとしている平穏な生活が崩れる気がする。ただ、デートには憧れと好奇心があり、断ることもできそうになかった。建前があるとはいえ、好きな人とデートに行けるチャンスを逃していいのだろうか、次のチャンスはもう訪れないかもしれない。いや、そもそも、めんどくさい仕事を押し付け、何もお礼しないのは失礼なのではないか。彼女は奢らなくてもいいと言っているが、ここは奢るべきなのではないだろうか。そんな思考が往復を繰り返していると、彼女は返事を催促してきた。

「行かない?」

 彼は頭を掻いて目を左下に逸らす。

「分かった。いつ?」

 彼女は小さく笑う。それは悪魔的な笑みであった。

 約束の日、駅前は人で溢れ返っているが、手を繋いで歩くカップルが目につく。そのキラキラ具合は思わず目を逸らしたくなるようなものばかりだ。デートとはこういうものを言うに違いない。だから、手を繋ぐこともなく、ただ男女が二人でケーキを食べるだけなら、それは友達と遊んでいるのと何ら変わりない。そう言い聞かせて深呼吸する。

 彼女は白いシャツに薄ピンクのジャケット、首からはネックレス、肌色の肩掛け鞄、それから黒のスキニーパンツと白のブーツを体に纏っていた。普段、自然にしている髪も結んでいる。目が合い、彼へ向かって手を振りながら近づく。同じ中学生とは思えないほどに大人びたファッションで、彼は思わず固唾を呑んだ。明らかに釣り合わないのを肌で感じ取った。

「お待たせ。じゃあ行こうか」

 彼女はこなれた様子で歩き始める。彼は気後れしてしまい、彼女の横に並べず、一歩後ろを歩いた。周囲の目が彼女へ向く。その隣を歩く彼への嫉妬や憎悪がおまけとして飛んでくる。その精神的ダメージは到底計り知れないものであった。まるでランウェイを歩くモデルのようなスタイルの彼女はそういった視線をものともせず、ひたすら目的地を目指す。デートだからと思って用意していた話題は駅に忘れていた。そのせいで無言のままついて行くだけの男になっていた。

 これじゃあダメだ、と思い声を出す。

「どうして俺を誘ったの?」

 彼女の横に並ぼうと歩幅を広げる。

「うーん、どうしてと言われてもなぁ。前々から気になってたから、かな。あ、見えてきた。あれ」

 ポロッと出てきた「気になってた」という言葉が彼の気持ちを舞い上がらせる。

 そこはオシャレなカフェ、といった感じのお店で、外に「期間限定」という大きな文字と栗をふんだんに使ったケーキの写真がたくさん貼られている立て看板があった。中は茶色のソファが並び、ちらほら女性グループが座っていて、一番奥の席にはカップルがひっそりと食事している。女性グループは楽しそうに会話を弾ませ、店内を賑やかにしている。二人は席へ座り、メニューを開く。

「まぁ、私は頼むもの決まってるんだけどね」

 彼女はメニューを一通り見終えるとそう言った。彼は急いで決めようとメニューを行ったり来たりするが、豪華な写真とてんこ盛りな文字に圧倒され、何が何だかわからなくなった。彼女はその様子を眺めながら、またしても悪魔的な笑みを浮かべる。

「迷ってるなら、私と同じもの頼めば?」

 中学生で彼女に勝てる男子はいるだろうか。少なくとも、彼はその言葉に第三者には理解できないご都合解釈と、そこから来る嬉しさが込み上げてきた。そうして彼は、彼女と釣り合う人間になろうと、努力を始めた。

 まずは容姿。ネットでセオリーやトレンドやらを調べ、できる限り金銭的負担がかからないように気をつけながら服を揃え、髪をセットできるようになった。授業中はメガネをかけていたこともあり、これを機にコンタクトへ変えた。次は言動。さり気ない気配りや、相手の褒め方、話題の出し方や展開の仕方を勉強し、友達を相手に試してみたり、時には全く知らない人に話しかけ、練習した。

 そんなこんなしている間に何度かデートへ行き、その度に反省点を挙げて直す、ということを繰り返した。

 四回目のデートの帰りであった。

「好きです。付き合ってくれませんか?」

 彼は告白した。彼女もやっとか、と言わばかりの呆れた表情で「いいよ」と答えた。

 今まで、遠くから耳を傾け聞いていた声が隣にあった。その幸せを噛み締めながらクリスマス、初詣、バレンタイン、誕生日、ホワイトデーと月日は経った。初詣では初めて手を繋ぎ、その場面をクラスメイトが目撃して冷やかした。遠くで意外と長く続いているな、という皮肉の声もあった。彼女の誕生日には遊園地へ行き、夜景を眺めながらキスをし、ホワイトデーには手作りクッキーを渡した。

 中学三年生に進級してクラス替えがあったが、奇跡的に彼と彼女は同じクラスになった。それは残酷的とも言えた。

 休み時間になると、彼女の周りに男子が集まった。彼はその様子が気になりながらも、会話に入り込むことが出来なかった。その分、放課後はいつも一緒に帰って、定期的にデートへ連れて行った。しかし、彼女は魔性の女であった。

「ねぇ、そろそろ別れない?」

 とある放課後、別れ際に彼女は立ち止まって言った。

「え?」

 彼女は色々な男子と付き合っては別れてを繰り返している。彼氏がいることを一つの称号として考えており、興味があれば付き合い、飽きたら別れ、を繰り返している。そして、彼女は他の彼氏候補を見つけたので、別れようと切り出したのだ。

「待ってくれ、急にどうしたんだ」

 苦笑いで誤魔化しながら焦りを隠す。

「他に好きな人ができたから、別れて欲しい」

 彼女はの目は真剣で、声も低く重苦しいものであった。

「俺のどこがダメだったの? 不満があるなら直すから!」

 どうにかしてこの関係を繋ぎ止めようと説得を試みる。

「別れてくれないところが不満かな」

 しかし、彼に拒否権はなかった。

「……分かった」

 ただ頷くことしかできなかった。唇を噛み締め、目線が落ちる。目に涙が溜まり、真っ赤な鼻をすする。彼女は返答を聞くなり背中を向け、去って行った。

 休み時間になり、彼女の声が聞こえる。その度に胸を抉られるような感覚に襲われ、いつの日か感じた心地良さは、もう無くなっていた。

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