ラブコメ世界に転生した作者ですが、物語が始まりません

高井 緑

第1話

「どした?おーい」



 肩をつつかれ、ふと我に返る。踏切の遮断機横で、しばらく突っ立っていたらしい。



「あ、もしかして学校に忘れ物した?今から戻るのは面倒っしょ、諦めて帰ろうよ」



 栗毛の女生徒が俺に話し掛けていた。隣の席の、確か自己紹介でアニメとか漫画が好きって言ってた……



樫峰かしみね


「え、初日から名前覚えるとかやるね。そそ、樫峰かおる。私の方はごめん、ちょっとうろ覚えなんだけどアサガワ君で合ってる?」



 そうか、今日は石川県にある私立丸台東まるだいひがし高等学校、通称マルヒガの入学式の日。クラスの初顔合わせだけで終わって、昼過ぎには解散になったんだっけ。



浅川拓人あさかわひろと


「あー、あさかわね、おっけー覚えた。多分」



 どうやら樫峰はコミュニケーション能力が高いタイプのオタクらしい。これからの高校生活、仲良くなれそうだ。

 ……浅川拓人?これからの、高校生活………?



「今日って高校の入学式?」


「だったでしょ」


「ごめん、今日って何日だっけ」


「入学式は大体4月6日じゃないかな……?」


「ええと、西暦から言うと」


「えっ!?2012年だけど」

 


 ああ、そうか。

 俺は夢を見ているんだ。


 2025年春。卒業を間近に控え、これから商社に勤めてバリバリ働くぞと決意も新たにベッドに潜り込んだ文系大学生の俺は、今、何故か自分が書いた恋愛小説の主人公になっているのだった。

 これほど思考がクリアな明晰夢は珍しい。それに、こんなにリアリティのある夢も初めてだ。


 目の前の樫峰ちゃんをまじまじ観察する。夢の中というと、人の顔にはうっすら靄がかかったようになっていたり、実在の人物が出てきたりしそうなものだが、そこには全然知らない、今日初めて会った女の子がはっきりとした造形で立っていた。

 俺の深層心理すごいなー、なかなか可愛い子を想像してるじゃないか。ブレザーで萌え袖、しかもオタク女子なんて属性までつけて。

 てか女子高生に手を出すのはダメだろ、もうすぐ社会人になろうってやつが……いや、だから夢の中で欲求を解消してるのか。現実で犯罪行為しちゃうよりはずっとマシだな。偉いぞ、俺。



「どうしたの急に、何か用事思い出したの?」


「ああ、ごめん。樫峰って可愛いなって見惚れてた」


「は、はぁっ!?」



 夢の中だと思ってしまえば、驚くほど滑らかに口が回った。現実の平々凡々な俺じゃ、良くても精々お調子者の三枚目くらいにしかなれないが、ラブコメの主人公たる拓人にかかれば、こんな舌の浮くような口説き文句でも不思議と様になっている感じがする。


 最近の流行りだと、どこにでもいる普通の、いかにも平均点という見た目の、女性慣れしていない男子の話がウケている。だが自分で創作するときにそれだと、現在の俺と被るところが多くてなんとなく嫌だった。

 だからいっそのこと、と浅川拓人はかなりのイケメンで女の子にも慣れている設定にしてやったのだ。



「や、やめてよねー、こんな二次オタ捕まえてさ。やっば、都会こっわー」



 県外から進学してきたのだろうか……金沢ってそんなに都会か?まぁそれはいい。


 ほら、今も口では拒否しているような樫峰ちゃんだが、その顔は恥ずかしさから耳まで赤くなって、満更でも無い様子だ。

 “俺”が同じ台詞を吐いてたら「会って初日にそれはないわ……」とドン引かれ、その後卒業まで会話することは無かっただろう。イケメンって得だなー。



「本心だってば。これからよろしく、樫峰」


「う、うん。よろしく浅川くん……」



 差し出した手を、少し照れながらも握ってくれる樫峰ちゃん。おお、女子高生の柔肌……本物の感触だ、すげぇ!ずっと触ってたいくらい柔らかくて気持ち良い……。にぎにぎ、さわさわ。



「ちょっ、浅川くん?なんか変じゃない!?」

「あ、あれ?」



 にぎにぎ、さわさわ、むにむに。



「ちょ、ちょおおおお!?おしまい!おしまいです!」


「リアルすぎる……」


「何が!?」


「ごめん、ちょっと痛いくらい抓ってくれない?」


「今度は何!?うりゃぁ!」



 手を抓ってくれ、という意味で言ったんだがほっぺたを思い切り抓られいたたたた痛い痛い!



「痛いんだけどぉ!!!」


「浅川くんがやれって言ったんでしょ!?」



 あれー?夢が醒めない。



「はぁ〜……教室だとまともそうに見えたから声掛けたんだけど、相当変な奴だね」


「ご、ごめん。なんか、え、もしかしてこれって現実?」


「もしかしなくても現実でしょ。また何か変な事言うつもり?」


「変な事って?」


「え、いやだから……こ、こんな可愛い子と隣の席だなんて、夢みたいだなー、なんて……」



 顔に手を当てもじもじと身を捩る。

 なるほど。その発想はなかった。



「いやその発想はなかった、みたいな顔しないでよ!私が妄想たくましい馬鹿みたいじゃない!あーはっず、都会こわー」


「……は、ははは」



 俺はもう、乾いた笑いしか出てこなかった。

 少し冷たい春の風が足元をくすぐる。電車の接近を知らせる警告が鳴り、遮断機が降りていく。

 火照った顔を両手でパタパタと仰ぐ“本物”の女生徒が、俺をじとっとした目で見ていた。

 もう否定するのは無理そうだった。

 

 俺がいるここは、現実だ。


 どうやら俺は、“大学生達の恋愛模様”を描いた自作小説『星とキスと礼拝堂』の主人公、浅川拓人になってしまったらしい。

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