挿話 君の揺らめくその色の
昔々の大昔、俺の遠い遠い先祖は人狼と呼ばれていた。
森の神の使い、人の姿を取る
よく知らないけれど。
「ぱたぱた~。しっぽ。ぱたぱた~」
このお屋敷に雇われるまで丈長のチュニックに、更に用心して腰にストールを巻いて隠していたものが、いまや小さな女の子の物珍しいただのおもちゃとなっていた。
「ふわふわしてー、エンゾ、ふわふわー」
「……なんだかなあ」
小さい頃から、他人に見られたら気味悪がられて酷い目か大変な目にあうと、親をはじめ村の長老などから厳しく言いつけられて長年隠してきたものを、こうも大ぴらに大歓迎されるとこれまでの俺の人生はなんだったんだと思えてしまう。
とにかく遠い遠いご先祖様の血が、まれに現れ、獣の耳と尾を持って生まれる赤ん坊というのが、俺の村には何十年に一度あるかないかで生まれるらしく、それが俺だった。
昔はともかく、いまは厄介者が生まれた扱いにしかならない俺の姿は両親と産婆と長老だけの秘密で、二年後に生まれた弟に両親の愛情は全部持っていかれ、家族の一員としてもあまり扱われなかったから、十歳になった年の春に家出して、村に一番近い町に出た。
東部の都トゥルーズほどではないもののそこそこ大きな町で、造園師の親方の世話になり、出入りしていた貴族の屋敷で、主人の客から声を掛けられた。
彼の屋敷の庭師にならないかと。
親方がこんな半人前の小僧にとんでもないと断れば、彼はあなたには聞いていませんと涼しい顔をしてもう一度尋ねてきた。
正直、一瞬揺らいだものの親方の言う通りに半人前の小僧だ。
どこからどうみたって貴族の彼の屋敷の庭なんて任されてもなにも出来ないと断れば、ですがおそらく私の屋敷に来た方が君にとってはいいと思いますよと、耳を隠す深くかぶった帽子の中身が見えているような目で俺を見た彼の言葉に怖くなったことをよく覚えている。
その後も何度となく声を掛けられ、そのうち親方までもがそこまで望まれちゃな……などと言い出し、親方が熱心に造園の基本を叩き込む勢いで教えてくれるようになり、なんとなく断り辛くなってしまった。
結局、最初に声を掛けられてから一年後、俺はフォート家の庭師見習いとして雇われることになった。
『君は比較的運が良い様子だったので迷いましたが、まあいつまでも秘密が露呈しないとは限りませんからね』
有り得ないことに貴族様と同じ馬車に乗せられて、乗った早々に秘密を指摘されて血の気が引いた。
世の中には獣人を物珍しい獣のように扱う貴族や悪人がいると長老から散々脅されてきたからそれだと思い、馬車から飛び降りようとして、人間離れした素早さの御者に助けられた。
『死にますよ』
そう、有り得ない素早さと力で俺を抱きとめた御者の女の人の目は赤く光っていた。
『竜の虹彩です。彼女は古の竜の血を引く先祖返りなもので』
『竜……?』
『まあ君とは似たようなものです。境遇は随分と違うようですがね。森の使いの狼犬』
『……なんでそれを』
『職業柄。私は魔術師です。自分でこれを言うのは非常に恥ずかしいですが、“竜を従える最強の魔術師”。聞いた事ありませんか?』
“竜を従える最強の魔術師”、小さい頃に誰からとなしに聞いたお伽話に出てくる魔術師だった。
竜を操り、この国に攻めてきた敵国の大軍を退け、どこかの村を恐ろしい病気から守ったという。
ある、と頷いた。
『私のことです。地面に叩きつけられるところだった君を助けたこの人が従えている竜、従者のオドレイです』
『はぁ?!』
驚いてひっくり返って地面に尻餅ついた俺を、オドレイと紹介された女の人が立ったまま俺を見下して、「あなたのような……」と、話し出したその話の恐ろしさはその後、何年も経って大人になっても忘れられないものだった。
『わかりやすく見た目が普通と違う人は、珍獣同然に生け捕られ、そういった趣味の方に高値で売り飛ばされたり競りにかけられたりします』
『売り飛ばされ……』
『お買い上げになられた方が、単に物珍しい愛玩動物としてあなたを扱ってくださればいいのですが、私が知る限りそのような買い物をされる方はあまり期待できないかと』
『愛玩動物も……よくはないと思う……』
『そうですか? 家畜以下の扱いで鞭打つなど暴力を振るって調教遊びをしたり、それに大抵の場合そういった趣味の方というのは“――”なことや“――”なことをさせて喜んだり、あるいは“――”な相手だとか、それにくらべればずっと。他にも……』
滔々と語られる世にもおぞましい話も怖しかったが、赤い目をしてぴくりとも表情を変えずに話続ける人も恐い。
地面に縮こまっている俺を庭師にと望んだ貴族の魔術師が、ため息を吐いて彼女を止めた。
『オドレイ!』
『はい』
『もうそのくらいで、少年の教育によくありません。かわいそうに真っ青になって震えてますよ』
『かしこまりました。とにかくろくな目にはあいません』
『……う、嘘だ……そんなの、嘘だ……っ』
『嘘ではありません。現に私などは』
『オドレイ。後は私から説明しますから、彼をこちらに』
『はい』
世にも恐ろしい話に腰を抜かしてがたがた震えていた俺は、そのまま彼女に抱きかかえられ再び馬車の中へ、正直、魔術師だという彼のことも恐ろしかった。
『すみません。悪気はないのですが、オドレイはたぶん最悪の部類の境遇で生き延びてきた人なものですから。怖がらないで……と、言っても無理でしょうねぇ』
馬車の隅に膝を抱えて座り、縦に何度も首を振る俺の様子を見て、魔術師の彼はため息を吐いた。
『仕方がないので一方的に説明しますが、まずフォート家はそのような方をできる限り未然に防ぐ考えでいますのでご安心ください。使用人は少々変わった人達ですが、皆さん、
『……』
『君を不当に扱ったり、酷い目にあわせることはないことを約束します』
『……』
『そしてなにより大事なことを。君はもう生まれ持ってのその耳や尾などをいつ他人に見つかるかと怯えて隠す必要はない。フォート家の使用人に求めることはただ一つ、フォート家の者として毅然と仕事に励むこと。それだけです』
『……、だけ』
『ええ。環境が合わなければ無理することはありません。一度雇い入れた者としてできる限りのことはして送り出しましょう。まあまずは試用期間で考えてもらえれば』
なんだか……俺の知っている貴族の家の使用人から聞く話とは随分違う。
法律通りの休憩時間や休みなんてないって、怖いおばさんやその部下の若い女の人たちはよく文句を言っている。
『それ、本当に……?』
『私は魔術師です、嘘は吐きません。実はあなたには庭師の仕事の他にもう一つお願いしたいことがありまして……』
実はまだ小さい女の子を預かっていて、その遊び相手もお願いしたいのですと、魔術師は言った。
俺が会って驚いてはいけないので、あらかじめ教えておきますがと、その子について説明を受けた。
なんでも普通の人間ではなくなった子供であるらしい。
精霊の取り替え子。
「聞いたことありますか?」
「いいえ」
「近頃では、そんなよくある話も知らない人が増えつつあるのですねえ。精霊が自分たちの子と人間の子供を取り替えるのです」
「取り替える……」
取り替えられた人間の子供は精霊として生き、普通は人間の世界には戻ってこないのだという。
しかし、その子はすぐに戻された。
けれど半分精霊になりかけで、もはや人間の世界では普通には生きられない。人間の世界で人間として暮らそうとすると数年で衰弱して死んでしまう。
『数年……その子って何歳なんですか』
『まだ、二歳。乳母が必要なうちはなんとか外で育ててもらいましたが、元気がなくなってきたので半年前に引き取りました。フォート家なら大丈夫なので。君に声をかけた貴族の家の奥方の元侍女の娘さんです』
『貴族様の家の?』
『あの家の同じ時期に生まれたお嬢さんの身代わりになって。髪や瞳が精霊の色になってしまった女の子を、彼女の親は自分の子供として見ることが出来なくなってなってしまった。責任を感じたあの家の主が乳母を雇って面倒を見てくれていたんです。私が時々あの家を訪ねていたのは女の子の様子を見るためです』
似てる、と思った。
普通とは見た目が違うから、親に嫌われてしまった自分と。
『その、女の子』
『ん?』
『名前は、なんていうんですか?』
『リュシー』
リュシー・ウウ。
『暁の、夜明けの空のような色の髪と目をした可愛らしい子ですよ』
そう、青っぽい灰色の目を細め、長い銀色の髪を揺らすように軽く笑って俺を見た魔術師――旦那様を見て、この人は悪い人ではなさそうだと、彼の話を信じることにした。
「ふわふわしっぽ、すき」
リュシーに尻尾の先の毛を掴まれて、草の上にピクニック用の布を敷いた上に座っている彼女を見下ろした。
背筋がむずむずしたり力が抜けたりするからあまり掴まないでほしいものの、きゃっきゃと楽しそうに舌足らずになにか俺に話しながら笑うかわいらしい彼女が泣きだすよりかはましだ。
まあ表面の毛を撫でるのが楽しいだけみたいでどうせすぐ離すだろうからいいかと、彼女を喜ばすためにふわんとちょっと動かしてみたり。
リュシーはまだ三歳。
春に十三になった俺の十も年下で、そしてフォート家の使用人としては一応、先輩だった。
引き取るといってもフォート家のお嬢様としてではなく使用人なのだそうだ。
「ほとんどお嬢様と変わんない気もするけど」
「エンゾぉ……すき……」
「そうかそうか」
尻尾に頬擦りして、ふにゃあとふやけたみたいに微笑んでいるリュシーに、俺みたいな寂しい思いをしないならいいかと、大サービスで彼女を肩の高さまで抱き上げる。
きゃあと、小さな歓声が上がる。
尻尾も好きだがそれ以上に、肩車が最近のお気に入りだ。
ゆらりと、彼女の髪が茜色からオレンジ色に揺らめいた。
すごく綺麗な色で、この色を気味悪がって彼女を捨てたという彼女の親が信じられない。
あまりに小さすぎてリュシーはそんな自分の親のことを覚えていない。
家令のフェリシアンさんはそんな彼女を不憫だと言うけれど、俺はむしろ覚えていなくてこの屋敷の皆に可愛がられていることだけでよかったと思う。
親から見捨てられるのは結構、辛いものだ。
旦那様はきっと、俺がそういったリュシーを気の毒がるような目で見ないだろうといったことも考えて俺に声を掛けたのだろう。
「リュシー、バラ園が満開だ。見に行くか?」
「みるー」
「よし、行くぞ」
この春に、正式にフォート家の庭師となった。
親方に教わったのはほんの基本で、フォート家の広すぎる庭は俺だけではとても追いつかない。
近くの村から庭仕事に来てくれている人たちの方がよほど詳しく、植物の世話に慣れていて、俺が一人前になるまでの間は短い期間だけ手入れのために旦那様が呼ぶ臨時雇いの造園師にも色々教えてもらったり、自分でも勉強したりしている。
いつか、それができればいいと思うことができたからだ。
「エンゾのバラー」
「んー、俺のバラとは……言えないなあ、まだ」
「ちがう?」
「いや、一応世話してるからちがうってわけでもないけど」
「いいにおい……」
うっとりした声が頭の耳に聞こえて目を細める。
リュシーは綺麗なものやふわふわしたものやいい匂いのするものが好きだ。
だから。
綺麗な彼女の色したバラを作って見せてやりたい。
彼女は屋敷の外では長く生きられない。
たぶんきっと彼女がそのことを知って悲しくなる日が来る。
庭師の俺が、遊び相手以外に彼女にできそうなことは彼女が喜びそうな花を作ることくらいしか思いつかない。
旦那様に相談したら、いいんじゃないですか、バラの品種改良なんてできる庭師そうはいませんからね励むといいでしょうとあっさり許された。
フォート家の屋敷の外にはない、
茜色からオレンジ色に揺らめく、そんな花びらのバラなんて作れるかわからないけれど。
いつか――。
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