第2話
どうやら異世界に紛れ込んでしまったらしいと理解したのは、大き過ぎるベッドの上。まだ10歳にも届かないであろう年齢の子供を寝かせるには……いや、成人でも大きい。キングサイズを通り越してゴッドサイズとでも言えばいいか。
とにかく、独力では真ん中へ辿り着くのも一苦労のベッドへ運ばれた
「本当に具合が悪い訳ではないのですね?」
ドレスにシミを作ったままの母パトリツィアに何度目かの質問をされた。過保護過ぎて流石に苦笑いが溢れる。
「ほんとうです、おかあさま。むずかしいおはなしだったから、ねむくなってしまいましたの」
この身体の年齢では、この世界の言葉を修得出来ている筈が無い。どうせならもう少し成長した段階であれば良かったのに。おかげで一度聴いてから、脳内で私が使っていた言語に変換するというややこしい手順を踏む羽目になっている。発言する時も簡単にしか話せない。ここまでの会話すら、母の言葉のいくつかは脳内で補完している。
「そうね、貴女はまだ5歳ですもの。将来のお話をするには早かったわ。お医者様も大丈夫だと仰っていましたし、今日はもうお休みなさい」
「しんぱいかけてごめんなさい、おかあさま」
泣き出しそうに顔を歪めてから私を抱き締める母は、私の額に軽くキスをして部屋を出ていった。
使用人達も退出し、1人きりになった部屋の中で思考を巡らせる。部屋が広いからか、ひどく静かな環境は集中しやすかった。
まだ確証は無い。
だが高い確率でここはゲームの世界だ。もしくは限りなくゲームの設定に似通った別次元の異世界か。私が生きた世界でないのは言語で分かった。
「エヴリーヌ・トゥールーズ……5さいか」
その名に聞き覚えがあるのは、私が遊んだ事のあるゲームの登場人物だったからだ。
といっても主人公ではない。登場人物の一人、その中でも性格の悪さが際立つ女。手っ取り早くジャンル分けをするなら悪役令嬢と言えばいいだろう。ルートにもよるが、大抵の場合主人公に嫌がらせや妨害を繰り返す役回りである。私個人としては人間の形をした障害物程度にしか認識していなかった。
"ラヴァーズオブキングダム"、数名の攻略対象と愛を育む女性向けゲーム。略してLOK。エヴリーヌことエヴァはその登場人物の1人に過ぎないのだが、いかんせん無視出来ない部分がある。
「ゲームは10ねんご……どうしていまなの?」
ゲームは主人公含め主要人物のほとんどが15歳、学園へ入学した所から始まる。劇中で各々の過去について語られる部分はあるが、それとて彼ら彼女らが抱える事情を解決する為の糸口として用意されただけの物。過去に遡ったサイドストーリーなどは存在しない、断言出来る。だがそんな事はどうでもいい、もっと大事な事があるのだ。
「クロエ……クロエにあえる?! そうだ、あえるかもしれない!」
その事実に気付いて思わず起き上がる。そうしなければ身体の火照りでどうにかなってしまいそうだった。
クロエ。あぁ、愛しいクロエ! 彼女こそLOKの主人公にして私の想い人。ゲームに興味の無かった私を一目で虜にしてみせた美しい人。街で偶然見かけた等身大パネルに一目惚れしたその日にハードと一緒に購入し、彼女の色んな姿が見たくてゲームに没頭した。笑顔も泣き顔も、憂いも恥じらう顔も愛おしかった。攻略対象とのキスシーンだけは嫉妬で狂いそうになったが、それでも彼女を観ていられるだけで幸せだった。
だが悲しい事にゲームは全年齢向け。クロエのスリーサイズや大まかな体格は分かっても、衣服に包まれた聖域に踏み込む事は出来なかったのだ。
そして普段ゲームをしない私は知らなかった、エンディングがある事を。ゲームは攻略対象と結ばれた所で終わってしまう。幸せに過ごしましたとさ、めでたしめでたし、と。
ふざけるな。ふざけるな!!
攻略対象の誰かが、あの黒髪に触れ、唇に触れ、柔肌に触れ、秘所に触れるのか?!
嫉妬した。憎悪した。どんな可能性も見落とすまいと全てのイベントを制覇し、全てのルートも解放した。それでもやはりクロエは私の元から去って行く。あまりに残酷な結果だ、自分を落ち着かせるのにどれだけの時間が掛かっただろうか。あるいは結局最期まで狂い続けたのだったか。末路ははっきり覚えていないが、確かに私は死んだ。
「そうか、だからいまなんだ。せがたかくてむねがおおきいだけのエヴァにならないように、がんばるんだ!」
手に入れる、クロエを。私が、悪役令嬢エヴァが。
情報が必要だ。鍛練も必要だ。資産も蓄えなければ。打倒すべき全てに打ち克つ為に。差し当たって今必要な物はそう……。
「ねむい……こどもは、これだから……」
睡眠と、成長も必要なようだ。
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