当世書生事情

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銀河鉄道の月夜

 秋の夕焼けの日差しが差し込んで、放課後の視聴覚準備室の床には、落ちる影が長い。


 視聴覚準備室は文芸部の部室代わりにあてがわれて、今時分はもっぱら僕と、長机を挟んで向かいに座る花田はなだの二人でたむろしているのが常だ。僕はノートパソコンに向かって黙々とキーボードを叩き続ける。花田は長机に片肘を突き、軽く握られた拳の上に細い顎先を乗せて、窓の外を眺めている。男二人きりで華がないとはいえ、室内に趣きのあるひと時が流れる中――


 何の前触れもなく、花田がぽつりと呟いた。


「俺、宮沢賢治みやざわけんじが好きなんだよ」


 線の細い面持ちにスクエアな黒縁眼鏡をかけた花田が、憂いを帯びた表情で遠くを眺めていると、傍目にはなかなかの美少年ぶりだ。といっても散々その仕草を見せつけられてきた僕が、今さら彼の横顔にはっとすることは無かった。


「へえ、初耳だな」


 花田が気紛れに突拍子もないことを言い出すのはいつものことだから、僕は関心無さそうに返事する。だがそっけない態度を取られたからといって、花田もたいして気にかけない。きっと彼の方こそ、僕の返事に関心がないからだと思う。


「彼が書き上げた数々の創作、そして思い描いた理想郷イーハトーヴは、仏教信仰と農民生活に根差している。そういった素朴な世界観は、生きることに疲れた人の多い現代こそ学ぶところが多い」


 ふんふんと頷くふりをしながら、僕はノートパソコンのキーボードをカタカタと叩く。『宮沢賢治』で検索した結果が表示された画面を一通り眺めてから、僕はようやく花田の顔を見返した。


「ウィキペディアの冒頭をまんまパクるな。それっぽく言うにしても、もう少し捻れよ。手抜きが過ぎる」

石田いしだはまた、すぐ人の粗を探す。自分でも無粋だと思わないか」


 そう言って花田が眼鏡の真ん中を中指で押すと、額にかかったサラサラな前髪がつられて持ち上げられる。眼鏡の奥の切れ長の目に軽く睨まれて、僕は逆に白々とした視線を彼の顔に向けた。


「無粋も何も。どうせ宮沢賢治なんか、ろくに読んだこともないくせに」

「なんでそう頭から決めてかかるんだ」

「だったら宮沢賢治の作品で何が好きか、言ってみろ」

「そりゃあ、決まってる。『銀河鉄道の月夜』だ」


 花田が挙げたのは、あまりにも有名な宮沢賢治の代表作のつもりだろうが、いきなりタイトルを間違えられると辟易する。


「『銀河鉄道の夜』だろ。まあいいや。他には?」


 真に宮沢賢治を愛するわけでなくとも現役高校生ならば、『銀河鉄道の夜』以外にも一つ二つ作品名を口に出来ないとまずいだろう。ところが花田はうーんと唸りつつ首を傾げ、額に指先を当てながら面を伏せて、やがて再び窓の外に顔を向ける。そのくせ彼の手がこっそりとズボンの尻ポケットに伸びるのを見て、僕は「スマホで検索するのは禁止だ」と釘を刺した。


「そうやって先回りして俺を困らせて、いったい何が楽しいんだ?」


 振り返った花田が開き直って詰り出すから、僕は腹の底から大きく息を吐き出した。くそでかため息という奴だ。


「『銀河鉄道の夜』しか知らないのか」

「だからなんだ。あれが素晴らしいことに変わりない。壮大な宇宙を舞台に、愛と友情と人類の未来を描いた大作だ。今世紀最大、一級品のエンタメと呼ぶに相応しい」


 愛と友情? 人類の未来? 一級品のエンタメ? 


 僕の知っている『銀河鉄道の夜』と随分と印象の異なる感想だが、花田はいったい何の話をしているのだろう。


 首を捻る僕をよそに、花田の語りはヒートアップする。こうなると花田は喋り終わるまで止まらない。


「まず主人公の城萬二じょう・ばんじがいいんだ。うだつの上がらない平凡以下の少年が、数多の困難を乗り越えていくうちに男として成長していく。これぞエンタメの王道だ」


 いきなり聞いたことのない登場人物がお出ましだ。城萬二って誰だよ。もしかしてジョバンニのことか。彼は学校に通いながら印刷工場でも働く、勤労学生なんだぞ。うだつの上がらない平凡以下とか、ひどい言い草だ。


「それに萬二の親友・神庭寧郎かんば・ねいろうの謎めいた雰囲気もいい。宇宙の猛獣・乱虎らんこを追って行方不明となった萬二の父親を、銀河鉄道に乗って一緒に探そうと旅に誘う彼は、この物語の陰の主人公と呼んでも差し支えない」


 カムパネルラは神庭寧郎って、いくらなんでも苦しくないか。だいたいジョバンニの父親はラッコを追ってたんであって、宇宙の猛獣・乱虎とかけったいなもん知らないよ。『銀河鉄道の夜』は大概ファンタジーではあるけど、出てくる動物はお菓子味の鳥とか平和なもんだぞ。


「二人の行く手に待ち受ける、様々な敵がまた魅力的なんだよ。太古の化石や鳥の大群を使い魔として操ったり、幼い姉弟を人質にとった悪辣な青年と思いきや、実は姉弟の方が真の敵だったり。こいつらを知恵と勇気を振り絞って斃していく様が痛快だ!」


 銀河鉄道の乗客はみんな敵なのかよ。乗り合わせた船が沈没したかわいそうなはずの姉弟が、まさかそんなに腹黒いだなんて、宮沢賢治が聞いたら腰抜かすよ。


「それもこれも黒幕は寧郎の元・恋人、座根瑠璃ざね・るりとわかったときは驚いたね! でも俺は彼女が憎めないんだ。全ては寧郎を萬二に奪われたことを恨んでの仕業と知って、思わず瑠璃に感情移入しちゃったよ」


 とうとうザネリはTSしちゃったよ。しかも寧郎の元・恋人なのかよ。しかもしかも「元」ってことは、今の寧郎の恋人は萬二なのかよ。TSにBLに三角関係とか詰め込み過ぎだろ。往年の昼ドラも真っ青なてんこ盛りだ。


「クライマックスは圧巻だった。萬二を庇った寧郎が瑠璃の凶刃に斃れるシーンなんか、思わず号泣してしまったからね。しかも萬二と瑠璃の戦いに決着をつけるのが、乱虎に乗った萬二の父親なんだから、ドラマチックなことこの上ない! いや、近年稀に見る傑作だよ」


 最早『銀河鉄道の夜』の見る影もない謎の物語について、花田は一息に語り尽くし終えた。やりきった感に満ち溢れて前髪を掻き上げる花田は、僕が力の限り眉根に縦皺を寄せても、全く気づく様子がない。


 もうどこから突っ込めばいいのかわからない僕は、せめて花田にもわかりやすい間違いだけでも正すことにした。


「近年ってなんだよ。『銀河鉄道の夜』が発表されたのは、確か第二次大戦前だぞ」

「なんだって? いや、そんな馬鹿な!」


 僕はささやかな訂正のつもりだったが、花田に与えた衝撃は思いのほか大きかったらしい。眼鏡の奥の切れ長の目をいっぱいに見開いて、僕の顔を凝視する。


「そんなはずはない。だって昨日、『小説家になるの?』で石田が書いた話にまた感想を送りつけようと思って、そこの新作欄で見つけたんだ」


『小説家になるの?』は、日本最大の小説投稿ウェブサイトだ。恥ずかしながらこの僕も、ちまちまと自作小説を投稿したりして利用している。最近連続して感想がもらえるようになって、ついに僕にも固定ファンがつくようになったかと感激していたのに、感想書いてたのお前かよ!


 だが花田は僕の落胆に目もくれず、口元に手を翳して、まるで謎にぶち当たった探偵のような素振りでぶつぶつと呟き始めた。


「これはどういうことだ。そんな戦前の作品をぬけぬけとコピペして投稿するなんて、いくら恥知らずなネット住民でもそこまでやらかすことはないだろう。だとするとこれはもしや、宮沢賢治がタイムスリップしてこの時代に現れたということなのか?」


 そこまで言って花田は席から立ち上がり、目をキラキラさせながら僕の肩を掴んだ。


「石田、俺たちはとんでもない事態に鉢合わせたのかもしれないぞ!」

「そんなわけあるか」


 花田に両肩を揺さぶられながら、僕は再びノートパソコンのキーボードを叩いていた。早速画面に『小説家になるの?』のトップページが表示される。検索欄に『銀河鉄道の夜』と打ち込んで、エンターキーを押してみたが――


「検索結果ゼロじゃないか。ここで見つけたって、それもデマカセか?」

「いや、おかしい。じゃあ宮沢賢治で検索してみてくれ」


 仕方なく今度は『宮沢賢治』というワードで検索をかけるが、こちらは作品名やあらすじではヒットするものの、作者名でのヒットはない。僕に一層怪訝な顔で見返されて、花田は両手で頭を掻き毟り出した。


「おかしい! 俺は昨日、確かに見たんだ。もしかしてあれは夢か幻か? それとも亡くなった宮沢賢治が俺だけに見せた、時を超えたメッセージなのか?」


 花田は喚きながら視聴覚準備室をうろついては、壁や窓にガンガンと頭をぶつけ始める。やかましいことこの上ないし、間違って窓ガラスが割れたりでもしたら後で面倒臭いから、そういう芝居がかった真似は本当にやめてほしい。


 しばらく花田の狂態を呆れながら眺めていた僕は、ふと思いついて再びキーボードに手を伸ばした。今度は『銀河鉄道』というワードだけで検索してみる。すると案の定というべきか、何件かの検索結果が現れた。その先頭に表示されていたのは――


『銀河鉄道の』 作者:宮沢賢


「パロディじゃねーか!」


 喚き続ける花田の後頭部を、僕がグーで殴りつけてしまったのは、言うまでもない。

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