第16話

 話題に上がったついでに、百瀬は須藤玲奈という人物について話してくれた。いかに卑劣で、敵に回すと恐ろしい女であるのか。


「一年の時が同じクラスだったの。あの子はいじめの主犯格でね、知ってるかな、飯島沙苗さなえって子なんだけど」


「転校した子でしょ?」


「そうそう。あの子は二学期が始まってすぐ、彼女たちからいじめに遭い始めたの。詳しい原因は分からないけど、須藤玲奈の怒りを買っちゃったのかな。初めはクラス全員から無視されたでしょ、あとは上履きをずたずたにされたり、教科書を燃やされたり、それから机を二階から――」


「百瀬も、いじめに協力したの?」


 彼は思わず口を挟んでいた。尋ねてから少し、怖くなる。


「まさか」と鼻で笑った彼女は苦い表情を浮かべると、「私はなるべく関わらないようにしてたよ」と答えた。「見て見ぬふりをしたってことで言えば、いじめに加担したことにはなるのかもね。さすがに、一人で助けに入る勇気もなかったし」


「…………」


 仮に持月がそのクラスの生徒だったなら、同じように振舞ったかもしれない。そう思うと彼女を責めることは出来なかった。


「二年はクラスも離れて平和に過ごしてたのに、三年でまた同じクラスになっちゃったの。しかも今回は初日にカラオケに誘われるでしょ、その場だけと思いながら付き合ったら妙に気に入られて、そのままグループに入れられちゃったし」


「どうして百瀬は気に入られたのかな?」


 持月がそう問いかけると、彼女は口元からゆっくりと煙を吐き出し、「便利だからじゃない?」と言った。


「玲奈ちゃんにとって私たちは友達じゃなくて、ただの駒に過ぎないと思うし。どうせ駒を集めるんなら、使い勝手の良いやつがいいでしょ。例えば大森さんは飛車で、小宮さんは銀、私は桂馬あたりかな。愛美は……」


「僕、将棋はよく分からないよ」


「要はみんな、玲奈ちゃんが恐いの。だから色んな手段を使って彼女に取り入ってるってわけ」


「取り入る……」


 持月はふと、書院造の上座に腰かける将軍を思い描いた。仕える大名の中には確かに知恵を絞って地位の向上を目論む者や、献上品を差し出して目上の者に取り入る者がいた。その構図に須藤玲奈のグループが当てはまるとすれば、何とも古いしきたりを踏襲しているものかと彼は思った。


「玲奈ちゃんには大学生の彼氏がいてね、噂では危ない連中がバックについているんだって。これは違う学校の子の話だけど、ハメ撮りされたって噂もあるんだから」


「そんなまさか」


「私だって、そんなの誰かが噂を誇張しただけに過ぎないと思ってるけど、もし本当だったらこわいでしょ?」


「うぅ」


 唸るような声を出して顔を歪めた持月は、彼の暮らす現実とはおよそかけ離れた世界の裏話に唖然としていた。彼女は驚くほどに軽い口調で語っているが、それにより卑劣な行為のリアリティが一層増して伝えられ、聞くだけでも気分が悪くなった。


「私ね、欲は誰にでもあるって君に話したけど、他人を傷つけるエゴは好きじゃないの」と彼女は静かに言った。


「暴力、暴言、それらを伴ったいじめ。無視とか精神的苦痛なんかも同じ。だから私は、あの時の自分も大嫌いだった。見て見ぬふりをするだけじゃなく、悪い流れを少しでも逸らすことが出来たら良かったのにって……」


 悔しそうに俯く百瀬の横顔を眺めた持月は、それを聞いてなぜ彼女が教室で松村愛美を庇うような振舞いをしたのかが分かった。大きな変革をもたらすことが出来ないのならばせめて、悪意の集合体をほんの少しでもそぎ落とし、誰かが負うべき傷を減らせるように彼女は試みている。


「いじめといえば、表向きは罪として認められない暴力も案外多いかもね。例えば親のしつけとか、友達同士のいざこざとか、お節介とか」


「お節介?」


「そう。本人は善意で尽くしているつもりでも、相手が実は嫌がっていたらそれって結局は苦痛になるんだから、暴力みたいなもんでしょ」


「……そうなんだ」


 世間知らずの持月にとって、百瀬という女性の価値観はこの上なく神秘的に映った。彼女の哲学に付き従えば、何か新しい世界を見せてもらえる。出会ったばかりの頃はそんな気さえしていた。


「君の話も聞かせてよ」


「え、僕?」


「うん。交友関係とか、家族関係とか」


 彼女にそう言われた持月は、数少ない友人である嶋田との関係性について話した。一人っ子で人見知りの彼にとって、遊び相手は昔から幼馴染の嶋田だけだった。自宅も近所で家族間の交流もあり、子供の頃には泊まりで温泉宿にも行った。今では彼にも数多くの友人ができ、共に過ごす時間も限られてしまったが、それでも持月は彼が昔と変わらず声を掛けてくれることを有り難く感じていた。


 そんな昔話を彼がすると百瀬はため息をつき、「君は良いよね、しがらみがなさそうで」としみじみした表情で言った。


「友達が少ないって言いたいんだよね」


「家族だって仲良さそうじゃない。うちにはと顔の似てない姉がいるけど、お世辞にも家庭環境は褒められたものじゃないし、あんまり早く帰りたくはないかな……」


 彼女の纏う空気が、雨の匂いにも似た暗鬱な匂いを帯び始めるのを持月は感じた。百瀬は家庭環境に何かしらの問題を抱えているのだろうかと彼は心の中で考えたが、すぐに彼女が別の話題を持ち出したので、それについて尋ねることは出来なかった。

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