舞踏会の顛末
ペアグラント侯爵夫人の舞踏会の数日前、私は王都へ到着しました。アップルトン伯爵領は夜会に当日入りできるような近場ではありませんから、宿を取る必要があるのです。デビュタントを控えた私は緊張しっぱなしで、はじめての王都を楽しむ余裕などなくあっという間に時間は立ってしまいました。
――舞踏会当日、約束通りアルス様がやってきました。
「お迎えにあがりました、ミランダ様」
アルス様が乗りつけてきた馬車は想像よりもずっとずっと立派なものでした。葦毛の二頭立てで、我が家の馬車よりも洗練されて見えます。アルス様はご自身のことを貧乏男爵家って仰っていたのに。ご謙遜なさっていらしたのでしょうか?
「ご立派な馬車ですのね」
「ははは。ちょっとした伝手がありまして。派手過ぎましたか?」
「そんなことありませんわ。とても素敵です」
「では、参りましょうか」
差し出された手を取って、馬車に乗ります。
ペアグラント侯爵のお屋敷に着くまでの車中で、私はアルス様とどんなお話したかまったく覚えていませんでした。上等な馬車の席から見える王都の街並みを堪能することもなく、緊張のあまりそれこそ石化したようにずっと座っていたのです。はじめての社交。舞踏会。心臓の音ばかりうるさく聞こえていました。
お屋敷に到着して舞踏会がはじまるまでの僅かな時間も疎かにはできません。私はあちこちに挨拶回りをしなければならないのですから。何をおいてもまずは主催者であるペアグラント侯爵夫人に、と視線を彷徨わせていると、侯爵夫人が私の姿にお気づきになられておいででした。
私が気付いた時にはもう目の前に。
驚きながらでも声と体はどうにか動いてくれました。
「お招きいただきありがとうございます。ミランダ・アップルトンと申します」
挨拶の言葉とともに作法に則った一礼。たどたどしい私の姿を見て侯爵夫人は鮮やかな紅の乗った唇を微笑ませ、すぐに「失礼を」とばかりに扇子で隠されました。
「はじめまして。そう、貴女がアップルトン伯爵のご令嬢なのね。――お体の調子はいかが?」
呪いの件は当然ご承知のはず。この場に来て呪いを振りまかれてはたまらない、というお気持ちはよくわかります。
「ご心配をおかけして申し訳ございません。お蔭様ですっかり良くなりました」
「……呪いが解けたということかしら?」
「はい。仰る通りです」
「そう、それは良かったわ。御父様もさぞお喜びでしょう」
「ありがとうございます。全てこちらのアルス様のご尽力です」
「アルス様? 貴女の今夜お相手の――」
公爵夫人は私の側で気配を消すようにして佇んでいたアルス様の姿をご覧になり、硬直し、扇子を取り落としてしまわれました。露わになった口元はあろうことかあんぐりと開いています。
「
「あ、あの、その」
おかしな動揺をする侯爵夫人にアルス様はあろうことか顔を近づけ、耳元でぼそぼそ囁くのでした。
「ここでは、アルスで通っておりますので」
とかなんとか。はっきりとは聞き取れませんでしたけれど、侯爵夫人の顔色が変わったのはよくわかりました。
「は、はい。承知しましたわ、アルス様。では、ごゆるりとお過ごしくださいませ。ミランダ嬢、そ、粗相の無いようにお気を付けになってね」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
そそくさと去っていく侯爵夫人を見送りながら私は首を傾げました。
「どうなさったんでしょうか?」
「ははは。お化けでも見たんじゃないですかね」
冗談めかしてアルス様は仰いました。
たしかにそんなお顔をしてらっしゃいましたけれど。
挨拶回りが慌ただしいながらもどうにかこなして、紅茶をいただきながら小休止。この段になってようやく気分も落ち着いてきました。緊張もほぐれて、うるさかった心音も静かになっています。
侯爵夫人自慢の楽団が音楽を奏ではじめました。
舞踏会なのですから、踊らないとはじまりません。
「あの、アルス様」
「あっはい。なんでしょうか?」
「何から何までありがとうございます。お手数ですけれど今日のダンスパートナーも、よろしくお願いいたします」
「それについては誠に申し訳ありませんが」
申し訳ない、という言葉とは裏腹にアルス様の表情は曇りひとつないものでした。
「え?」
「僕はここで失礼しますね」
「えっ? えっ?」
そんな――
ダンスのお相手をしてくださるのではないのですか、という言葉が喉からせりあがって舌に乗った時でした。アルス様はにっこりと微笑んで数歩横にズレたのでした。
「ミランダ様のエスコートは彼が引き継ぎますので」
そんなアルス様の仰る「彼」とは、
「ヴァイス様!?」
「やあ、ミランダ。久しぶり。元気そうでよかった」
私の元・婚約者のヴァイス・フェルナンド伯爵令息その人でした。
「え? え? あの?」
訳がわかりません。
婚約破棄されたのに、どうして?
「じゃあヴァイスくん、あとはお願いするね」
「はっ」
爵位が上であるはずのヴァイス様はアルス様に恭しく一礼。あはは、とはにかんだアルス様は、まるで幻か何かであったかのように忽然と姿を消してしまいました。
「あの、ヴァイス様」
「なんだい?」
「どうしてこちらへ?」
「私はミランダのデビュタントのエスコートを――、他ならぬ君に頼まれていたと思うんだが、記憶違いだっただろうか?」
それはそうですけれど。
でも……!
「でも、私がヴァイス様に呪いをかけて、婚約破棄されて、それで」
全部ご破算になったと、そう思っていましたのに。
そんな私の感傷を吹き飛ばす言葉をヴァイス様は口になさいました。
「その件はね、国王陛下の勅命で却下されたよ」
「ちょっ、勅命!?」
国王陛下が婚約破棄に待ったをおかけになったということですの?
ますますわけがわかりませんわ!
「何故ですの?」
「うん、まあ知らない方がいいこともある、ということだね……」
「その口ぶりですと、ヴァイス様はご存じですのね」
「まあね」
「いつか、教えてくださいますか?」
「そうだね。君との婚礼の儀式の時、でいいかい?」
けっ!?
「陛下をご招待させていただくことになるだろうからね」
見慣れた、けれどもう見ることは叶わないと思っていたヴァイス様の微笑みに、私の視界は少しばかり滲んでしまいました。そっと目尻を拭って、差し出された手を取り、ふたりでゆっくりと歩き出します。音楽に乗って、足を踏み出して。
ダンスはたどたどしいながらも無事に踊りきることができ、幾ばくかの拍手を頂戴することができました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます