第19話
前のお父さんという言葉に対し、持月は触れても良いものか迷った。以前にも家族仲があまり良くないことは聞いていたが、そのことが関係しているのだろうか。
「友達とは行ったりしないの?」
「良さの分からない人と行っても、楽しくないでしょ」
「あぁ……。そうだね」
それは持月にも思うところがあった。彼にとって唯一の友人である嶋田は彼らの暮らす古風な街並みを忌み嫌い、一刻も早く上京することを望んでいる。持月が趣味で巡る寺院や神社、古本屋などには当然付き合ってくれず、何時しか一人で回ることが当たり前になっていた。
「まずは目当てのお寺を梯子するでしょ? それから古民家カフェで映える写真も撮って、あとは並んで燕を眺めるのも良いかもね」
「燕?」
「あの大きい川沿いに飛んでるやつだよ。河川敷に並んで座って、スタバ飲みながら二人でイチャイチャするの」
彼女は冗談っぽく、されど妖艶な表情を浮かべながら、「知ってる? あそこの川沿いにはね、夕方になるとカップルが定規で測ったみたいに等間隔で並び始めるのよ」と言った。「橋の上から見ると何だか馬鹿っぽくも思えるけど、やっぱり、一度はやってみたいかなって」
「カップル……」
照れたように頭を掻く彼女の横顔を眺めつつ、持月が静かにそう呟いていると、「この辺の取り柄って言ったら、あの川くらいでしょ?」と百瀬は彼の方を向いて言った。
「一応、街全体が世界遺産なんだけど」
持月は呆れた顔でそう指摘しつつ、内心では心踊っていた。これまでにも男女のグループで遊びに出掛けた経験はあったものの(これも嶋田の配慮によるものだが)、女子と二人で出掛ける機会など彼には今まで巡ってこなかった。
穏やかな川沿いを並んで歩き、山に囲まれた美しい景色を眺め、もしかすると手を繋いだりするのだろうか。持月の中ではそんな妄想が次から次へと膨らみ始めている。
「でも、僕と二人で出歩いたら誤解されない? ほら、えっと、カッ……」
「カップルに見えちゃう?」と彼女はニヤついて言うと、「大丈夫だよ。私の知り合いの中でお寺を見に行く子なんて絶対にいないし、河川敷には無数のカップルがまるでモールス信号みたいに並んでるんだから」
「と、等間隔にね!」
冗談交じりにそう答えた彼は、胸の内で安堵すると同時に少し残念な気持ちが芽生えていた。もしかしたらという一縷の望みも虚しく、彼女にとって持月はやはり、偶然趣味が一致した知り合いの一人でしかないのだ。
その後は今までに彼らが訪れた神社の話や、どこから眺める景色が素晴らしいかという話題が繰り広げられ、思いのほか盛り上がりを見せていたが、その和やかな時間は予期せぬ乱入者によって唐突に終わりを迎えた。「モモ! もう終わる?」
前回と同様に騒がしく扉が開いたかと思えば、姿を現したのは須藤玲奈一派だった。
「急に人数足りなくなっちゃってさ、この後来れない?」
早口にそう言ったのは、先日百瀬から色々と話を聞いた小宮という女生徒である。普段からけらけらと笑い声を上げるその女はまるで太腿を見せびらかすようにスカートを短く調整し、持月が遠目に見ても気がつくほどに化粧が濃かった。髪には部分的に深い緑色が混ざっており、近くに来るとラーメンにかけた胡椒のような香水の臭いが鼻についた。
「ねぇねぇ、どうよ?」
他に大柄な体つきをした大森という女がいた。彼女は目つきと言葉遣いが人一倍乱暴かつ威圧的で、時おり傷んだ茶髪を手でかきあげるのが癖のようだった。
松村愛美の姿は見られないが、飛車と銀の駒を引き連れた須藤玲奈は我関せずといった風にラックから雑誌を掴み取ると、ぱらぱらとページを捲り始めた。
「……あたしを誘ってくれるの?」
口元に両手を当てた百瀬は嬉しいような、戸惑うような絶妙な表情を浮かべながら、「あたしなんかが行って、迷惑にならないかなぁ」といつもの調子で答えている。
持月の方をちらりと見遣った彼女はどこか気まずそうに片目を瞑ったが、彼にはそれがどのような合図であるのか、そもそもどんな誘い話であるのかも見当がついておらず、彼女らのやりとりを静観する以外になかった。
「駄目なの?」
床の上に雑誌を放り投げた須藤玲奈が可憐な声で百瀬に詰め寄る姿は、間近で見ると驚くほどに美しかった。額の中央で分けた長い黒髪は頭頂部の辺りに光の輪が浮かび、横広で涼しげな目つきに鼻筋の通った顔つきはいかにも育ちのいい御令嬢といった風情だったが、溢れ出る威圧感や背筋が凍るほどに冷たい視線からは、どこか物騒な気配が感じられた。
「ううん、駄目な訳ないよ。あたしも行きたい! でも……」と答えた百瀬は強ばった笑みを浮かべ、「まだ図書委員の仕事が終わりそうになくて……。わざわざ待ってもらうのもみんなに迷惑でしょ? だから、今日は――」
「愛美ね、今日になってドタキャンしたの」
須藤玲奈は彼女の言葉を遮るようにそう呟いた。「もう少し、友情を大切にしてくれる子だと思ったんだけど」
「そうそう! あいつマジで腹立つわ。ぶりっ子だし、生意気だしさぁ」
大森がそう怒鳴ると、「玲奈もあんな風に男に色目ばっかり使う奴、仲間から外しちゃえば?」と続けて小宮が静かに怒りを込めて言った。
「ギリギリで言うのはひどいよねぇ。……可哀想な玲奈ちゃん」
百瀬は瞳を潤ませ、心から同情するような表情で須藤玲奈を見つめていたが、彼女はその言葉を無視するように、「じゃあ、またみんなで遊んであげるのが良いかもね」と厭らしく微笑み始めた。
刀の柄に手を翳し、抜刀術を行う寸前の侍を思わせる鋭い殺気。まるで蛇に睨まれた蛙という諺を自ら体現するように、百瀬は青ざめた表情で身を竦めていた。
「モモは、うちの親友だよね?」
「も、もちろん! 玲奈ちゃんはあたしの大事なお友達だよ」
これ以上なく柔らかで包容力のある笑みを百瀬は浮かべたつもりだったが、それでもどこか殺伐とした空気が二人の間に広がり始めた。
「今日、来れるよね?」
今にも首を切り落としそうな勢いで百瀬を見下ろす須藤玲奈は、静かに念を押す。「また親友に裏切られたら、うちへこんじゃうわ」
その言葉はどこか、百瀬を試すような口ぶりだった。彼女は思わず息を飲み、「ちょっと遅くなるかもだけど、それでも良け――」
「大丈夫。待ってるから」
「……う、うん」
「速攻でよろしく!」と大森が声を張り上げると、要件が済んだとばかりに須藤玲奈は長い髪を振りながら扉の方へと向かった。それに続いて取り巻きの二人が百瀬から遠ざかる。
「あ、あのさ」
気付けばその瞬間、持月は声を上げて彼女らを呼び止めていた。
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