悪役令嬢のなりそこない

時雨晃一

プロローグ


「エヴリーヌ・トゥールーズ。僕はここで君の罪を告発する!」


 華やかなパーティーの最中、高らかに告げる主賓へと会場の視線が集まった。視線は次に名を呼ばれたわたしへ移る。思わず緩んだ口元を扇子で隠した。


「罪……ですか。伺いましょう」


 エヴリーヌ・トゥールーズ。

 この世界では誰も知らない私のまたの名は、悪役令嬢。

 であれば、背後のヒロインを庇うように進み出る人物が誰なのかは明白、攻略対象の王子様だ。正義に燃える瞳で高らかに私の罪状をあげつらう。


「入学当初からの様々な嫌がらせは枚挙に暇が無く、更には彼女への暴力行為だ。一歩間違えば命を落としている案件も少なくない。証拠も目撃者も揃っている。言い逃れは出来ないぞ!」


「えぇ、言い逃れなどは致しません。全てわたくしの仕業です」


「まだシラを切るつもりなら彼女の口から話してもら……えっ?」


 あっさりと認めるとは思っていなかったのか、証拠も目撃者も揃っていると自分で言っておきながら驚く王子。観衆にもざわめきは拡がっていく。


「ですから、全て私です。事ある毎に難癖を付けて嫌味を言いました。彼女の私物を隠したり壊したりしました。突き飛ばしました。お茶を浴びせた事もあります。服を裂いて下着姿に……」


「や、やめてくださいっ! エヴァ様……いえ、エヴリーヌ様、どうしてですか? 入学する前はあんなに優しくして下さったのに。それとも、心の中ではずっと私を疎んでいらしたのですか。平民の分際で、と……」


 ついに私の自白を遮って進み出た彼女こそ、この世界のヒロイン。国内では珍しい艶やかな黒髪の少女の名はクロエ。

 僅かに怯えた表情であっても、髪と同じ黒真珠の瞳の奥には芯の強さが窺える。パーティーの為にあつらえさせた青いドレスは均整の取れた肢体をなぞり、凪いだ海面を思わせる。


「あら……まだ分からない? 貴女が平民かどうかなど私には関係の無い事です、クロエ。例え貴女が奴隷でも、あるいは王女であったとしても、私は同じような事をしたでしょう」


 怯えながらも私を真っ直ぐ見据えていた視線が揺らぎ、真一文字に結んでいた唇が僅かに開いて震える。落ちた朝露に揺れる花弁の如きそれに私の唇が歪むのが分かった。


「だ……だとしたら何故だっ、エヴァ! 君とクロエは身分は違えど、仲の良い友人だったと聞いている。教えてくれ、未来の我が妻よ!」


 困惑して言葉を失うクロエの代わりに問いを投げたのは王子。本来なら婚約を破棄する役目の彼は、未だ私を妻と呼ぶようだ。丁度いい、無能でなくとも鈍感でお人好しの彼にも分かるように、はっきり伝える事にしよう。


「愛しているのです、クロエ。貴女が欲しい」


 その為に必要な手段は全て講じた。人も集めた。資金も潤沢。私自身も鍛練を積んだ。後は邪魔な要素を排除するだけ。

 伸ばした手の先、あと数本歩み寄るだけで届く場所に居る彼女を手に入れる為に必要な犠牲も払ってきた。


「わた、し……を? 愛して……?」


「えぇ、愛しています。貴女の心も身体も欲しい。出来れば私の事も愛して欲しい」


 抱き締めたらさぞ心地良さそうな腰から腿にかけてのラインを視線でなぞり、もう一度上へ。柔らかくも弾力のある双丘に顔を埋める日がとうとう来たのだと考えるだけで、身体の奥底から熱が湧き出でる。


「私だってエヴァ様の事はお慕いしています! エヴァ様も私に親愛の情を抱いて下さっているのなら、何故あんな……あんな事を?!」


「ここへ至るまでに必要だったから。貴女への仕打ちの理由はそれだけ。理解を求めるつもりはありません。これはもはや妄執の類なのです。けれど安心なさい。エヴリーヌ・トゥールーズの役割はここで終わり。ここからは私と貴女が紡ぐの、私のクロエ。愛しい人」


 公爵令嬢の乱心の理由を理解出来る者はこの場、この世界には存在しないだろう。愛しい彼女の隣で困惑する王子も例外ではない。


「何を言っているのか分からない、エヴァ。何か思い詰めているのかい? 僕に出来る事なら手を尽くそう。だから……」


「ありますわ、カミーユ様」


 婚約破棄を突き付けられた悪役令嬢が縋り付くのは当の婚約相手。改心を誓う懇願はすげなく拒まれ、私は物語から退場する。その後の展開に私は介入しない、はずだ。


 だが、そうするだけの力を蓄えていたとしたら?


 ざわつく周囲の視線を浴びて王子に歩み寄る。本当なら弱々しい足取りで、血の気の失せた顔をしている所だが、足取りは軽く顔は熱い。


「本当かい?! どうしたら君を助けられる?」


 小さな音を立てて閉じた扇子の先端から飛び出した刃こそが答え。そして決別。


「死んで下さいな」


 警備の者が気付く間も無く、刃は王子の胸に深々と吸い込まれた。


「エ……ヴァ……」


 間の抜けた王子の瞳に映る私の顔は悪意に満ち、今にも高笑いを挙げんばかりに歪んでいる。


 これこそ、私の知る悪役令嬢エヴリーヌ・トゥールーズ。


 10年の歳月をかけて辿り着いた、破滅の先へ手を伸ばす悪役令嬢のなりそこない。

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