第13話 お芝居をしました。

 その日、魔王城の中にある小さな劇場には奇妙な光景があった。

 劇場内に設置された舞台の上には緊張した面持ちのアメリアと、椅子に座りギターを抱えたマチルダの姿があり、客席の最前列ではルーナがその様子を見守っている。まるでこれからコンサートでも始まりそうな雰囲気だ。


「アメリア、準備はいいか? いくぞ?」

 マチルダが尋ね、

「はいっ!」

 アメリアが無駄に良い声で返事を返すと、マチルダはトントンと足で拍子を取り、ポロポロと軽快な曲を奏で始める。


「喜べ!」

 そしてマチルダが命じると、アメリアは満面の笑みを浮かべ、まるで恋人と野原で戯れるかのように舞台上をスキップし始めた。


「あはははは、ウフフフフフ……」

「よし次! 怒れ!」

 マチルダは続いてジャカジャカと激しい曲を奏で始める。それに合わせて、アメリアの表情や動きが変わった。


「ふざけんじゃないわよ! 何考えてんのよ! いい加減にしてよ! サラダにフルーツを入れないでよ!」

 アメリアは怒りの形相を浮かべて、まるでフラメンコでも踊るかのように舞台上を足音荒く歩き回る。


「よし! 続いて哀しみ!」

 次に奏でられたのは、テロテロとした寂しくて哀しげな曲だ。アメリアは舞台上に崩れ落ち、オイオイと泣き真似をし始める。


「あぁ、どうして……どうしてなの……。どうして私はこんなに悲しいの……」

「最後に楽!」

 緩やかな音色が劇場内に響き、アメリアは穏やかな表情で両手を広げて深呼吸をする。そして音色が止むと、ルーナは舞台上の二人にパチパチと拍手を送った。

 一見ふざけているようにしか見えないが、アメリア達が何をしているのかというと……。


 時は前日に遡る。

 中庭にていつも通りに基礎トレーニングや素振りを終えたアメリアは、例の『感情剣』という必殺技を自由に放てるようになるためのトレーニングを行っていた。しかし、先日の一撃はやはりまぐれであったのか、アメリアは感情剣を発動させる事はできなかった。

 そんなアメリアを見て、マチルダは首を傾げる。


「ふむ、やはりうまく感情を高められていないのが不発の原因のようだ」

「でも、人はどれだけ嬉しい事でも悲しい事でも、時が過ぎれば記憶は薄れていってしまうものよ。私だってそう何度も『勇者は助けに来ない』って言われた時のように怒ることはできないわ。感情のコントロールなんて本当にできるの?」

「できる」

 マチルダはキッパリと断言した。


「過去の記憶を掘り起こすのは、あくまで感情をコントロールするためのきっかけに過ぎないのだ。慣れれば風の騒めきに怒りを感じ、揺れる草花に哀しみを感じることもできるようになる」

「ふぅん。じゃあ、マチルダはそれをどうやってできるようになったの?」

「私の場合は戦場で生き抜くために死に物狂いで身に付けたものだから、参考になるようなアドバイスは難しいな……」

 そこに、それまでおとなしく二人の話を聞いていたルーナが口を挟む。


「そう考えると、お芝居の役者さんとかって凄いですよね。同じ演目を何回やっても泣いたり笑ったりすることができますし」

「そう、それこそがまさに感情のコントロールだ。彼等は秒単位で変わりゆく舞台上の変化に臨機応変に対応しながら、与えられた役に沿って感情を切り替えている。アメリアがもし役者であればあるいは……ん? 役者……そうだ!」

 その夜、マチルダは城の図書室から演劇の稽古法や役者の書いたエッセイを引っ張り出し、アメリアのために新たなるトレーニング法を編み出した。

 その一つが、今舞台上でアメリアが実践したトレーニングなのである。


「ふぅ、やっぱりダメね……。上っ面だけなのが自分でもわかるもの。私には役者の才能は無いみたい」

「いや、初めはそれでいいのだ! まずは上っ面だけでも全力で喜怒哀楽を表現できるようになる事で、やがて心はそれについてくるようになる筈だ!」

「そういうものかしら?」

「確証はない。だが普段の強気はどうした!? 元よりお前は不可能を可能にしようとしているのだ! ならば藁にも縋る思いで稽古に挑め!」

「……わかったわ! マチルダ、いえ、マチルダ先生! もう一度お願いします! 私、立派な女優になります!」

 マチルダは力強く頷くと、再びギターを爪弾き始めるのであった。


 ————そして、一月が過ぎた。


「ルーナ! もっとしっかりと床を磨きなさい! 掃除もできないなんて本当にダメな子ね! 家中の掃除が終わるまであなたに食事はさせませんからね!」

 ステージの上でゴシゴシと床を磨くルーナの尻を、布団叩きを手にしたアメリアがピシャリと叩いた。


「ああっ! やめてアメリア姉さん、私はちゃんとやってるわ! 見て、ワックスまで塗って床はもうピカピカよ!」

「嘘おっしゃい! そこに小さな虫の死体が落ちてるじゃない!」

「小さな虫……?」

「ほら、そこにいるじゃないの! やだ、まだ生きてるわ。早く殺して捨ててきてちょうだい!」

「姉さん……まさか……目が……」

 そこで二人にストップモーションが掛かり、マチルダのギターとナレーションが入る。


「——妹達を養うために拳闘士としてコロシアムに参加し続けたアメリアは、既にパンチドランカーという病に犯されていたのであった……」

 そして芝居はつつがなく進み、クライマックスを迎える。

 明点した舞台上にはアメリアの座る車椅子、そしてそれを押しているルーナと、二人の周りではしゃぐプリムの姿がある。


「アメリア姉さん、山の木々が紅く色づいてきたわ。またあの季節が巡ってきたのよ」

 そう言ってルーナがアメリアの肩にカーディガンをかけると、車椅子に座るアメリアは宙空へと手を伸ばし、何かを掴むような仕草をする。


「見える……見えるわ。ペレダの山々を彩る紅葉が、南へと去ってゆく渡鳥達の姿が……」

 それを聞いたプリムは首を傾げる。


「お姉ちゃん、渡鳥なんてどこにも……」

 ルーナの人差し指を口に当てる仕草を見て、プリムは口をつぐんだ。そしてルーナはアメリアの手を握る。


「もうすぐ厳しい冬が訪れる。全てを真っ白に染めて、身が凍るような寒さを運んでくる冬が……」

 瞳を潤ませるルーナの手をアメリアは握り返した。


「だけど心までは凍らない。だって私達は、もういつまでも一緒だもの……。人生の冬は終わったのよ」

「……そうね、姉さん。いつまでも一緒よ」

「僕も一緒だよ!」

 三人が寄り添うと、マチルダがギターで奏でる物悲しくも希望を感じさせるメロディーが劇場内に響き始める。そして緞帳がゆっくり降り始めると、客席に座っていたいた魔王軍の者達は一斉に立ち上がり、涙を流しながら盛大な拍手を送った。


「えー、本日は、劇団マチルダの第一回公演『人生の暖炉』にお越しいただき、誠にありがとうございました。ナレーションと音響は私、魔王軍親衛隊隊長兼、当劇団の主催、マチルダ・グラニエラが担当させていただきました。お帰りの際は足元にお気をつけて、お忘れ物のないように客席後方の出入り口から──」


 ☆


「まさか本当に女優になるとは思ってもいなかったわ」


 舞台袖にて汗を拭ったアメリアは、我に返ったように呟いた。

 あれから演劇式トレーニング法にのめり込んだアメリアとマチルダは、あれこれとトレーニング法に手を加えるうちにルーナを巻き込んで台本読みや小芝居をするようになり、ついには実際に公演をしてみる事となった。

 そしてマチルダは日々夜なべをして台本を書き上げ、ルーナどころかプリムまでも巻き込んで、芝居を一本作り上げてしまったのだ。


 アメリアが楽屋で着替えをしていると、マチルダが興奮した様子で歩み寄ってきた。


「アメリア、素晴らしい芝居だったぞ! これまでで一番の名演だった! 特に中盤でのプリムのミスをアドリブでリカバリーした時の集中力は見事なものだった!」

「あの、でも、マチルダ……」

「今回は私も初演出という事で奇抜な演出のないストーリーモノにしたが、次回はシチュエーションコメディーに挑戦してみたいと思うのだが——」

「マ、マチルダ」

「となると、キャストをもう少し増やして、音響として楽団も入れたいな……。小道具の方は業者に発注してもいいが、やはり自分達で作ってこそ——」

「マチルダってば!」

「なんだ? 大声を出してどうした?」

「……あなた、何か見失ってないかしら?」

「ふふっ、それは第二幕でお前を付け狙う殺し屋の背後に立った時のセリフだな。プリムの一人八役も見事だったが、私的にあのシーンは——」

「そうじゃなくて! 修行!」

 その言葉を聞いてマチルダはハッとする。

 マチルダは芝居に夢中になるあまり、当初の目的をすっかり見失っていたのだ。

 すると、いつの間にかマチルダの背後に立っていたルーナが呟く。


「いやー、随分と長いボケでしたね」

「ボボボ、ボケではない! これはトレーニングの一環だったのだ! 現にアメリアの演技力……もとい感情のコントロール力は以前よりも磨かれているはずだ!」

 確かにこの一月、修行の後にみっちり芝居にのめり込んでいたお陰で、アメリアは以前よりも感情のコントロールができるようになっていた。術の発動にまでは至らぬものの、『なんかいけそう!』というところまではきているのである。


「そういえばプリムは?」

「今日は舞台の準備と本番で疲れたから、先にお風呂に行くと言っていましたよ」

「そう、後でお礼を言わなきゃね」

 そして、昼間に修行をして夕方から芝居をするという中々ハードな二足草鞋を履いて歩き続けられたのは、ひとえにプリムの回復能力のおかげでもある。あの日の約束通り、プリムは時にはお風呂で、時にはアメリアの部屋まで来てベッドで、毎日ヌルヌル回復してくれた。

 おかげでアメリアは毎日全力でトレーニングに勤しむ事ができ、更に回復の副作用でメキメキ体力と筋力が付いてきているのが感じられている。例えばランニングにおいては初めは十分でぜーはー言っていたのが、今では軽く一時間は楽に走っていられるようになった。


 着替えを済ませたアメリア達が楽屋を去ろうとしていると、入り口のドアがノックされ、返事を返す前に開いた。するとそこに立っていたのは、黒いバラの花束を抱えた魔王であった。


「やぁ、アメリア姫。いやはや、中々面白い出し物だったぞ。とは言っても、あの三文芝居の内容が面白かったという意味ではない。私を倒すと息巻いていたはずのお前が、私を楽しませるためにコソコソ芝居の稽古をしていたという事実が実に滑稽でな。なんなら今夜俺の寝所でも一役演じて——」

「オラァァァァア!!」

 これ以上戯言を聴いていられなかったアメリアの鉄拳が魔王の顔面へと迫る。魔王はそれを片手で軽く受け止めた。


「フン、ハグにしては少々勢いがあり過ぎるようだが——」

 そして魔王がアメリアを引き寄せようとした時だ。


 バチィン!


「なっ!?」

 アメリアの拳を受け止めた魔王の手が勢いよく弾かれる。正体不明の手の痺れに、魔王は本能的に後ずさった。

 そして、それに驚いたのは魔王だけではなかった。


「ア、アメリア、お前……」

 マチルダの目に映るアメリアの拳は、僅かに赤いオーラを纏っている。それは先日マチルダが感情剣を放った時に見せた赤いオーラと酷似していた。


「や、やったーっ! 見た!? 今できた! できたわ!」

「凄いです姫様ー!」

「流石は我が劇団の看板役者だ!」

 やはり演劇式トレーニングは無駄ではなかったのだ。

 自分そっちのけで「やった! やった!」とはしゃぎ始めたアメリア達を見て、なんだかその場に居づらくなった魔王は、「あ、花束……ここに置いときますね」

 と言って、適当なところに花束を置いて楽屋を出て行く。


「私がこの城で一番偉いのに……」

 魔王のぼやきは彼女達には届かなかった。

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