第26話 ルーナの代理現る。2

 今から一週間前————


 ブランシュにより謁見の間に連れて来られたルーナは、数人の兵に囲まれながら魔王の前に膝を付いた。


「魔王様、お呼びでしょうか」

 玉座に座る魔王は複雑そうな表情でしばらくルーナを見下ろしていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「ルーナよ、私は神を恐れてはいないが、天罰を受けぬ方法をお前に問おう」

 唐突な哲学的な問いに、ルーナは首を傾げる。


「つ、罪を犯さない事……ですか?」

「違う。罪を神に知られぬ事だ」

 ルーナには魔王が何を言おうとしているのか、まだ計りかねていた。


「と、言いますと……?」

「先日とある者からタレコミがあったのだ。お前が私の食べるはずだった料理をつまみ食いをしたと」

「わ、私はそのような事はしていません! あ、いや……」

 ルーナはかつて厨房にて、魔王の晩餐に出されるはずであったローストビーフを一枚つまみ食いした事を思い出す。


「あ、あれはほんの出来心で! でも、あのローストビーフは美味しゅうございました!」

「そういう事ではない」

「では、どういう……?」

 魔王は憂鬱そうにため息を吐き、本題に入る。


「端的に言おう。お前はアメリアと口付けを交わしたな?」

「は、はい。魔力適性を調べるために……」

 そう、確かにルーナはアメリアとキスをした。

 そして、それは魔力適性を調べるための手段としてのキスだった事には相違ない。

 すると、魔王の声のトーンが一段低くなる。


「そこに一切の情愛が無かったと私に誓えるか?」

 ルーナが重圧を感じる程に、魔王の言葉はいつになく重かった。それはルーナが『はい』と答える事を願っているような口調ではあったが、虚言を許さぬという鋭さも宿っていた。


「あの……その……」

 そしてルーナには、アメリアに捧げたファーストキスに一切の情愛が籠っていなかったと、嘘をつく事はできなかった。


「……いえ」

 魔王にも、そして自らにも……。

 もし『はい』と言えば、これから自らが受けるであろう咎めが軽くなるであろうとわかっていてもだ。


「私は自らに出される料理がつまみ食いされていようと、余り物で作られていようと、唾をかけられていようと、私が気付かぬ事であれば叱りはせぬ。しかし、報告を受けてしまったからには王を名乗る者として、罪人を罰せぬわけにはいかぬ。わかるな?」

「はい……」

「どのような形であれ、お前は私の妃候補であるアメリアに手を付けて、それを他の者に知られた。よって私はお前を裁く」

 魔王としては、もし報告が無ければ例え自身が知っていようとも『まぁ、女同士だし別にいいか』で済ませる事ができた。しかし、面と向かって報告を受け、それを見て見ぬふりをすれば、立場上他の者達に示しがつかない。例え罪を犯した相手が信頼を置いていたお気に入りのメイドであろうとも、王として裁かねばそれは自らを慕う者達への裏切りとなってしまうのだ。


「はい。軍の一員として謹んで罰をお受けいたします」

 そして、ルーナも魔王の立場はよく理解できていた。

 だからそれ以上の反論はしなかった。

 不満もなかった。

 ただ、自分の迂闊な行動を悔いていた。

 どのような処罰が下るにせよ、アメリアに心配をさせてしまうだろうと。


「お前への処罰は追って伝える。独房にて沙汰を待つが良い。……ただ、お前のこれまでの働きに免じて温情はかけさせてもらうつもりだ」

「……ありがとうございます」

「ルーナ・パルティーンよ。このような事となり、私は本当に残念に思う」

 浮かぬ表情の魔王の顔を見て、ルーナはハッとした。

 そして微笑む。


「魔王様。ローストビーフ、美味しゅうございました」

「それについては不問にしておく」

「それから……姫様の唇も美味しゅうございました」

 それは、強がりや皮肉ではなく、余計な心労をかけてしまった魔王へのルーナなりの気遣いであった。


「フン、ぬかしおる」

 そんなルーナだからこそ、魔王は自分の妃になるであろうアメリアの付き人としたのであろう。


 その数日後にルーナに下される事となった処罰は、魔王軍が管理する東の砦への追放と、掃除婦への降格、アメリアへの接触拒否であった。


「——だから、ルーナちゃんはもう二度と姫様と会う事はできないのにゃ」

「そんな、キスくらいで……。あなたも酷いわ! そんな事わざわざ報告する必要ないじゃないの! なんで人の足引っ張るような事するのよ!?」

「ミーニャは魔王軍の人間だし、何もおかしな事はしてないにゃー」

 ミーニャはそう言ったが、ルーナがミーニャをライバル視していたように、ミーニャもまたルーナを脅威として捉えていた。持ち前の明るさと人当たりの良さと真面目さで城内の者達に好かれ、人気をメキメキと上げてきているルーナの事を。

 そしてアメリアが魔王討伐を志してからは、マチルダやプリム等の幹部達とも接触をするようになり、ルーナの注目度は更に上がってきていた。

 ミーニャはそんなルーナの弱みを握り、陥落させようと目を光らせていたところで、アメリアとのキス現場を目撃したのだ。

 そんなミーニャには、もう一つ大きな目的があった。


「それに、ミーニャは元々姫様のお付きのポジションを狙ってたにゃ」

「私の……?」

「姫様はいずれ魔王様のお妃様に……魔王様が作る国の王妃様になるお方。その姫様のお付きをしていれば、ミーニャはいずれ王妃様付きのメイドになって、地位も爆上がりというわけにゃ」

「だから私に取り入ろうとしたのね……」

「そうだにゃ。でも姫様が女の子好きじゃないとは予想外だったにゃ……」

 アメリアとルーナが恋仲であったと勘違いしているミーニャは、ルーナを追放した上でアメリアを魅了し、寝取る事で、王妃付きのメイドの地位を確立するつもりであったのだ。


「確かに私は可愛い女の子は好きだけど、同性愛者じゃないし、あなたみたいな腹黒はお断りよ! 今すぐこの部屋から出て行って!」

「ごちゃごちゃうるさいのにゃ!!」

 ミーニャは獣人の身体能力を活かした素早さでアメリアに組み付くと、頭を鷲掴みにして視線を合わせる。するとミーニャの目が妖しく輝いた。


「うぁっ……!?」

「こうなったらまどろっこしい事はやめて、これまで数多の男達を落としてきた、この『魅了の瞳』で姫様の事も落としてやるのにゃ!!」

 魔力の込められたミーニャの目に見つめられ、抵抗しようとするアメリアの意識は急速にぼやけてゆく。


「あ……うぁ……や、止め……」

 そしてアメリアの目にミーニャの姿が魅力的見え始めたその時だ——


「ひゃうっ!?」

 アメリアを押さえつけているミーニャの体が突如ビクリと痙攣し、力が抜けた。


「あぁっ! はぁん! し、しっぽはやめるのにゃあ! ひはぁっ!?」

 そしてクネクネと身をくねらせ始めたミーニャの背後には、いつの間にかマチルダとプリムが立っており、プリムはミーニャの尻尾を口に咥えてネロネロとねぶっていた。


「プリム!? マチルダ!?」


 あぁん! イヤにゃあっ! そこはダメにゃあ!


「いいタイミングだったようだな」


 はひぃん! や、やめ……! そんな舐め方……!


「どうしてここに……」


 あはぁ♡ ふにゃあ♡ ごろにゃぁぁぁぁあん♡♡♡


「うるっさぁぁぁぁぁいっ!!!!」

 マチルダが首元に手刀を当てると、ミーニャはだらしなく涎を垂らした幸せそうな表情で気を失い、プリムは口に入ったミーニャの毛をペッペッと吐き出した。


「我々もルーナの里帰りについては怪しいと思っていてな、お前に余計な心配をかけぬように独自に調査をしていたのだ」

「やっぱりあなた達にも事実は知らされていなかったのね……」

「あぁ、面倒を避けようとしたブランシュ達が根回しをしていたらしい。お陰で隠密のような真似をする羽目になった」

 マチルダ達は普段の仕事やアメリアとの修行の時間以外を軍規違反ギリギリの情報収集に当て、ようやく真実に辿り着いたのだ。


「ルーナはもう城から追放されてしまったの!?」

「いや、ルーナは今夜東の砦へと馬車で送られるらしい。どうする?」

「どうするって言われても……」

「いやしくも軍属である私達に出来る事はここまでだぞ。あいつの追放を止められるのはお前しかいない」

「でも……」

「お前はルーナを行かせたくないのではないのか?」

「そうだけど! でも、私にはどうすればいいのか……」

 そう、真実を知ったところで、アメリアには自分がどうすれば良いのか、自分に何ができるのかがわからなかった。アメリアがいくらルーナの追放を止めようとしたところで、軍の者達に取り押さえられるのがオチだろう。ここ数ヶ月の間修行をしてきたとはいえ、己の望みを貫き通すにはまだアメリアは弱過ぎた。


 パシン


 思い悩むアメリアの頬をマチルダの手が張った。


「いつものお前はどうした!? アメリア・エスポワール! 私に突きを見舞ったお前はどこに行った!?」

「マチルダ……」

「あの日、お前は私に『自分の運命は自分で切り開かなねばならない』と、『例え苦しみを伴おうとも、もう後悔はしたくない』と言ったな!? そしてお前は奇跡を起こし、運命を切り開いた! あの時のガムシャラなお前はどこに行った!?」

「運命を……切り開く……」

 すると今度は、プリムの手がアメリアの頬に優しく触れる。


「アメちゃん。ルーちゃんは今、アメちゃんを『待ってる』と思うな」

 プリムの言葉が、アメリアの耳に雷鳴のように響いた。


「私を……待ってる?」

「うん、きっと勇者を待つお姫様のような気持ちでね」

 かつて、アメリアは待っていた。

 きっと勇者が自らを助けに来てくれると信じて。

 だけど勇者は来なかった。

 あの時の絶望を、ルーナに味わわせせたくない。

 強くそう思ったアメリアは拳を握り締める。


「わかったわ……。行きましょう! ルーナを助けに!」

「それでこそアメリア・エスポワールだ! だが、何か手はあるのか?」

「決まってるでしょう! この城で一番偉い奴に直談判しに行くのよ!」

 こうして、アメリアはルーナの追放をとめるべく、魔王の元へと駆け出したのであった。

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