第40話 夏の雨、風が浚って


 夏の盛りは厳しいが、生前と違って日陰に居れば風が心地良い。池の辺り、いつもの場所はわたしのお気に入りになりつつある。


「魔法か? 俺が使えるのは簡単な物だけだ、剣の方が向いているらしい」


 そう言って木剣を一振りしたのは、先ほどまで稽古場を駆け回っていた第五王子ノア。学園に入学するのだから多少なりとも素養はあるのだろうが、確かにゲーム内でも魔法を使う様子は無かった。


「ノア様なら、相手が魔法を放つ間に懐に入る事も容易いですものね。わたくしなど簡単に組み敷かれてしまいますわ。ここは稽古場からも離れていますし……」


「ば、馬鹿者っ! そんな蛮族のような真似をするか!」


 カミラの猛攻を木剣一本で凌ぎ切っていた時の凛々しい顔付きが瞬時に崩れ去り、初心な子供の顔に戻る。あまり揶揄うと拗ねてしまうだろうか。


「確かお前の魔法の師はミゴーとかいう男だったな。何か不満でもあるのか?」


 憮然として私の隣に座るノア。背丈はすっかり追い越されてしまった。


「いいえ、ラッシュ殿は良い師であり優れた魔法士です。ただ……」


 ラッシュの言葉は歪んでいる。側から見れば狂人としか思えぬ言い回しのせいで他者との意思疎通は困難だし、何より彼自身が現状を変えたいとは望んでいない。私以外に魔法を教える気は無いだろう。


「お前まさか、教室の者達にも彼の魔法を学ばせるつもりか? それならやめておけ、必要以上に力を付けるのを国は良く思わないぞ」


 突出した力を持つ集団は軍として認識されかねない。数ある武力集団の内の1つ、程度に留めなければ反乱を疑われてしまうだろう。


「仰る通りですわ。それに、どうやらラッシュ殿の詠唱は彼と私が唱えた時にしか効果が現れないようなのです」


 右手を出してイメージする。


「"下は大火事、上は針山、瑞座する蟲は合掌せよ"」


 手中に現れたナイフは柄から刃先まで全てが氷で出来ていた。空気中の水分が凍ったというよりは、ナイフの形をした氷が突如出現したように見える。


「ええと、下は大火事、上は針山、瑞座する蟲は合掌せよ……でいいのか? 確かに俺が唱えても何も起きないな」


 ラッシュ曰く、言葉は同じでも呼び掛ける相手が違うのだそうだ。彼や私のような者の言葉を聞く"上位者"はごく僅かだが、イメージさえ出来れば起こせない現象は無いのだとか。


「国外へ目を向ければ幾人かは居るかも知れませんが、私の周りにはこの詠唱を扱える者は居ないようです。一般的な詠唱であればアルフレッドやミシェルが扱えるので、何か魔法に関する助言でも頂ければと思いまして」


 夏の陽気で溶け始めるナイフをノアに差し出してやる。火照った身体には丁度良いだろう。


「本当に氷なんだな、見事な物だ」


 私の意図を察したノアが柄の部分を額に当てて息を吐く。体温で溶け出した水滴が鼻筋を伝い、顎の先から落ちて地面に吸い込まれていった。


「……なぁ、お前はまだ怖いのか?」


 心地良さそうに目を閉じていたノアが、溶けて細長い塊と化した氷を見つめながら問い掛けてきた。


「怖がる……私がですか?」


 質問の意味が分からず問い返してしまった。今の私はかなり間抜けな顔をしているに違いない。


「違うのか? いや、ひょっとして自覚が無いのか」


 ノアは氷を池に放ると今度は私を見つめてくる。風に流された雲が太陽を隠してしまったらしく、日陰は一層暗闇を濃くした。


「あの事件の後じゃないか、お前が親衛隊を持ちたいと言い出したのは。顔や態度には出さなくても本心では恐れているんじゃないのか?」


 あぁ、そうか。彼の眼にはそう映っていたのか。ただの方便だというのに健気な事だ。


「結果的にかすり傷で済んだが生命の危機だったんだ、怖がるのも無理は無い。有望な者を集めて鍛練を積ませてもまだ不安が拭えないんじゃないのか? それで今度は魔法まで……」


「そうですね、私はまだ怖いのかもしれません」


 自分で話題を振っておきながら、肯定されて悲しげに顔を歪めるノア。否定しても反応はさほど変わらなかっただろう。

 彼……いや、彼女は罪悪感に苛まれているのだ。己を狙う刺客の襲撃に私を巻き込んだ事を、数ヶ月経った今も気に病んでいる。


「だがっ、結局刺客を退けたのはお前だ。気を失って転がっていただけの俺よりずっと強いお前が何故? お前が恐れているものは何だ?!」


「…………」


 面倒な事に、罪悪感が要らぬ疑念を連れて来てしまったようだ。


「私など、少々魔法が得意なだけの小娘ですわ。日々腕を上げていらっしゃるノア様には遠く及ばな……」


「俺には嘘を吐くなっ!!」


 一陣の風がノアの怒声を空へ舞い上げる。聴こえたのは私だけだろう。


「お前は俺の秘密を守ってくれた。だからお前がどんな秘密を抱えていようと、俺はお前の味方だ、エヴァ! 共に森を駆け回り、剣を振るった大切な……」


 目を見開いて言葉を詰まらせるノア。自分が何を言おうとしたのかを寸の所で理解したらしい。


 賢明だ、ノア・フレイス。その先を言葉にすれば破滅が待っている。震える両手で掴んだ、私の肩を放せばいいだけだ。それ以上踏み込んだ所で私がそれを受け容れる事は無い。


「……すまん、忘れてくれ」


 うっすらと涙を浮かべる様子を哀れに思う訳ではないが、このまま戻ってはギーゼラに要らぬ心配をさせる。少しは励ましてやろう。


「ノア様のお気持ちは嬉しく思います。このような言い方は無礼かもしれませんが、幼馴染みが居るというのはとても心安らぐのですよ」


 肩に乗ったままの手にそっと私の手を重ねると、死人のように冷たいノアの手からようやく震えが消えた。


「今でも恐ろしいのは本当です。そしてあの一件で私は学びを得ました。私の手に負えない脅威は確実に存在し、それらがいつ牙を剥くか分からないのだと。故に、備えはいくらしても足りないのです」


 何せこの世界そのものがいつか私の敵に回るかもしれないのだ。悪役令嬢として物語から退場すべき私が反旗を翻す時、持てる手札は多い方が良い。せめて鍛えたこの身くらいは残っていると思いたいが。


「ですから、ノア様も強くおなり下さい」


「俺が……?」


「私の味方でいて下さるのでしょう? であればノア様が強くなる分だけ私の心は安らぎます。きっと私の窮地には馳せ参じて下さるに違いありませんもの」


 悪戯っぽく微笑む事には成功したようだ。

 喜色を滲ませて涙を拭ったノアが私の手を取る。


「あぁ、望むところだ! お前を脅かすものがあるなら、俺の剣で斬り伏せてやる。俺はもっと強くなるぞエヴァ。そうと決まれば鍛練再開だ!」


「はい。私も精進致します」


 可愛らしいものだ。是非そのまま真っ直ぐ育ってくれると、御し易くて助かる。


 あまり詮索が過ぎるなら、せめて秘密が露見しないように殺してやろう。

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