お母さんは二歳児です。- 認知症の母がくれたプレゼント -

伊吹梓

001 あることないこと絶好調!いつでもどこでも駄々っ子発動!


「そうねぇ……今年の10月くらいからかしら? 水に潜ったみたいに聞こえないのよぉ」



 おおおーー出ました! いつもの『なんでもシレッとサバ読みスタイル』入りました!

 母の言葉に、心の中で警戒態勢スイッチON!



 補聴器屋の店員さんに「いつぐらいから聞こえにくいですか?」と質問された母。すると最近からのように、シレッとそう答えたのだ。


 まあさっきから、とにかく喋る喋る。こんな感じで、あることないこと絶好調で並べ立てる。超元気。むしろ超現金。


 家を出る前「眠いの疲れてるの補聴器なんかいらないの行きたくないの~~ッッ!!!」なんて私の腕に噛みついて、ブー垂れてたなんて思えない……いやそれはそれで元気出し過ぎか。


 両脇で目を丸くし、固まった笑顔のまま痙攣のようにフルフル首を横に振る、私と兄嫁。つまり義姉あね

 店員さんはそっと両脇の私たちを見て、察し! とばかりにニッコリ。頬を緩まし母に向かう。


「……そうですかぁ、じゃ、水沢さん。ちょっとそこで、もう一回検査しましょう!」


 店員さんは、母を奥の聴覚検査室に誘う。

 母だけ先に室内に入れ、店員さんは一度扉を閉めてこちらに向き直る。


「……ホントは、いつ頃からですか?」


 そっと囁くように、私たちに聞いた。

 私もつられて、囁くように答える。


「3 ~ 4 年前から段々と。先々週、耳鼻科の先生は『半年前の検査時とあまり変わりませんね』と仰っていて」

「なるほど。半年前から先々週までは安定していたんですね? ありがとうございます」


 柔らかな笑顔で言う。ホッとする私たち。



 母は認知症だ。

 認知症の人の対応は、一筋縄ではいかない。

 素人考えで少しで安易に対応すれば、大火傷どころでは済まない。専門の心得を持ち、尊厳を傷つけない対応を心掛けないと、会話すら成立しない。ポイントを外せば、それこそ「こぶしで会話」になってしまう。


 その点、ここの店員さんは心得たものだ。認知症初期段階の人が、症状を正直に答えないってこと、よく分かってらっしゃる。さすが、プロ。


「心得てらっしゃってありがたいです、よろしくお願いします」

「いつものことですよ。お任せください」


 さも普通のことのように言う。いつものことなのか。いつもこんな対応してるんだ。すごい。さすがプロ。かける2回目。


 こんな人がいる場は、とても助かる。皆「認知症とは何か」をよく知っている。


 認知症は、よく言われる「物忘れ」なんて生ぬるいものじゃない。

 脳の感情を司る部分や、短期記憶の部分が萎縮し、弱る。

 だから感情コントロールがガバカバになる。本能的に優勢な、攻撃的動作や言動が増える。いわゆる自己防衛本能だ。


 誤魔化す。平気だと言い張る。仕舞いに怒る。

 暴言を吐く。暴れる。手も足も出る。「そんなに手足が動くならタクシー使わず自分で歩けよ」と言いたくなるくらい、出る。ああそうだ。これから暴れだしたらそう言おう。いま決めた。


 物忘れなんかより、もっと面倒なことが起こる。

 笑ったと思ったら、三秒後にはもう怒鳴っている。


 とにかく、負の感情表現だけはやたらと豊かになる。


 その負の感情が、一番面倒を見てくれる人に向けられる。何があっても見放されないと、本能的に分かっているからだ。ズルい。


 これらが、認知症の一番厄介なところなのだ。


 どうせ本人からホントのことなんて出てこないし、しつこく聞けば面倒なことになる。それならばと、一応本人に聞き自尊心を満足させて、気をうまく反らす。どうせ事実なんて出てこない。だからとりあえず、気持ちだけ解決させる。事実はこっそりと、本人をよく知る周りの人に聞く。


 認知症の親を持つ人たちは、こんな心得たプロに支えられている。



 **********************************



 補聴器を用意しよう。


 五か月前、一本の電話を通し、母の認知症が予想外に早く進んでいることが発覚した。そして、介護制度のサービスを調べはじめると同時に、私は夫にそんな相談をした。


 私はとにかく、外からの話と以前の後悔にとらわれて、まず補聴器をと焦っていた。


 でも、やらなきゃいけないことは山積みだ。

 脳内で「いますぐやることリスト」の雪崩が起きて、脳内メモリーはグチャグチャだった。


 補聴器の手配も大事だけど、まずは生活や命を守ること。

 身体機能を少しでも戻すこと。

 要介護認定を受ければ、それらサービスに大きく優遇があるけど、認定まで時間が掛かる。だから要介護認定の調査を一番最初に手配すること。

 その手配が終わったら、補聴器の手配に取りかかれるよう、下調べや準備をしておくこと。


 混乱していた私に夫はそう指摘してくれた。

 両親を学生の頃に突然亡くし、介護経験も必要もなかった夫が、いったい何時どこで、どんな理由で調べたのだろう?全て的確な指摘だった。


 頭の整理がついた私は、ます、要介護認定、認知症認定、介護関連の各調査や手続き、打ち合わせやサポート、とにかく必要な検査・認定を進めた。急ぎたかったが、予約待ちや結果待ち、ケアマネさんの介護スケジュール作成待ちなど待つことが多すぎて、なかなか進まなかった。


 母は三年くらい前から数度、それとなく補聴器を欲しがる言動をしていた。

 私たちはその度に話を進めようとしたけれど、母自身がいつもこんな言葉で終わらせていた。


「でも、それほど不便無いし、あれ高いんでしょう? いまは必要ないわ」


 実際、高い。

 買取なら、機能的に満足できるレベルのものは、安くて35万円。

 サブスクでも月々1万4千円。

 もっと安いものもあるけど、イヤホンとは違い微調整が必要な上、使いにくいから使わない、というわけにはいかない。機能に不安があったり継続使用に不安のあるものは選べない。


 値段もバカにならないし、不便が無いと言うなら…などと、母の言葉を自分達に都合よく解釈しているうち、コロナ禍がやってきた。

 母にも来るなと言われ、ほとんど会わずにいた1年半…。


 その解釈を後悔した。


 テレビや電話は、最大音量でも聞き取りがおぼつかない。

 会話は耳元で大声で話さないといけない。

 その会話も全然噛み合わない。それは耳が原因なだけじゃなかった。

 言ったことが秒で違う話にすり替わる。挙げ句に妄想と現実が曖昧になり、ありもしないことが起きたと電話が来る。異なる指摘をすると怒りだす…。


 専門の人に話を聞くと、認知症も、外出に抵抗があり足腰の弱まっているのも、メンタルがコントロールできないのも、全て「聞こえないこと」がかなり影響しているだろう、と…。


 もう一刻たりとも猶予はない。

 全部全部、やらなきゃいけない。


 都合のいい解釈で、母の脳の寿命を縮めた責任は、私が負わなきゃいけないんだ……。


 そう決めてから五か月。

 兄と義姉も事態を知り、慌てふためき空回りしている私を、夫と一緒に落ち着かせてくれた。

 動けるところを代わってくれたり、調べものを代わってくれたり、車を出してくれたり、仕舞いには


「一人で抱えるなよ。みんなでやろう。てか、やらせてくれ。思い上がるな。お前だけの母親じゃないんだ」


 なんて怒られて。温かさに泣けてきた。

 そうだ。兄にとっても大事な母なんだ。私だけのお母さんじゃない。


 認知症認定と投薬治療、要介護認定の問い合せから手続き。ケアマネさんとの方針擦り合わせ。デイサービスの方針決定と連絡方法の構築。リハビリの日程。更に、兄妹家間の情報共有の方法と問題対処の基本方針決定、定例打合せの日程決め。


 みんなで動いて、これらをなんとか片付けて、更に次々噴出する問題に頭を抱えながら策を練る。

 本当に、色んな事で時間はかかるし、やるべきことは尽きない。

 けれど、みんな進んで役目を担ってくれて、いままでなんとなく心に距離ができていた家族が、心と頭を寄せ合い一つになった。


 兄家に相談に行く度、兄家の姪や甥はこっそり話を聞いていた。

 疲れたため息を吐くと、そっと寄ってきてくれる。小さな手で肩を叩いてくれたり揉んでくれたり労ってくれる。かわいい。ムギュっとしたくなる。しようとしたら逃げられた。なんだよかわいくない。


 こうしてなんとか、一応の体制は整った。

 すぐ補聴器に行きたかったけれど、さすがに疲れて少しこの件から離れさせてもらった。こんな短距離走、延々とは続かない。それに今後は長距離走も加わってくる。その前にインターバルが必要。休まないとこっちが倒れてしまう。


 私が離れている間、兄は動いてくれていた。補聴器の下調べを完璧に済ませてくれたのだ。

 懸案のお金の算段も、まさか、の手段で着けてくれた。


 ずっと避けていた、母とは長く別居している父との交渉だ。


「どういう発端にせよ理由があるにせよ、離婚もせずお袋を飼い殺しみたいにして、あいつだけ逃げ回るなんて許されない。『夫婦という名目を破棄していないのなら、妻の介護を担い手配するのは法的には義務に近い。道義的には完全な義務だ。拒否権はない。金か労力か。どちらを差し出すか今ここで選べ。むろん両方でも構わない』と言ったら、金を選んだよ。ま、狙い通りさ」


 兄はサラッと言い放った。

 すごい。なにその断罪イベント。この人こんなキャラだっけ? ていうかこんなこと私ムリ。

 この人普段はほんとに無口。でもゴールが見えれば超仕事ができる人。尊敬しますお兄さま。考えてること、もうちょっと事前に教えてくれてもいいでしょ? とは思うけど。


「お前の好きなファンタジーの真似して『選ぶ栄誉を与えよう』と言いたかったけけどな。さすがに恥ずかしかった」

「いやそれいらない。てか兄さんそんなキャラだったっけ?」

「実は最近ウェブ小説を読んでるんだな、これが……」

「えっ!? うっそ、そんなガラじゃないっしょ!」

「お前の中の俺のイメージ、どんなだよ……」

「堅物。生真面目。冗談通じない。無口。一人称は『自分は』とか言ってそう」

「おいおい、自分は、は言わねぇよ……まぁ、確かに『何が楽しいんだ?』と思ってたさ。でも読んでみるとなかなか味があるもんだな。すっかりハマッた」

「でしょ! 人生の癒し? スパイス? だよ! 物語は」

「癒しとスパイスは真逆だろ」


 脱線しまくる会話。二人で人目も気にせず笑い合う。兄とのこんな時間、いつ振りだろう。

 前に、二十代も後半になってファンタジー好きなのがバレた時は、穴があったら隠れたいくらい恥ずかしかったけど。それもいまは、こんな風に役に立ってる。


 良かった。家族の形がどんどん再構築されていく。動いてよかった。何度もめげそうになったけど、無駄じゃなかったんだ。


 でもこれは、私だけの力じゃない。

 みんなだけの力でもない。

 他でもない、母の力が一番大きいんだ。


 一生懸命私たち兄妹を育て、見守ってくれた母。困っている人がいると放っておけない母。今こうして一つになれるのは、母がそんな風に頑張ってくれたから。


 最後の最後に用意してくれていた、最高のプレゼント。

 悔しいなぁ。とても真似できない。びっくり箱だよお母さん。


「やっと、ここまで来れたな」


 そんなことを考えていると、兄が言う。

 みんなの力でね。私はそう続けた。

 兄も小さく頷いた。


 こうしてやっといま、補聴器の手配に動けるようになったのだ




 **********************************




「でも、わたし要らないわよ、補聴器なんて!」


 またはじまった。母、駄々っ子スイッチON!


 補聴器屋さんに義姉と母、そして私の三人でやってきた。

 なんとか検査が終わって、補聴器のタイプを選定して。試してみましょう、となったところでこれが来た。

 でも、いつものこと。今は笑える。だって、


「な~に言ってるの? ずっと欲しいって言ってたじゃん! お母さんが欲しいって言ってたから来たんだよ? だから、ね? ちょっとだけ試してみようよ」


 そう。イヤヨイヤヨは欲しいんだ、この人。ただ、慣れないものを目の前に、怖気づいてるだけ。


「そうですよ? 娘さんの仰るとおり。少し試してみましょうよ。聴こえると世界が変わりますよ? 音楽やってたお母さんなら、音が聞こえるって楽しいの、ご存知でしょう?」


 おおー! 店員さん Good Job! ありがとう!


 そう。

 母は仕事と家事と子育ての傍ら、おことの先生をしていた。ステージでも演奏していた。

 会派の家元に付いて修行し、師範の資格を持っていたから、趣味の枠を超えて活動していた。だから多くの案件は仕事としてやっていたし、ほとんど食べるための音楽活動だった。

 母は仕事と割り切っていたし、邦楽界の難しさも知っていたからか、私には進んで教えようとはしなかった。けれど逆に無理強いされず、でもすぐそばに生演奏がある場で育ったこともあって、音楽、特に邦楽器の音は身に染みついていた。

 いつの間にか、私は母にお箏を教わるようになっていた。ある程度上達し、師匠の手伝いが出来るレベルのお免状も取ったあとには、母の教室の手伝いをするようになった。

 高校からはギターとかウクレレとかに心移りしたけれど、いまでもお箏の人とセッションする方がやりやすい。なにしろ邦楽用語で会話ができるし、意思疎通がし易い。これがとても心地よかった。


 店員さんは、ちゃんと電話予約のときヒアリングしたこと生かしてくれていた。相手がその気になる術を知っている。さすが、プロ。かける3回目。


 もちろん、補聴器の音の聴こえ方は生の耳とは違うけれど、母はその言葉で少し、怖気より「欲しい」が優勢になったみたいだ。


 恐る恐る手を伸ばし、検査結果に基づき調整した補聴器を耳に当てる。

 選んだのは耳掛けタイプ。体の固い母にはちょっとつけ外しが大変だけど、そんなことより他のどれよりも、見た目がカッコいい。アンドロイド? 未来人? そんな感じのカッコよさだ。


 なんだかんだで、いつも見た目重視なんだよなぁ、お母さん。


「では、一緒に付けてみましょう!」


 店員さんがまず手本を見せ、母も真似をして着ける。

 まず、左耳。おお、すぐ着けられた!

 次。右耳。


 ん? ちょっと…。


 体が固まっていて、右耳にうまく手が回らない。

 うーん、どうしよう、こんな時母に分かるように、母の身に染みついている動作を…


 そうだ!


「お母さん、お箏弾く時の姿勢になってみて」


 母のおことの流派は、生田流箏曲いくたりゅうそうきょくという流派だ。

 生田流は、お箏に対し斜めに正座し、少し右に上半身をひねる。その姿勢になったら、右手が右耳に届き易くなるんじゃ…?


「届いたわよ!」


 ほらごらんなさい! エッヘン。

 やっと親子らしい仕事ができた。満足。


 なんとか耳にかけられた。ちょっとパットの入り具合を店員さんが調整すると…


「お母さん、どう?着け心地悪くない?」


 夫と話す時より少し小さな声で聞いてみる。

 するとお母さん…。


 満面の笑顔。

 え、なに、二歳児みたいな…。


「聞こえるわよ…って、自分の声がうるさくて、ヒソヒソ話さないと」


 笑顔のまま、声を小さくする。

 でもねお母さん。その話し声、むかしのお母さんだよ。

 そっか。ここ何年かずっと怒鳴るように喋ってたの、耳のせいだったんだね。怒ってるわけじゃなかったんだね。


 むかしのお母さんが帰ってきた。


 逞しくて、温かくて、優しくて。

 甘えん坊のクセにお母さんには悪態ついて、でもそんな私を見放さず、ずっと心の一番はじめのところに置いてくれた、あの頃のお母さんが帰ってきた。


 何年も見てなかった、お母さんがニコニコと喜ぶ姿。

 そんな姿に思わず涙が…


「ほんとによく聞こえるわ!これであんたたちのヒソヒソ話も私の悪口も、全部聞こえるわ!」



 引っ込んだ。



「なーに言ってんの! お母さんだって、もう都合悪い時に聞こえないフリできないんだよ?」


 でも楽しい。 そして嬉しい。心の曇りが晴れてくる。重い灰色の雲が吹き飛んでいく。こんなに気持ちがスッとしたの、何カ月ぶりだろう。



 親が認知症になる。それは命の10テンカウントのはじまりだ。楽しい時間もどこかに陰が潜り込む。


 でも、どうせ10テンカウントが始まったんだ。もう止められない。それならやっぱり、笑い合える時間をたくさん作る。



 改めてそう思いながら、視聴器の音量テストにかこつけて、穏やかな話し声になった母と会話を転がした。






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