1-8

 不良グループの集会で真由さんとの間柄が暴露された翌日の放課後。

 日がな一日浮かない気分でいた俺のもとに、あのバカが能天気な顔で近寄ってきた。


「よう、牧野」

「お前はいつも元気だな」

「元気も取り柄の一つだからね」

「お前の取り柄は元気だけだ」

「それは酷いだろ牧野」


 伊藤が傷ついた顔になった。

 こいつの取り柄といえばあと一つ、立ち直りの早さ。一週間前に不良のボコされて、次の日には失神するほどの一蹴を喰らったというのに、昨日の夜に不良たちから睨まれただけの俺よりもピンピンしている。


「それで伊藤。何か用か?」

「いや。用はないけどさ、牧野はいつもに比べて暗―い顔してたからさ、気になって」

「俺の事見てんじゃねーよ。ストーカーか気持ち悪い」

「友人として心配してやってるのに気持ち悪いとか言うなよ」

「えっ、友人だったの?」

「違うの?」


 俺が友人として見做していなかったことに、伊藤は目を見開いて驚きを隠せない。

 冗談だ友人だと思ってるよ、と訂正すると、あからさまに安堵で顔の筋肉を緩めた。


「これだけ一緒につるんでるのに友人とさえ思ってくれてなかったら、俺笑いものみたいじゃん」


 すでにお前は笑いものだ。

 まあ、一度にいじめ過ぎるといじめるネタが無くなるので言わないでおく。


「で、牧野。暗い顔してる理由を教えろよ。俺にできることなら協力するからさ」

「お前を犠牲にして何とか出来るならいいんだが、生憎とそうはいかないんだ」

「犠牲って言うなよ。で、何に悩んでんだよ」

「お前に言っても仕方ないから言わない」

「そうか。じゃあ訊かないでおく」


 慣れた間柄でも、こうして無理に訊き出してこないところが伊藤の良い点でもある。

 伊藤の存在意義を感じていると、伊藤本人は悩んでいるように眉間に皺を寄せていた。


「どうした伊藤。眉間に皺よってるぞ」

「いつもだったら、牧野。ゲーセン行こうぜ、って誘えたんだけどさ。近頃あのゲーセンに

 プリンセスっていう女子不良グループが出入りしてるらしいんだよ。だから迂闊に入れなくてさ、四日ぐらいゲーセンロスだ」

「プリンセス?」

「牧野。聞き覚えがあるのか?」

「あ、まあ。名前ぐらいは」


 聞き覚えどころか、記憶がまざまざと蘇った。

 伊藤がゲーセンの店前でボコされた日、桃色の特攻服たちを蹴散らした奥山先輩がプリンセスのやつら、と漏らしていた。


「ゲーセンは無理だから、他のところで時間潰そうぜ」

「伊藤。プリンセスって不良グループはどんな服装してるんだ?」

「は、いきなりなんだよ?」

「知ってるなら答えてくれ」


 まさか真由さん率いる集団ではないと思うけど、不良グループと聞くだけで可能性をつぶさないと心配になる。


「服装ねえ。牧野、お前も知ってるはずだぞ?」

「知ってる。俺が?」

「ああ。俺が惜敗した桃色の特攻服の連中だよ」


 なるほど。あいつらがプリンセスなのか。というか、あの時の伊藤の負け様は惜敗ではなく大惨敗だろ。


「君子危うきに近寄らず、って言うじゃん」

「君子ではないが、近寄らない方がいいだろうな」

「だろ。だから当分は別の場所で遊ぼうぜ」

「そうだな」


 プリンセスだろうがなんだろうが俺には関係のない話だ。

 伊藤のバカと平和で無為な学生生活を過ごせれば、それで十分だ。



 三日後の放課後。 

 この日も伊藤の他愛もない話に相槌を打っていると、教室の外から牧野周平と女子の呼ぶ声が聞こえた。

 伊藤の話を耳に流し込みながら、呼ばれた方へ意識を傾ける。


 声の主は入り口の近くにいた男子生徒に俺の居場所を尋ねている様子だ。

 俺の居場所を教えてもらったのだろう、声の主が机の列を縫って近寄ってきた。

 そこで初めて俺は声の主に目を遣る。


 想像よりも小さかった。


「牧野周平っすか?」


 声の主は俺の横に位置する生徒の机を挟んで話しかけてきた。

 顎のラインで切りそろえられた銀髪に、女子の中でもとびきり低い小学生並みの背丈。

 どこかで見たような容姿だ。


「えっと、どなた様で?」

「このチビ。牧野の知り合いか?」


 伊藤が銀髪小柄女子を舐め切った目で眺めながら訊いてくる。

 小柄女子は特に機嫌を害した様子もなく、俺にだけ目線を寄こした。


「あんたが牧野周平っスよね?」

「そうだけど。何かな?」


 見覚えのある女子だけれど、どこで見たのだろう。

 記憶を探るために顔をじっと観察していると、小柄女子が伺うように小首を傾げた。


「あれ、あたしのこと覚えてないっすか?」

「ごめん。見たことある顔だなーとは思ってるんだけど」

「中間先輩からはクリって呼ばれてるっす。集会の時に質問したはずっす」

「クリ……あー」


 そういえば。真由さんが俺を許嫁として紹介した時に、わざわざ挙手して質問した背の小さい女子がいた。真由さんが「クリ」と名指しもしていた。


 今は学校指定のセーラー服を着ているから物々しさはないけど、真由さんがリーダーやってる不良グループのメンバーなんだよなぁ。


 思わず渋い顔になる俺とは対照的に、伊藤はズボンのポケットに手を入れて女子の前に立って上から目線を決めていた。


「おいチビ。今目の前にいるのが誰かわかってんのか?」

「は?」


 小柄女子は伊藤を理解不能な存在を見る目で見上げていた。

 相手の反応が納得いかないのか伊藤が背筋を伸ばして大きく見せるようにしてから、脅しの語を付け加える。


「地区内じゃ知らぬ者はいない。不良五人を返り討ちにした逸話を持つ伊藤雅人だぞ」

「……」


 小柄女子の伊藤を見る目に憐憫が宿った。

 伊藤が腹を立てて俺の方を向き直る。


「おい牧野。どうなってんだこの女、俺のことを憐みの目で見てくるぞ!」


 お前は話を盛り過ぎだ。

 俺も自身の瞳に憐憫を宿らせる。


「牧野。お前もか!」


 騒々しく叫ぶと急に背を向け、もう二度と牧野となんか喋ってやらないからな、と言い残して走り去っていった。

 明日になったらケロッと忘れて、話しかけてくるくせに。


「牧野周平っすよね?」


 伊藤が去ると、小柄少女が改めて確認の問いを寄越してきた。


「牧野周平だけど。君の名前は?」

「栗木っす。ここの一年生っす」

「一個下なんだ」


 同学年なら存在を認知していただろうが、学年が違うのなら知らないのも無理はなかったのかも。


「それで。俺に何か?」

「牧野先輩を連れてくるよう、中間先輩に仰せつかったっす」

「どこに連れていくの?」

「この前の公園っす。牧野先輩が中間先輩の許嫁って話を聞かされてから、うちのグループでは牧野先輩への興味で持ち切りっす。だから実際に牧野先輩を呼んで聞きたいこと聞く場を設けるんすよ」

「なるほど」


 グループのリーダーである真由さんの許嫁宣言がグループ全体に多大な波紋をもたらしているらしく、俺がどんな人物なのか知っておきたいのだろう。

 認めてもらえるかはさておき、俺と真由さんの詳しい事情をメンバーが理解してくれないと、結婚話を破談に持っていくことが余計に難しくなるだろう。


 今日の呼び出しを機会に俺と真由さんが互いに好き合っての関係でないことを伝えることが出来れば、関係消滅後の反響も小さく済みそうだ。

 俺が決心をつけていると、栗木は右手の親指を立てて窓の外を指し示した。


「今すぐに行くっス」

「わかったよ。でも先に校門で待っててくれないかな。帰り支度してないからさ」

「支度できるまで待つっす」

「トイレも行きたいからさ」

「トイレの外で待ってるっす」


 栗木の返答を聞くなり俺は周囲に目を配る。

 突如として教室に現れ俺と喋り始めた小柄な後輩に、教室に残っていた生徒の視線が集まっていた。 

 だが、俺が一瞥すると全員があらぬ方向視線をへ逸らした。


 どうやら奇異に思われているらしい。


 栗木も役目を終えるまで俺の近くを離れるつもりはないみたいだし、妙な噂が立たなければいいんだが。

 俺はちょっと沈んだ気分で帰り支度を始めた。

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