自力でペットボトルの蓋を開ける事ができない天才少女

@yagiden

自力でペットボトルの蓋を開ける事ができない天才少女

 その部屋には二人の女が居た。一人はこの部屋の主。一人はベッドに横たわっている。

 部屋の主の女はもう一人の寝顔を眺め、自分を落ち着けるようにコーヒーを飲んだ。しかしそれで落ち着くことはなく、寝てる女に視点を合わせたままに、思考をフル回転させていた。

 何か答えが浮かぶわけでもなく、ただ時間だけが過ぎていく。そんな状況が続き、とうとう女は諦めて流れに身を任せる事を決断した。

 寝ている女は実は死んでいる、そんな事はない。だがこの二人には全く関係性はなかった。道端で気絶していた女を自宅に連れ込んだ、そうしてできたのがこの状況。見ないふりをするか救急車を呼ぶかしたら良かった、そんな当たり前の事が頭の中に流れるが後悔は先に立たない。かと言って今更元の場所に戻すとか救急車を呼ぶとかもしたくない。

 そもそも何故連れ込んでしまったのか。それは、偶然倒れた人を見つけた事が、ゲーム用語的な意味でのイベントであると錯覚してしまったからだった。

 女は変化を望んでいた。うだつが上がらない現実とあったかもしれない未来像のギャップに苦しんでいたのだ。社会においてよくある悩みだ。取り分け、女はVチューバーという文化を好んでいる。女の目からは、彼らが輝いて見えていた。仲の良い同僚やファンとの交流。ゲームの大会で盛り上がる様。さらにスーパーチャットという投げ銭システム。そういうものを見せられて自分も変わりたいと願っていた。

 そして、倒れていた女。彼女が自分の嫌いなVチューバーによく似ていたのだ。Vチューバーとは端的に言って二次元キャラクターではあるが、本当によく似ていた。髪型も服装も顔の形も、似顔絵がごとく一致している。

 自分に関わり深いイベントが、自分がきっかけで始まろうとしている、その瞬間だけそう妄信してしまい、その場の勢いで行動したのだ。

 はあ、と女はため息を吐く。もしかしたら目覚めたこの人に拉致、監禁かと間違われるかもしれない。それどころか病気か何かでこのまま死んでしまうかもしれない。そんな最悪な想像をして眉を寄せた。

 ひとまず呼吸の確認をしよう、ここに来て女にようやく建設的な案が浮かんだ。一番は通報する事だが。

 恐る恐るベッドに近づく。何故か女はよからぬ事をしている気分になった。

 端正な顔の表情は悪くはない。大きく膨らんだ胸は規則正しく上下している。見た目からは異常は見受けられなかった。

 次に女は熱を測ろうと額に向けて手を伸ばした。すると、急にパチリと寝ていた女の目が開く。びくつき手を空中に彷徨わせたままの女は、まるでこれから襲うかのようなポーズを取ってしまっている事に気づき、慌てて手を引っ込める。それに気づいたのか気づいてないのか、寝起きの女は上体を起こしキョロキョロと部屋中を見回すと、最後に側に立つ女を見上げた。

 じっ、と美人に見つめられ敗北感のような想いから目を逸らし、平静を装う為にさっきまで座っていた椅子にまた座った。


「ねえ」


 女が冷めたコーヒーを口に含んだ時、静かだった部屋に淑やかな声が染み渡る。


「みーくさん?」

「⋯⋯⋯⋯」


 その問いに無言でいれたのはコーヒーを口に含んでいたからだった。それでも目は見開いたので驚きは隠せていない。

 みーくというのは彼女の好きな、Vチューバーの主戦場である動画投稿サイトのアカウント名だ。女はそのアカウント名を名乗り、好きなVチューバーの放送にスーパーチャットを送ったり嫌いなVチューバーの動画に罵詈雑言のコメントをしたりしていた。

 第一声にして、自分がみーくだと言い当てられた。その名であまり褒められた行いをしていない為女に衝撃が走るが、同時に物分かりが良すぎないか、と疑問も湧いた。


「⋯⋯体調は?」


 無難な質問を絞り出すと、


「いいよ。油断して倒れちゃったけど、今はむしろ調子がいい。それより、みーくさんだよね」


 すぐに話題は引き戻される。


「⋯⋯そうだけど、なんでわかったのよ」

「雰囲気」


 肯定した女——みーくは、自分がみーくだと見抜いた理由を聞き、目を細める。

 雰囲気、とその単語を多用するのはみーくの嫌うVチューバーと同じだった。もう、既視感があり過ぎた。


「あんたは、沙月星那、よね?」

「うん」


 事もなく頷かれ呆気に取られる。沙月星那とは彼女の嫌いなVチューバーその人だ。事あるごとに星那の配信を荒そうと画策してきた、いわゆるアンチの自分を目の前にして、素直に自分がVチューバーだと認めた事が信じられなかった。


「身バレとか怖くないわけ?」

「うん。本名だしキャラクターも私を元にして作ってもらったから」

「そういう問題じゃなくない? 炎上した時とか直接ダメージが行くわけだから」

「じゃあみーくさんの名前教えて?」


 何がじゃあ、なんだ。そんな疑問がありつつも現実でみーくと呼ばれる事に恥ずかしさを覚え始めたので答える。


「桜庭」

「うん。桜庭さん、お水ちょうだい?」

「は?」

「私、起きたらお水を飲まないといけないの」


 桜庭は疑問符で頭がいっぱいだった。幼児を相手にしているかのような感覚さえある。ひとまず仕切り直したい、そんな思いでキッチンに向かった。

 未開封の冷えたペットボトル水を星那に渡す。星那は困った顔をして口を開いた。


「開けて?」

「はあ? 自分で開けなよ」

「開けてもらわないと飲めないの」


 桜庭は絶句した。それでもペットボトルを受け取りキャップを回す。そして返した。星那は一口飲み封をしてから傍に置いた。


「何? 非力ぶってるの?」

「病気なんだよね、心か何かの。今のだけじゃなくて日常生活の色んな所でやっちゃいけない事があるの。それをしてしまうと最悪吐いたり倒れたりするし、軽い症状ならめまいとか鼻血が出るとかする」

「そ、そう」


 アンチの対象ゆえに強く当たってみるも、さすがに現実と匿名の世界の違いは知っていて、本当かどうかはともかくとして、桜庭にはそれ以上詰る勇気はなかった。


「それ、私に言ってもよかったの? 配信じゃ聞いたことないし、という事は隠してるって事でしょ。ネットに拡散されるとか考えないの?」

「恩人だから」


 その一言で返答は終わった。


「助けてくれて、どうもありがとうございました」

「い、いや⋯⋯」


 座りながら丁寧に腰を折る星那。

 何の裏も見えない感謝がそこにあり、桜庭は思わず吃ってしまう。直感でわかってしまった、この人は自分と違って悪い人じゃない、と。

 結局の所、桜庭が星那を憎く思っているのは嫉妬からだった。好きな男性Vがゲームで星那と対戦して、星那が圧勝した事で悪感情を持ち始め、その後その男性Vが星那のゲームの上手さに惚れ込みコラボを重ねた事でアンチへとなったのだ。


「それに、桜庭さんは今の事をネットに拡散したりしないよ」

「しないよって、何でそう言い切れるのよ」

「雰囲気がそう言ってる」


 そしてこの雰囲気というセリフ。ゲームにおいて、運の要素がある選択を当てた時、人読みを通した時、決まって星那から出てくる言葉だ。桜庭はこれを一番に嫌っていた。絶対にそんなわけがないと縋っていた。


「⋯⋯嘘でしょ、それ。今のも、配信中のも」

「雰囲気の事? 嘘じゃないけど」

「嘘でしょ。全部、やらせとかゴースティング。天才だなんだって言われてるけどただのキャラ作りなんでしょ?」


 星那は困った表情を浮かべた。少し考え意を決したように息を吸う。


「証明できるよ? そこの資格の本でも他の本でもいいけど、ちょっと見せてもらえればね」

「証明って⋯⋯」


 難色を示しつつ桜庭は資格参考書を手渡した。受け取った星那はぺらぺらとページをめくり目を通していく。つまらなさそうに読み進めていった。

 何がしたいのか、そんな疑問を頭に抱えて星那を眺める。おそらくは、短い時間で学習して問題を解いてみせ、それで証明する、という予想が桜庭にはあったが、それは無理に近い。難問という程ではないが、一般的に合格する為に一ヶ月の時間を費やす必要があると言われている程度の資格だ。桜庭もその目安で勉強を進めていて難易度は理解していた。


「覚えた」


 そう呟いて星那は本を閉じる。


「これの問題集とかある?」

「⋯⋯これ。紙とペン渡すからそれに書いて」


 受け取った星那は問題集を片手で手繰りながら解答していく。その動きは淀みない。一度も止まる事なく書き続けている。


「い、いや、もういいから」

「そう? 一冊分全部書けるけど」

「いや、いい⋯⋯」


 ある程度書き進めた所で桜庭は静止させ、紙と問題集を受け取り見比べる。

 全問正解だった。それでも桜庭には驚きはない。驚きではなく、憤りややるせなさ、みじめさが桜庭の中に湧いていた。

 予想はできていたのだ。沙月星那は偽りではなく本当の天才なのだと。

 ゲームや運動、勉強において、練習をするという事を一切しない。そう、星那は配信で言っていた。大抵の事はそれでもこなせる、と。桜庭の中にあるアンチ心の一番の火種となったのがこの台詞だ。

 要は嫉妬だった。生まれながらの才能にかまけて努力せず、なあなあで生きてきたくせに、vtuberという愛されて大金を手にできる地位にいる事が妬ましいのだ。


「桜庭さん」

「なに?」

「トイレ貸して、やっぱり吐く」

「はっ?」


 唐突な言葉に、桜庭の淀んだ感情は霧散した。

 返答を待たずに慌てて星那は動き出す。すぐにトイレを見つけ出し、扉を開け膝立ちで便器を抱えた。

 急な状況についていけない桜庭は遅れて星那の後ろに立つと、間もなく液体の流動音と星那のくぐもった声が鳴った。

 見るからに嘔吐している。桜庭は戸惑うばかりだった。

 しばらくした後、星那は落ち着いた。桜庭が、壁ギリギリに身を寄せ後ろから星那の表情を盗み見る。目尻には涙を溜めていて、目は虚ろ。深くゆっくり呼吸する空いた口からはよだれが便器の水面に向かって垂れている。酷く疲れている様子だった。


「だ、大丈夫なの?」

「⋯⋯うん、もう波は引いたと思う」

「そう⋯⋯。あ、アレだったら隣の洗面所も使っていいから」


 そう伝えて桜庭は寝室まで戻る。

 ここまでペースを乱され続けているという自覚はあったが、最終的にどういう形で落ち着けばいいか自問した。

 そもそもの話し、何故桜庭は倒れていた星那を連れ込んでしまったのか。端的に言えば自分の現状を変えたかったからで、発見時に、もしも倒れている人が本物の星那ならVチューバーに近づける、と思ったのだ。近づく事で、自分もVに関連する仕事に携われるかもしれない、と短絡的な予想を立てたのだ。

 嫉妬心と承認欲求が入り混じった心境からここに至っていた。しかし、今はそうではない。


「ありがとう。ごめんなさい」


 戻ってきた星那は申し訳なさそうに頭を下げた。


「別にいい。座って」

「うん」


 促されると、ゆっくりとした動きでベッドの縁に座った。桜庭は焦れる事なくその様子を見守る。座ったのを見届けてから口を開いた。


「ねえ。今吐いてたのって、もしかしてさっきみたいなペットボトルのキャップを開けられなかったのと関係してる?」

「うん、してる」


 桜庭にはある予想があった。


「あんた、いつかの配信で言ってたよね。練習とか勉強をしないって。それってしないんじゃなく、できないんじゃないの?」

「え、よくわかったね」


 星那は純粋な驚きの表情を浮かべる。


「そうだよ。ゲームでも何でも、努力とかするとすぐ吐いちゃうの。遊んでるうちはいいけど、頑張ろうって気になるとダメみたい。今の資格勉強もダメだったね」


 星那ははにかむが、桜庭は真顔だった。


「それって、普通の暮らしはできないって事じゃない。学校とかどうしてたのよ」

「中学、高校の時は周りの皆が受け入れてくれたから苦労はしてないよ。テストで普通に良い点は取れるから、先生からは授業中は好きな事してていいって言われてたし、クラスメイトもそれを認めてくれてた」

「そう」


 そうなるのも当然かもしれない、と桜庭は一人納得した。星那は異質な天才だ。現実感のない特別なそれは、思春期の若者にとっては好意的に見てしまうのが道理というもの。実績が伴ってくれば教師も将来を期待するだろう。


「小学生の頃は?」

「あんまり言いたくない」

「そう、よね」


 苦い顔を見て察する。具体的なエピソードは想像できないが、要は事あるごとに吐いてしまい、周りからも理解を得られなかったのだろう。桜庭はそれだけで気分が重くなった。

 改めて、桜庭はじっくりと星那を見つめる。美人でスタイルが良く頭のできも良い。いわゆる才色兼備。そう言葉では簡単に言い表せるが、身近にそんな人はそうはいない。そういう人はそういう人同士で連むからだ。それでも学生の頃なら関わる事も比較的あるだろう。もしもあの頃、身近に星那がいたら、そう桜庭は仮定して、理解してあげようという気概はなかっただろうな、と自虐した。

 実際の所、桜庭には、星那に対する嫉妬心はもう無い。いくら天才といえ羨ましいとは思えなかった。こんな人は誰かが支えてあげないといけない。自分のような凡人がその役目を果たすべきではないか。失せた嫉妬心の代わりに芽生えたのは庇護欲だった。


「ねえ。あんたの会社、マネージャーとか募集してない? もししてるなら、あんたから私の事を紹介とかできたりしない?」


 ワナビだと嘲笑されるかもしれない、怖がりながら桜庭は問う。


「私のマネージャーになる?」

「えっ?」


 その決意とは裏腹に、星那は全てを見透かしたかのように桜庭の欲しい言葉を告げる。


「それって、どういう⋯⋯」

「募集してるし推薦するって事」


 つい笑みがこぼれる桜庭だったが、話しが早すぎるという懸念はあった。


「適任だと思うよ。そういう雰囲気もあるし」


 嘘には見えず、その曖昧な言い回しが桜庭は何よりも心強い。


「じ、じゃあ」

「うん。でも、できれば私専属になって欲しい」

「いい。それでいいよ」


 それから、とんとん拍子に話しは進む。まるで最初から予定調和かのように。と言って、それは話しだけで具体的な手続きやらはまだだが。


「詳しい話しはまた今度にね」

「うん、ありがとう。まさかこんな展開になるとは思ってなかった」

「でもこうなりたくて私を攫ったんでしょ?」

「攫ったって⋯⋯、まあそうだけど。⋯⋯ねえ、改めて聞くけど、私なんかマネージャーにして本当にいいの? 言っちゃ何だけど私、あんたのアンチなんだよ?」


 星那は本気だったが、桜庭はまだ半信半疑だ。うまい話すぎて乗りつつも信じきれないでいた。


「桜庭さんだからこそ、私は良いと思ったよ?」

「わ、私だからこそ?」


 その、オンリーワンの理由が思いつかない。

 

「配信のコメントで、私に一番近いのが桜庭さんだったから」

「近い⋯⋯? ごめん、よくわからない」

「うーん、難しいな。褒めるとか貶すとか、色んなコメントがあるけど、桜庭さんのコメントだけが、私の土俵内で考えられたコメントだったから、て事かな」

「土俵内⋯⋯」


 それでピンと来たものがあった。

 桜庭は星那に対してアンチコメントを送信する時に、心掛けていた事がある。それは星那の一番得意な事を貶すという事だ。その得意な事とは、ゲームにおける読みを通す事。

 星那の『練習してはいけない』というルールはネット上で情報収集をする事も制限しているので、ゲームのプレイングは基本我流なのだ。そのせいで定石から外れたムーブをする事が多く、大抵のアンチや配信者をコントロールしたがる人はそこを突く。しかしそれは『土俵外』で、星那にとっては承知の上なのだ。

 桜庭の矛先はそこではない。読みの結果だった。読みを外したその理由。自分の読みを信じきれなかった理由。読めたはずなのに読めなかった理由。そこに着目し観察する。理解できたタイミングで強い言葉に乗せて詰るのが戦法だ。


「すごく頭に来たけど私の考えてる事に沿ったコメントがほとんどだったから、この人は私と同じものが見えてるって思ってた」

「そう、ね。かなり考えてコメントしてた。全く反応しないから効いてるかはわからなかったけど」


 格ゲーというジャンルだけが上手いと思い込んだ桜庭は、その配信だけに張り付き星那の解読に励んでいた。ある意味で桜庭は熱心なファンでもあったのだ。


「桜庭さんはアンチのセンスはないよね」

「え?」

「もっと雑で良かった。セクハラするとか配信スキルを詰るとかで、普通に私は傷付いてたのに」

「そうなのね」

「でも私を相手するセンスはあるよ。頭には来たけど、嬉しかったんだ」


 星那は純粋な笑みを桜庭に向ける。穢れないそれに桜庭もつられて笑った。

 笑顔が見れて嬉しい、そんな風になるのは、しかも同性でそれは久しく無かった事だ。

 桜庭は昔を思い出す。悩みなんて無く、ただ友人と遊んでいた思い出。その頃と似たような気分だった。嫉妬心も劣等感ももう無い。全部星那のおかげだ。

 この日、桜庭はアンチを辞めた。

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