こわい恋人

大足ゆま子

こわい恋人






「何やってんの」

ずぶ濡れになりながら頭を抱えて座り込む彼と、湯船に顔を突っ伏して浮かぶ彼の弟の死体を見ながら、私はそう言った。



ごぼごぼ、と排水口が喉を詰まらせたようにくぐもった音を立て、薄赤いお湯を飲み込んでいった。空になった浴槽は流しきれなかった血と細かい肉片がこびりついており、スポンジで擦ると引き伸ばされて薄まった血液が、泡に絡んでピンク色の塊を作る。私はシャワーでそれらをもう一度洗い流した。

狭い洗い場には、彼の"弟"を詰め込んだ黒いビニール袋が四つと、それに囲まれて座り込んだままじっと動かない彼がいる。水と血液を吸って黒く変色した茶色いズボンを脱ぐように言うと、彼は青白い顔を横に振ってただ、「どうしよう」と呟いた。

「どうしようって?捨てに行くんだよ。このまま家に置いとくわけにもいかないでしょ」

「す、捨てる?いや、捨てるって」

何を?と聞き返した彼に、私は呆れてしまった。

あんたが殺したあんたの弟の死体だよ、と言うと彼はますます青ざめた顔をして言葉にならない悲鳴を上げ始めた。でかい体で好き勝手暴れるものだから、じたばたと動かした足が思い切りゴミ袋を蹴散らした。その感触に彼は生理的な嫌悪感を覚えたらしく、ひっと小さく喉を鳴らして足を引っ込め大人しくなる。私は無言でシャワーのカランを捻り、洗い場に広がる血を流す。

まったく。

一人で解体までしてやった私を労うこともせず、好き放題怯える彼の態度に苛立ちを感じ、思わず冷水のままシャワーをぶっかけた。彼は情けない声を出して私を見上げた。何も言わずに睨みつけると、彼は今度は泣き出した。

まったく。

泣きたいのは私の方だ、と言ってやる。夜遅くになっても帰ってこないのを心配して、彼の実家まではるばるやってきてやったら、会ったこともない彼の弟の死体が風呂場に浮かんでいたのだから。何も出来ないでただ呆然としている彼の代わりに、私が血と肉片でぐじゅぐじゅになりながら必死にバラしてやったのだ。彼が困っていたから。だから、真夜中に私は見知らぬ男をバラバラにしたのだ。

彼の前にしゃがみこむ。覗き込もうとするとと、彼が顔を上げた。

「…捨てるって言ってもさ、どこに捨てたらいいんだよ」

「それくらいそっちが決めてよ。私、この辺の土地勘ないし。山とか湖とかどこでもいいからさ、どっかないの」

「無理だよ、どこに捨ててもバレる。弟がいないって、すぐに騒ぎになっちまう」

「何言ってんの。バレないよ。ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと引きこもりだったんでしょ。この子が生きてても、死んでても、誰も興味なんてないって。そんなもんだよ」

「何で、そういうこと言うんだよ」

「はぁ?」

私を睨む彼の目に腹が立ち、声を荒らげた。彼はもう一度消え入るような声で、何でそんなこと言うんだ、と言った。そして再び肩を震わせてめそめそと泣き出し、散らばったゴミ袋を手繰り寄せて、あろうことか抱き締めた。

「ちょっと、中身出ちゃうよ」

「ごめん、ごめんな」

「服も汚れる」

「ごめんな」

ゴミ袋に顔を埋めて、ひたすらごめんごめんごめんと謝罪する彼を見て溜め息を吐く。

私は立ち上がって浴槽の蛇口を捻り、湯を落とした。血と汗でべとべとになった服を脱ぎ捨て、余ったゴミ袋にそのまま突っ込む。

湯がたまるのを待たずに浴槽に入る。隣で壊れたレコードのように繰り返される謝罪の言葉から逃げる為に、浅い水の中へと潜った。私の体から剥がれた血液がゆらゆらと水面へ登っていく。まるで成仏だな、と思った。目を閉じるともう何も聞こえなくなった。

さて、これからどうしようか。私はこれまで無数に読んだ推理小説を思い返して、優れた遺体の処理方法を探った。骨は粉末にし、肉は味噌と混ぜて団子にして魚の餌にすればいい。それが無理なら薬で溶かして海へ流そう。

そうしよう、と私は思い立った。いずれにせよ、彼と二人でいられるならこの先どこでどう生きようがどうでもいい。

浴槽の床を手で押し上げ、頭を水面に浮上させる。瞬間、大きな手が私の頭を押さえつけた。






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