第39話 傍観し、推量し、嘆息する
アシュレイによる授業の内容は多岐に渡るが、割合としては歴史に重きを置いている。
「……ここで趨勢は決し、かの将軍は討ち死にした訳です。後にキャッストンの戦いと呼ばれるこの戦で、徴兵による兵力確保の重要性が認識されるようになりました。同時に、訓練を受けた正規軍の精強さを改めて印象付ける結果にもなった訳ですが。将軍配下の兵1人を倒すのに矢を100本消費したと云われるくらいですからねぇ、物量で押し切っていなければどうなった事やら」
戦の再燃を予言して王立学院での地位を失っただけあって、彼は王国内外の歴史に通じている。読み書きや算術、地理にも詳しいが、彼曰く学院では凡夫の域を出ないという。絶対嘘だ。
「なるほど、勝利した側である王国が今でも臆病者の誹りを受ける訳ですね。流石に1人に矢を100本というのは、真実であれば将軍の兵は人の域を越えていますが」
この世界で飛び道具といえば弓が一般的で、騎士の嗜みではあるが戦に用いる物ではないとされている。故に正規軍は弓を持たず、弓は徴兵された平民が援護として使う、戦えない者の武器という位置付けだ。弓の有用性を理解しながらも面子を守りたい冴えた卑怯者が居たのだろう。
「そうでもありませんよ。将軍の故郷は幼い頃から苛烈な鍛練を課す事で有名だったそうですからねぇ。故郷で凄絶な最期を迎えられて彼も幸せだったでしょう」
ちなみに、今しがた感想を述べたのは
実は私は今王宮にいるのだ。当然私が望んだ状況ではない。
話は先週に遡る。
※※※
「唐突ですが下名がお屋敷に出向いての授業は今日で最後になります」
特に面白くもなさそうに言い放ったアシュレイだったが、私の顔を見た途端楽しそうに口角を上げた。鳩が豆鉄砲を食らったような反応はさぞ面白かったのだろう。
「それ、は……どういった事情でしょうか」
叔母のように教える事が尽きた訳ではないだろう。教材として使っている本はまだまだ積まれているのだから。
「それは私から説明しよう」
溜め息混じりにドアを開けたのは父・レーモン。今日は王宮に行っていて、夜まで戻らないはずだったが。
「ガイヤーノが王宮の人間からよく相談事を持ちかけられているのは以前話したね?」
父の問いに首肯する。ギーゼラが慌てて椅子を持って来た。
今でこそ王立学院の資料整理という末端の職に収まっているアシュレイだが、その明晰な頭脳に助けを乞う者は少なくない。嫌味な物言いへの苛立ちを抑えてでも。
「お前の授業がある日は丸一日資料室を空ける事になる。本来の資料整理もだが、彼を独占するのにも限界があるのだよ」
アシュレイ1人の不在で支障が出る王宮の内部事情はどうなっているのやら。しかし私1人の我儘で王宮の人間達の恨みを買っては堪らない。きっと父が巧く妥協案を勝ち取ってきたのだろうし、まずは話を聞いてみよう。
「王宮側が譲歩したのは半日だけだ。しかしそれでは移動だけで終わってしまう。そこで……」
背後のアシュレイがにやりと笑った。眼で視た訳ではないが分かる、絶対に嗤った。
「お前には王宮で授業を受けてもらう事になった」
(えっ、嫌だ)
「えっ……ぅ、うんっ、こほん」
思わず溢れ出そうになる心の声を飲み込む。
あの居心地の悪い王宮へ毎週通えというのだ、妥協案を持ってきたなどと安易に考えた自分に木剣を叩き込みたい。
「もちろん、お前が屋敷での授業を望むなら他の家庭教師を充てがう事も出来るが……」
「今更アシュレイ殿以外の方は考えられません。お父様、またしてもご負担をおかけしてしまいますが、よろしくお計らい下さい」
居心地の悪さを堪え忍んででも師事する価値がこの男にはある。成人までのあと数年、吸収出来るだけしてやろうではないか。
「お前は私の大切な娘だ、負担なとど寂しい事を言ってくれるな。そもそもガイヤーノを選んだのは私なのだから、最後まで面倒を見るとも」
最近の父は僅かながら微笑む機会が増えたように思う。元々人格者ではあったので、この上愛想まで良くなった日には母以外の女性をも魅了してしまいそうで不安になる。
「だが、すまない。もちろんお前の事はこの世で一番に思っているが、パトリツィアの事も同じだけ想っている。優劣はつけられないが許しておくれ」
いや、問題無さそうだ。
「家族の愛は見ていて心が洗われますねぇ。下名は両親とも早くに他界したもので、羨ましく思ってしまいます」
またアシュレイが心にも無い言葉を紡いでいるが取り合わないでおこう。
「そうそう、家族といえば……お嬢様の将来の家族となられる方もご一緒に授業を受けられるそうですよ」
「…………今なんと?」
※※※
という訳で、どういう訳か、私はカミーユ王子と授業を受けている。
「アシュレイ殿は将軍が王国に反旗を翻した理由をどうお考えになりますか? 通説では怨恨だと云われていますが、平時には穏和で思慮深い性格であったとも。そんな彼がそのような理由で勝ち目の薄い戦を起こすでしょうか?」
「そうですねぇ。下名の個人的な意見を述べさせて頂くなら、結局のところ怨恨であったとしても蜂起に至るまでには様々な要因があったのだと考えます。当時の国王陛下が病に臥せった事、歴史的な飢饉で国民の不満が募っていた事……歴史書には書かれないような出来事を含む全てが彼を破滅へと導いたのでしょう。何か1つでも違えば王がすげ替わっていたかもしれませんし、王国内のどこかに忠義の名将を称える像が立てられていたかもしれません。歴史というのは面白いですねぇ」
眩しそうに目を細めるアシュレイ。沈黙してから本を閉じると、広げた地図を指し棒で示す。
「さて、このキャッストンの戦いの舞台となったのがこの辺り。お嬢様には授業でお話ししましたが、カミーユ様もご存知でしょう。かの二千日争乱の舞台と山脈を挟んだ反対側の地域ですね」
きっとカミーユは知っているだろう。国境の守りを任されていた父を追放し、自らが当主となるもあっさり敗北したウィンバルド千日侯の逸話は統治者の反面教師として有名だ。
「王家にとっては奪われた土地以上に面子を潰された事が痛手でしたね、よく聞かされたものです」
山脈を越えた先にある交通の便が悪い土地は今も空白地帯である。噂では未だに小領主達が小競り合いを繰り広げているとか。
「そうです! アスティだってもう3回は聞かされているんですから、今更そんなお話は不要ではありませんか?」
唇を尖らせた第二王女アステシアが抗議した、私の膝の上で。
「エヴァ義姉様、私のお部屋でお茶はいかがですか? 美味しいお菓子もあるんです!」
手紙を交わす間柄となった彼女だが、初対面の時とは大分印象が違う。自分の意見をはっきり言えるようになったし、何より笑顔が増えた。どうにも懐かれてしまったらしく甘えん坊なのには困りものだが。
「アスティ、
カミーユが私と授業を受けるのなら自分もと飛び入りして来たのはいいが、宥めるのも一苦労だ。
「ごめんなさい……私、義姉様を困らせてしまいました。こうしてお膝の上に座らせて頂くだけで嬉しいのに、舞い上がってしまったわ。お邪魔にならないように静かにしているから、まだお側にいても良いですか?」
「いえ、本日の授業はこのくらいにしておきましょう」
思った以上に消沈してしまったアスティに同情したのか、授業の終わりを告げるアシュレイ。彼に限ってそれは無いか。
「出来ればもう少し続けたかったのですが、扉の向こうに詰めかけた皆さんは待ち切れないようですねぇ」
言われてようやく扉の外に気配を感じる。
「おい、押すな! うわぁぁ!」
どうやら授業が終わるのを今か今かと待つ者達が扉に張り付いていたらしく、押し合い圧し合いした結果室内に雪崩れ込んで来た。
「何事ですか?! 高貴な方々の学びの時間を邪魔するなど無礼でしょう!」
苦笑いのカミーユ、驚いて固まるアスティ、嘆息する私。
声を荒げたのはギーゼラだった。一喝された面々はバツが悪そうに弁明する。
「いや、私は授業が終わるのを見計らおうと扉の前に居ただけで後から来た連中が」「嘘つけ、貧乏ゆすりしながら聞き耳立ててただろ!」「そもそも武官はこんな所で油売ってないで稽古でもしてろよな」「ガイヤーノの追放に賛成したエンビス派閥の人間が奴に知恵を借りようってのか。恥を知らないらしいな」「ガイヤーノさん、本職の資料整理に戻って下さいよぉ。貴方が居ないとどこから手を付けていいか……」
あんな性格でも随分多くの人間から頼りにされているようだ。確かに丸一日独占するのは限界だったのかもしれない。
「いいからまずは出て行って下さい!!」
ギーゼラの細腕に押し出された連中が扉の向こうに消えると、珍しい表情のアシュレイが後片付けを始める。本心から辟易した様子など滅多に見られるものではないだろう。
「ご覧の通りです。皆さん優秀な方々なのに、どうしても下名の意見を聞きたいようでして」
「アシュレイ殿がどれだけ王宮に必要とされているかよく分かりましたわ。本日はここまでに致しましょう」
今しがたの騒ぎを見せられたカミーユの同意も得て、少し早いが授業を終える事にする。
「それでは最後に。キャッストンの戦いで散った将軍ですが、何故降伏という選択肢を採らなかったのか。どうお考えになりますか? もちろん正解も不正解もありません。思った通りにお答え下さい」
二千日争乱から数十年後、王国内で反乱を起こした、とある将軍の最期の戦。それがキャッストンの戦いである。序盤こそ優位に戦況を進めた将軍だったが、当時の国王が病から蘇った事で風向きが変わり、最後は勝ち目の無い戦の中で命を落とした。
「当時の官僚達の腐敗が一因だとしても反乱は大罪、降伏した所で首謀者である将軍の命は無いでしょう。僕としては、故郷で最期を迎える事を望んだのだと考えます。少し感傷的で、ありきたりかもしれませんが」
カミーユの答えは優等生らしい模範回答。実際歴史書の記述でもそのように書かれている事が多い。
「私も概ね同じ考えですが、将軍の目論見はあくまで再起を計る事にあったのではないかと。出身地では求心力を保っていたでしょうし、地理にも明るいはず。王国が物量で圧し切る決断をしていなければ冬に突入して長期戦になっていたかもしれません」
山脈を背にした土地柄、冬になれば雪に閉ざされる地域だ。戦どころではない。
と、そこまで思考してから気付く。どうしてアシュレイは二千日争乱の話題を持ち出したのか。
「冬を待って山脈を越えるつもりだったんだわ。もしくは山脈の向こうからの援軍を待っていたのかも!」
手を合わせ、目を輝かせたのはアスティ。難題を解き明かした時の子供らしい顔だ。
「アスティ、そこは二千日争乱から諸侯が争いを続けていて……いや、そうか。彼らが王国へ侵攻するきっかけにはなるか」
王国の敵となった将軍にしてみれば、敵の敵は味方という事だったのかもしれない。それならばアシュレイが二千日争乱の話をした理由も分かる。
「もちろん何の証左もありません。ですが諸侯らに手を取り合わせる事が出来たなら、あるいは力ずくでまとめ上げる事が出来たとしたら……興味は尽きませんねぇ」
楽しそうに口の端を上げる元首席はしかし、片付けようとしていた地図を一瞥して乾いた笑みを溢した。
「おっと、これ以上は口を慎みましょう。またも危険思想と吊し上げられては公爵様に申し訳が立たない」
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