第22話、イメージしただけで魔法が使えないことは分かっていたのに



「……はっ」


そして。

晃が再び目を覚ますと、世界は一変していた。


いや、戻ってきたといったほうがいいのかもしれない。

そこは、随分懐かしい気がしなくもない、茶城山のふもとにある、アーチェリー場の裏手……晃が本の世界へと旅する前にいた場所だった。


ふと腕時計を見やると、ストップウォッチは動いたままで。

その日付と時間の経過から判断するに、あの世界に行ってからほとんど時間が経っていないことがわかる。

経っていたとしても、2、3分だろう。


それも晃にとっては不思議なこと、ではあるのだが。

何故なんの前触れもなく戻ってきてしまったのか。

そっちの疑問のほうが大きかった。

それを確かめるために晃がまずしたことは、力失ったように地面に落ちていた本を拾うことだった。


そして早速中身を見て、戻ってきてしまった理由を、晃はなんとなく理解する。

どうやらこの本は、あるいはラキラががあの世界で行動したことが自動的に記される……ジャックの言葉を借りれば日記のようなもので間違いはないらしい。

その本には、晃がしたことがちゃんと書かれていて。



―――ラキラは、自らに授けられた力を使い、傷ついたものたちを救うことにした。


というくだりでページが終わり、開くとその次は背表紙になっていたのだ。

それの意味するところはつまり。


「この本は、一冊じゃ終わらない続きもの、ということか」


そういうことになるわけで。



「戻れたのはいいが、中途半端なのは気分が悪いな」


その時の晃は既に、普通でないことへの不安や恐怖など、どこかになくなっていて。

そう呟く晃は、生き生きとした挑戦的な笑顔をしていた。


「分からないことが多いな。柾美さんに話を聞くか」


晃は自身にそう言い聞かせて、足取り軽快にコースへと復帰する。

その様は、いつもの晃ではないと思えるほどに浮かれて見えて。


(水の力……か)


そんな晃は何を思ったのか、瞳を閉じて……目一杯に広げた手のひらを突き出した。

まるでごっこ遊びか何かのように。

その行為は、根拠もなく魔法が使えると頑なに信じて真似をし、その現場を見られるという恥ずかしい体験をして以来、封印していたものだった。


当然そんなことで魔法など使えないことなど分かっている。

昔と違うのは根拠があってそう思っていることだが。


だとするならば、何故今更にそんな事をしたのか。

それの答えは、意味のないなんとなく、と言うことで丸く収まるはずだったのだが。



バシャン!


瞼を閉じたことで赤黒い視界のその先で。

大量の水を打ったかのような音がしたから。

慌てて晃は目を開く。

晃の目の前、グラウンドにあるのは、なかなか大きな水たまりだった。

ここ数日は雨など降っていなかったはずなのに。

それは、通常起こり得ないはずの異質。


「……本当に出るとは」


思わず昔とは間逆の意味で辺りを見回す晃。

幸い目のつく所に人はいなかったが。


「現実に何らかの影響を及ぼす、か。取り敢えず自重しよう」


晃は自身だけ納得するようそう呟くと、

何事もなかったかのように、とは行かず。

逃げ出すようなスピードで、その場を後にしたのだった……。




               ※




そして、部活終了後。

いつもと様子がひと味違うテンションの高い晃は、大介たちに訝しがられつつも、ダッシュで演劇部が練習している旧体育館へと向かった。


それは、すっかり日も暮れ、夜の帳が何迷うことなく降り始める時分。

晃のすのこ打つ音は、その雰囲気に合わせたかのごとく、微かに辺りに染みていく。


まだ演劇部が活動しているかどうかなど考える余裕すらない晃だったが。

しかし晃の期待通りに、旧体育館の灯りはまだついていて。

晃はその事に一心地つき、静かに旧体育館の大気を逃がさない大きな両開きの扉を開け、中に入る。


そして、スリッパに履き替えて舞台のあるフロアをそっと覗き込んだ。

どうやらまだ終わっていないらしく、数人が舞台に立ち何かを演じている様子がうかがえる。

そこに、柾美らしき姿はなかったけれど、よくよく見ればそこには豊や香澄の姿があって。



「……無事、か」


あの本の世界にいた香澄によく似た少女。

今目の前にいる香澄とは別人のはずなのに、その変わらない凛とした雰囲気に不思議と安堵感を覚え、ついつい当たり前のことを呟いてしまう晃。

すぐに気を取り直すようにしてそこから離れ、玄関ホール両脇にある階段を上がった。


それは、舞台のあるフロアへと続く扉を開けることで部活の邪魔になるかもしれないという配慮もあったけれど。

せっかくだから東雲高校演劇部の演じる物語がどんなものなのか、広く見渡せるところで見てみたいという理由もあった。



コンクリートそのままに近い階段を上がっていくと、たどり着いたのはいわゆる二階席だった。

舞台に相対するようになっている席の後ろには暗幕が引かれていて、その隙間から僅かに茄子紺色に染まりつつある空が見える。

と、暗幕に寄りかかるようにして舞台を見ていた一人の男子生徒が晃に気づき、何も言わず軽く手を上げた。


そしてそのまま再び舞台へと視線を向ける。

晃はそれに習うようにただ頭だけを下げて、黙したままその男子生徒の側まで行き、同じように舞台を眺めた。


お互い話をすることはあるだろうが、それは舞台の終わりを見届けてからという暗黙の了解がそこには成り立っていて。



当の舞台は、どうやらクライマックスにさしかかっていたらしい。

それが青春学園もので、主に香澄と豊の二人の掛け合いがメインの話らしいということが分かった所で、話は終わってしまった。


「ふむ、どうかねウチの演劇部の実力の程は。晃君の正直なところを聞かせてほしいものだな」


緊張感のようなものが解けて、練習の終わりを告げる緩やかな空気が流れる中。

晃の隣にいた男子生徒は、何故だか格式張った物言いで開口一番そんなことを聞いてきて……。



             (第23話につづく)






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