怠惰にして慧眼にして



「あー……、痛かった。人の築いた塔には神罰が下るんですかね……」


 布の内側から聞こえるくぐもった声は女性のものだった。いや、自業自得なんじゃないかな、と僕は思った。


 布から顔を出した女性はけだるそうに目をしょぼしょぼさせながら口をむにゃむにゃさせていた。寝癖のついた長い白髪を撫でながら大きな欠伸をひとつ。彼女はズレた丸眼鏡――かけたまま寝ていたらしい――を直してこちらを見た。


「おししょうさま、おはようございます。しゃきっとしてくださいな」

「ああ、シャルロットくんですか。おはよーございます……。おや、そちらの人たちはどちらさまです?」


 彼女の言葉を耳にしたエンズが僕の脇腹を小突いてきた。それも結構強めにゴスゴスと。痛い。痛いってば。


「おい我が主よ。まさかと思うんじゃがこの眼鏡女、国王の顔も知らんのか」

「あはは、そうみたいだね」

「笑いごとではないわ、馬鹿者」


 半眼で睨まれてしまった。

 自分の主を馬鹿呼ばわりする剣もどうかと思うんだけど……。


「おや? 国王って言いました? あなたが?」

「あっはい。新しく王位を継承しましたアルベルトです」

「アルベルトくん、ってゆーと……たしか第三王子の?」

「そうですそうです」


 毛布に包まったままぼりぼりと頭を掻きながら問われ、僕は頷いた。

 そしたら横のエンズがキレた。


「今は国王じゃ! それ以上無礼な言いざまをすると眼鏡を叩き割るぞ!!」

「おーこわいこわい」


 怖いと言いながら口元はまだむにゃむにゃしている。ちょっと笑っているようにも見える。


「まあまあ、エンズ。ちょっと落ち着きなよ」

「我が主こそちょっとは怒らんか!」


 などとやっていると、


「そーいえばシャルロットくんから聞ーていました。興味がなかったので完全に忘却してましたね。これは失礼しました」


 宮廷魔術師の女性が立ち上がった。毛布がばさりと落ちてホコリが巻き上がり、魔法の光のせいでキラキラしている。ひどく猫背で飾り気の全くないローブ姿が妙に印象的だった。


「アルベルト国王陛下、お初にお目にかかります。私は先代国王より宮廷魔術師に任じられておりましたローザ・ヒルグレイブと申します」


 猫背を更に曲げてローザは一礼した。


「よろしくおねがいします。って、ヒルグレイブ姓ってことは――」

「お察しのとーり、ヒルグレイブ公爵の傍系にあたります。が、血縁としてはかなーり薄いですよ。ほぼ水みたいなもので。宮廷魔術師なった際に公爵に家名を名乗れと言われただけでして、私個人としましてはヒルグレイブの家名は贅肉のよーなものです」

「ごめんなさい。そうとは知らず失礼しました」


 僕が謝るとローザは呆気に取られたようだった。

 ややあって、ふーん、と小さく鼻を鳴らし、


「……王族がこーも簡単に謝罪を口にしますか」

「謝罪するようなことでもないじゃろうが」

「そこはアル兄さまですから」


 エンズは渋い顔をしてシャルロットは笑っていた。

 総じて褒められてはいないな、と僕は思った。


「さて、我が主よ。そろそろ本題に入るとせんかの?」

「うん。あの――」

「その本題とやらの前に、ひとつ質問してもいいですかー、アルベルトくん」


 僕が口を開きかけたところをローザが遮って、更にエンズが声を荒げた。


「おい眼鏡女! 我は既に口の聞き方に気を付けろと言っておるぞ!!」


 猛烈な殺気をものともせず、ローザは殺意の発生源であるエンズを指差した。


?」


 眉を逆立てていたエンズが一瞬動きを止めた。驚きと感心が入り混じった表情。剣呑な雰囲気はそのままにローザに近付いた。どんな名剣よりも鋭い切れ味を誇る手刀を喉元に突きつける。


「眼鏡をしておるからか? 口は悪いが目はいいようじゃな、貴様」

「魔力の流れが人とは異なりますからねー」

「フン、今の世にも貴様のような魔法使いが残っておったか。その眼力に免じて今回だけは赦してやろう。次に我のことをなどと呼べば胴と首が泣き別れすると知れ」

「これは失礼を。以後重々気を付けますので何卒ご容赦を」

「我に恐怖を感じておらんのか貴様」

「恐怖よりも好奇心が勝ってますねー、今のところ」


 ローザの眼鏡が《灯火ライト》の光でキラリとした。


「――改めてお聞きしますが、あなたは何者ですか?」

「フン。我が名はエンズ。聖魔の神剣、エンズオブエデン。我が主を守護する剣である」


 薄い胸を張ってエンズが名乗った。

 っていうか、


「エンズってそういう名前だったんだね」

「知らなんだか、我が主よ」

「聞いてないからね」

「シャルは知ってました! エンズからききましたから!」

「そういえばシャルロット殿には名乗っておったな」

「えぇ……」


 そんな僕たちをよそに、ローザは体を小刻みに震わせながら声にならない声で呟いていた。顔の大部分を覆う眼鏡が反射して表情は窺い知れない。


「王の剣……だって? 太古の女王サナリアが携えていた、終末の魔剣と同じ名前……」


 終末の魔剣とはまた物騒な。


「ああ、我のことじゃな。剣術に取り憑かれるあまり出奔し剣鬼として各国を放浪した挙句に剣姫として王家に出戻ったあのサナリナは、我の最初の主じゃ。女王になった後は退屈そうにしておったな」


 懐かしむような口調のエンズの目元は優しげだった。そんな顔もできるんだな、と僕は失礼なことを思ってしまった。

 ローザは「伝承の内容と同じことを……いや、しかし」とかぶつぶつ言っている。


「我の言葉が信じられんなら、貴様の目で確かめるがよい」


 言うなりエンズは漆黒の刃に白いオーラを纏った剣の姿になった。

 僕にとっては既に見慣れた光景でもローザは違ったようだった。


 出会った当初とはうって変わって物凄いテンションと剣幕で僕に迫ってくる。


「アルベルトくん!」

「あ、はい」

「この終末の魔剣をどこで手に入れたんですか!?」

「えーと、王位を継承した時、ですね」


 僕は肝心なところはボカしてそう答える。エンズだけでもこの反応だ。〈王の器〉の存在を知ったらどうなることか。第一、〈王の器〉のことは誰にも教えるわけにはいかない。


 僕の答えに納得したのかどうかは不明だけど、ローザはエンズに手を伸ばした。刀身に触れようとして聖なるオーラで指に傷を負ってしまっている。なのに笑っている。なおもエンズに触れようとする。なにこのひとこわい。


『ええい! 気安く触ろうとするでないわ! この痴れ者が!!』

「わーわー! 剣の状態でも喋れるんですねー!」

『やかましいわ!』


 エンズは元の少女の姿に戻るとぜえぜえと息をついて僕の背後に隠れた。いつもは僕の前か横に立つのに、珍しい反応だ。


「な、なんなんじゃこの眼鏡女は。気味の悪い」

「ねえシャル、ローザさんっていつもこうなの?」


 僕が訊くとシャルロットは「いいえ」と首を横に振った。なぜか楽しそうに。


「こんなにはしゃいでいるおししょうさま、はじめて見ました」


 その、いつになくはしゃいでいるらしいローザは荒い息を吐きながらエンズにすりよってくる。


「ハアハア……! もうちょっとだけでいーですから、剣の姿になっていただけませんかね……!」

「寄るな変質者め」


 エンズは心底嫌そうにしている。


「我はさっさと本題に入りたいのじゃが……、こやつで本当に大丈夫なんじゃろうか。いささか心配になってきたぞ、我が主よ」


 全く同感。激しく同意。

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