第25話 ルーナの代理現る。

「姫様、そろそろ起きるにゃ!」

 その翌朝、前日の件で遅くまで眠れなかったアメリアは、聞き馴れぬ声で目を覚ました。

 目を開けて体を起こすとベッドサイドには、ルーナでも、ルーナが休みの日に来てくれる恰幅の良い老メイドのマーサでもなく、頭から猫耳を生やした獣人らしきメイドが立っていた。


「……あなたは?」

「おはようございます姫様。本日より当面姫様のお世話をさせていただく事になりました、ミーニャ・アマチと申しますにゃ。ミーニャとお呼び下さいにゃ」

 声を聞くのは初めてであったが、アメリアにはそのあざとかわいい容姿には見覚えがあり、名前にも聞き覚えがあった。

 アメリアの記憶だと、それは以前ルーナと城内散策をした時に売店で店番をしていたガーゴイルから聞いた名であったはずだ。


「あなたは確か、なんちゃらメイドランキング一位の……」

「はい! よくご存知ですね。光栄ですにゃ。ミーニャは『魔王城勤務・お側に置きたいメイドさんランキング』三年連続一位にゃんです」

 そう言ってミーニャは容姿に沿った可愛らしいポーズを取って見せる。


「ルーナはどうしたの?」

「ルーナちゃんはご両親の体調が悪いらしくて、今日からしばらく里帰りをする事になったにゃ。ですから、その間はルーナちゃんの代わりに私が姫様のお世話をするにゃ」

「え? でも、昨日はブランシュさんていう怖そうな方がルーナを……」

「そっちの方はただの手違いだったらしいですにゃ。だから姫様は気にせずに、いつも通りに過ごしていただければいいにゃ」

「そう……」

「大丈夫! ミーニャはルーナちゃんからしっかり引き継ぎを受けてますにゃ! 確か姫様は魔王様を倒すために色々頑張っていて、朝はランニングから始めるんでしたね。それとも、今日はお休みにするかにゃ?」

 ルーナの事が気になるアメリアは少しだけ考える。しかし……。


「いいえ、行くわ」

「承知しました! ミーニャもお供します! 運動着とタオルは用意してありますにゃ!」

「ありがとう。でも、その語尾なんとかならない?」

「こ、これはメイドランキングの一位を維持するための、ミーニャのアイディンティティなのにゃ〜」

 困り顔で頭を抱えたミーニャを見て、アメリアは僅かに笑みを浮かべた。ルーナはライバル視していたが、どうやら悪い人物では無さそうだ。


「じゃあ、しばらくの間お願いね。ミーニャ」

「はいですにゃ!」


 そして——


 それから一週間が過ぎたても、ルーナがアメリアの元へ戻ってくる気配はなかった。アメリアは毎日のように顔を合わせるマチルダやプリムにもルーナの事を尋ねたが、二人とも心配そうな素振りを見せつつも、『詳しい事は知らない』の一点張りであった。

 ルーナの代理であるミーニャは噂以上に働き者で、アメリアの世話をよくやいてくれたが、三年間を共に過ごしたルーナと比べるとやはり痒い所に手が届かない部分があった。


 更にもう一つ気になる点があり——


「フシャァァア!!」

「ちょっとメルティア! 落ち着いて!」

 ミーニャはアメリアの魔法の修行にも付き合ってくれたのだが、召喚魔法の練習をする度にメルティアがミーニャを威嚇するのだ。


「にゃ、にゃんでフシャァするのにゃあ!? 仲良くするのにゃあ!」

 と、ミーニャは歩み寄ろうとするのだが、やはりメルティアはミーニャには懐かないのであった。


 魔法の修行場となっている屋上から塔への帰り道——


「なんでかにゃあ。ミーニャが獣人族だからかにゃあ……」

「気にしないでミーニャ。メルティアはきっとミーニャが可愛いから嫉妬しているのよ」

「でも、ルーナちゃんには懐いてたらしいにゃあ……」

 ルーナの名を聞いて、アメリアの表情が曇る。


「ねぇ、ルーナはまだ戻って来ないの?」

「姫様は毎日それを聞かれますにゃあ……。ですから、なんでもご両親のかかった病気がタチの悪い風邪らしくて、まだしばらく帰れないみたいにゃ」

「そう……」

「姫様もメルティアちゃんみたいに、ミーニャよりルーナちゃんの方がいいにゃ?」

 答え辛い質問にアメリアは言い淀む。


「そ、そういうわけじゃないけど……」

「ミーニャじゃルーナちゃんの代わりにはなれないにゃ?」

「ルーナの代わり……」

 身の回りの世話をする者という意味では、ミーニャがルーナの代わりにならないという事はないだろう。しかし、数ヶ月前ならいざ知らず、今やアメリアの中でルーナはかけがえのない特別な存在となっている。

 いや、三年前、この城に連れて来られて泣いていたアメリアを根気強く慰めてくれていた時から、ルーナはもう特別な存在だったのかもしれない。


「そうね、あなたとルーナは別の人間だから、そういう意味では代わりにはならないかもね」

 すると、それを聞いたミーニャが足を止め、アメリアは振り返る。俯いて立ち尽くすミーニャの目にはうっすらと涙が浮かび、潤んでいた。


「そうですよね、やっぱりミーニャじゃルーナちゃんの代わりにはなれにゃいですよね……」

「べ、別にミーニャちゃんに不満があるわけじゃないのよ! ほら、ルーナとは付き合いも長いし、ミーニャちゃんにはミーニャちゃんの良さが——」

「だって! ミーニャが来てから姫様はいつも上の空ですし、なんだか元気がにゃいじゃありませんか! お風呂だって一人で入られていますし!」

「お風呂?」

 アメリアはいつも修行終わりには、ルーナやマチルダ達と幹部専用浴場で入浴するのが常であったが、ルーナがいなくなってからのここ一週間は塔にあるアメリア専用浴場で一人で入るようになっていた。

 それは別に深い意味があっての事ではなかったが、アメリアとしてはルーナが戻って来たらまた皆で仲良く風呂に入りたいという、おまじないのような意味の込められた行動であった。


「私だって、代理とはいえ姫様と仲良くなりたいと思っているにゃ! だから一生懸命やっているのに……それなのに……!!」

 ミーニャは拳を握りしめ、肩を震わせてグスグスと泣き始めてしまった。


「泣かないでミーニャ。私とルーナだって最初から仲が良かったわけじゃないのよ。これから少しずつ仲良くなっていけばいいじゃない。それに、ミーニャちゃんが一生懸命やってくれているのはちゃんとわかってるし、私もミーニャちゃんともっと仲良くなりたいって思ってるわ」

「姫様……」

「でもね、ルーナはルーナだし、ミーニャちゃんはミーニャちゃんなの。違う人間に同じように接する事は難しいわ。それはわかってちょうだい」

 そう言ってアメリアはミーニャの頭を撫でた。


「なんかだか気を遣わせちゃってたみたいでごめんね。じゃあ、今日はお互いもっと仲良くなるために、一緒にお風呂に入りましょうか」

「……いいのにゃ?」

「ええ、ルーナがいないからって私もいつまでもうじうじしてられないし、ルーナが帰ってくるまではミーニャちゃんにはお世話になるんだしね。さあ、行きましょう!」

 こうしてその日、アメリアはミーニャと背中を流し合ったのであった。ただし、エキサイティングマッサージはしなかったが。


 そして、その日の夜の事であった——


「はぁ……」

 ミーニャにはあんな事を言ったものの、ルーナの事が脳裏から離れないアメリアは、窓辺に置いた椅子に腰掛けて星空を眺めていた。


 ルーナは大丈夫なのだろうか。

 ルーナは本当に里帰りしているだけなのだろうか。

 そんな答えの出るはずもない疑問が浮かんでは消えてゆく。

 星空にルーナを想うその姿は、まるで勇者を待っていた頃のアメリアに戻ったかのような様相であった。


 ルーナの事に関して、何かしらの事情があってミーニャが嘘をついている可能性は大いにある。しかし、それを問い詰めたところでミーニャが簡単に真実を打ち明けてくれるとは思えないし、ルーナの代わりに懸命にアメリアの世話をしてくれているミーニャに対してそれはできかねるのであった。

 そもそも真実を知ったところで、アメリアに何ができるというのであろうか。結局アメリアは勇者を待っていた頃と同じで、ただ情報が入ってくるのを待つ事しかできないのだ。


「ルーナ……」

 呟いたその時、アメリアはドアの向こうに何者かの気配を感じた。


「誰?」

 アメリアの問いに応えるかのように、ドアは軋みを上げてゆっくりと開く。アメリアはそこにルーナが立っている事を一瞬期待したが、そこに立っていたのは違う人物であった。


「姫様」

 そこにいたのはネグリジェ姿で手に枕を持ったミーニャであり、予想外の来訪者の予想外の格好にアメリアは驚く。


「ミーニャ? こんな時間にどうしたの? そんな格好で……」

「姫様ともっと仲良くなりたいと思って、一緒に寝に来たのにゃ」

「えぇ!? 急にそんな事言われても……」

 確かに今日、アメリアはミーニャと背中を流し合った仲ではあるが、一緒に寝るとなるとまた話は違ってくる。別にアメリアはミーニャが嫌いというわけでは無いが、知り合って一週間足らずの者に急激に距離を詰められると抵抗を感じてしまうのはアメリアだけではないだろう。


「ダメかにゃ?」

「……うん、今日はちょっと一人になりたい気分なの。ごめんなさい」

 するとミーニャはベッドに枕を放り、アメリアへと歩み寄ってきた。そして熱を持った瞳でアメリアを見つめる。


「姫様、寂しいのならミーニャを好きにしていいにゃ」

「ミ、ミーニャ何を……!?」

 ミーニャはアメリアの腕を掴むと、その細身からは想像できぬ腕力でアメリアを椅子から立ち上がらせ、強引にベッドに押し倒した。


「ちょっと! 止めてミーニャ!」

 そのまま覆い被さるかのように唇を寄せてこようとするミーニャの顔面を、アメリアは両手で押し退ける。


「どうしてにゃ? 姫様は女の子が好きなんじゃないのにゃ?」

「誰から聞いたのよそんな事!? とにかく離れて!」

「そんな事言わないで欲しいのにゃ。ミーニャじゃダメなのにゃ?」

「そういう問題じゃないってば!」

 懲りずにキスを迫るミーニャにアメリアは頭突きで応戦する。ゴチンという音が室内に響き、そこでようやくミーニャはアメリアから離れた。


「痛っっったいにゃ!! 何するのにゃ!?」

「それはこっちのセリフよ! どういうつもり!?」

「おかしいにゃ! 姫様は女の子が好きなはずだにゃ!」

「だからそれは誰情報なのよ!? 私は別に……」

「じゃあ、何でルーナちゃんとキスしてたのにゃ!?」

「えっ!?」

 ルーナとのキス。

 それは、あの日屋上でアメリアの魔力適性を調べた時のキスに違いないだろう。あの時、二人のキスを目撃していたのはプリムだけではなかったのだ。


「どうしてあの時の事を? あの時屋上に人目はなかったはずだし……」

「確かに人はいなかったにゃ。でも……」

 ミーニャがパチンと指を鳴らすと、宙空から数匹の猫が現れる。そして爛々と輝くその双眸を光らせた。


「猫の目はあったのにゃ」

 その猫達はミーニャの使い魔であり、ミーニャは使い魔達の視界や意識をジャックしたり、見てきたものを読み取る事ができるのだ。


「あなたそんな覗きみたいな事してたの!?」

「メイドランキング一位を維持するにも色々努力が必要なのにゃ。みんなに覚えてもらうために可愛い語尾をつけたりとか、色々情報を調べたりとか……あとは、ライバルの弱味を握ったりとかにゃ」

 ミーニャはニンマリと邪悪な笑みを浮かべた。


「ライバルの弱味って……。あなた、ルーナに何かしたの!?」

「別にルーナちゃんには何もしてないのにゃ。ただ魔王様に、あの日屋上で二人が何をしていたのかありのままに報告しただけなのにゃー」

 とぼけた様子のミーニャにアメリアは険しい表情で噛み付く。


「それで、ルーナは本当はどうなったの!? 今どこにいるの!?」

「姫様のメイドとして結論からお答えさせていただくと、ルーナちゃんはもう姫様の元に戻っては来ないのにゃ」

「何ですって!?」

 強張るアメリアの表情に、ミーニャは歪な笑みを浮かべる唇を更に歪めた。

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