総集編1・フェンダー氏の回顧録

フェンダーの手記・その1

 風にあおられた木々のこずえが立てる、海鳴りのようなざわめき。

 垂直通路のタラップを登って来る、誰かの軽快な足音――

  

 少し離れたところから、それら一切合切を包み込むように低く唸っている音は、この艦「クロクスベ」を空中に浮かべている主重力中和装置メイン・ベクトラの駆動音だった。 

 タラップを登ってきた足音がそのまま近づいてきて、ドアの前で止まる。二回のノックに続いて、返事も待たず無造作にドアが開けられた。

 

「おーい、フェンダーのおっさん。そろそろ見張りの交代頼むわ」


 狭い船室に無理やりねじ込まれた、これまた小さな書き物机の上で身を起こすと、ロズ・フェンダーはドアの方へ振り向いた。

 

「ん、ゲインか……なんだ? まだあと三十分はあるだろ」


「いやぁ、ソリーナさんがちょいと疲れちまったみたいでさ。コルグに相談したら、『休ませた方がいいだろう』ってよ」


「……ああ」


 フェンダーはうなずいた。

 船の移動に伴う風にあおられながら、地上から数十メルトの高さを飛ぶ船の上で周囲三百六十度を監視し続ける――空中艦の当直任務は、不慣れな者にはなかなか消耗する仕事だ。

 大の男でも神経をすり減らすそれを、ついこの間まで農場で鶏の世話などしていた娘が何とかこなして見せている。六時間の勤務を三十分早く切り上げる程度なら、現時点では上出来と言ってもいい。

 

「そういうことなら、仕方ねえなぁ」


 机の上で開いた厚手の手帳を、フェンダーは合掌する手つきでぱたんと閉じた。黒鉛の芯を紙で巻いた筆記具が天板の上を転がって、乾いた音を立てる。その動きを目で追いながら、ゲイン・マーシャルが首を傾げた。


「あれ、もしかしてなんか書いてた? おっさん、読み書きできたのかよ」


「……おいおい、莫迦にするもんじゃないぜ。ハモンド軍では……いや、限った話でもないわな――士官ってやつは、腕っぷしだけじゃ務まらないんだ。命令書を読んだり報告書を書いたりするし、派遣された先で地元の連中と交渉したりもあるからな」


「あー、そういえばそうか」


 ゲインが納得顔になった。


「まあ、俺がそんなに頭がよくないってのは確かだが、覚え書きを綴るくらいのことはできるさ」


「なるほどねえ」


 ゲインが手帳にあからさまな興味を示しているのに気付いて、フェンダーはくすりと頬を緩めて笑った。

 

「んじゃ、行くか。湯を沸かしてあるから、ソリーナさんが降りてきたらコッピ―でも淹れてやってくれや」

 

 そう言いながら、奥まったところにあるコンロに置かれた銅製のケトルを指さす。この小部屋は別段フェンダーの個室というわけでもなく、次の当直に立つ者が仮眠をとったり、武器の手入れといった私的な作業をしたりするための待機室なのだ。

 

「はいよ。まあ、あの人はここよりもデイジーんとこの相部屋の方で休むだろうけどな。なあおっさん、それ、なにが書いてあるんだ? 読んでてもいいかい?」

 

「こいつはな、ロランド殿が来てからのことを覚え書きにしてるのさ。あの人には驚かされてばっかりだからな……ま、読まれて困るようなことも書いてない。構わんぜ」


 壁に掛けられた防寒用のコートを取って、三回ほどはたいてから袖に腕を通すと、フェンダーはゲインと入れ替わりに通路へ出た。


 

         * * * * * * *



 思い返してみれば――クヴェリから新たに三輌の重戦甲カンプクラフトが届いたのが、全ての始まりだったのだ。

 

 輸送を受け持った隊商には、ハモンド閣下の遠縁に当たるという騎士志願の若者が同行していた。   

 その若者、ロンド・ロランドが出発前にクヴェリでやらかしたという大立ち回りの顛末が明らかになるや、ラガスコの基地内はにわかに騒然とした空気に包まれたものだ。


 ポータイン二輌を先頭に街を襲った山賊の部隊を、彼は何の調整もされていない出荷状態のヴァスチフで退けたという。一輌は武器ラックにセットされていた重湾刀クリーバー、もう一輌はその場で徴発した百五十メリ・バレルシューターで。


 普通ならあり得ない戦果だ。彼が数年にわたって軽歩甲シュテンクラフトで訓練を積んでいたという事実も、俺たち古参士官の動揺を拭うことはできなかった。

 

 動揺の背景には、もっぱら我が軍の装備事情があった。ラガスコではこれまで、リドリバ三輌とポータイン二輌、それにあまり見かけない古い形式の「ハースキン」という重戦甲を一輌保有していたのだが、リドリバの一輌が先だっての派兵で大きく損傷し、また部品が払底してハースキンの修理が困難になった。それで今回、クヴェリに新規の発注を掛けたわけだ。

 ヴァスチフはハースキンの代替として、最先任士官のアルパ・デッサ殿に与えられる筈だった。だが、もしやハモンド閣下は、遠縁だというあの新参者にヴァスチフを与えられるのではあるまいか? 

 俺たちはひそかにそう噂し合った。

 

 

 そんな臆測とは裏腹に、蓋を開けてみればハモンド閣下の采配は至極順当なものだった。

 ヴァスチフは予定通りアルパ殿に。リドリバも大破した機体の乗員と、新たに選出された士官に与えられて基地の守備についた。


 ロンド・ロランドは見習士官として、持参したサエモドと共に、俺の所属する軽歩甲部隊に編入されることになった。クヴェリで彼が屠ったポータインは修理が済めば彼に任されるということだったが、立てた戦功を考えればこれも妥当なものだ。

 俺個人としてはいささか面白くなかったが、何の係累もないこっちと違って、彼には首領たるハモンド閣下本人の引き立てがある。であればこれぐらいは世間でも珍しくない事だ。

 ダダッカ乗りの小娘など帯同してきているのが、兵士たちの失笑を買ってもいた。いずれボロをだして内勤の閑職に回されるか、功を焦って死ぬだろう――俺はそう考えて、彼のことを冷ややかに見ていたものだ。だが、その予測は大きく覆されることになった。



 ウラッテ渓谷への派兵は、偵察任務というには随分と大規模だったと思う。

 納品されたばかりのヴァスチフを中核に、専用の運搬車と六輌編成のサエモド部隊、それにダダッカ騎兵が随伴していた。


 おそらく実際の作戦目的は、アルパ殿のヴァスチフへの慣熟を兼ねた、敵拠点への強襲と制圧だったのだろう。単なる偵察ならば、ダダッカ三輌程度の小規模編成であるほうが、こちらの所属と意図を隠したまま迅速に行えることは言うまでもない。

 だが、結果として俺たちは、ハモンド閣下の判断によって危険にさらされ、そして同時に助けられる形になった。


 ウラッテ渓谷に潜む敵――ギブソン軍の後ろ盾を持つ山賊モズライトはあの時点で、進行中の作戦のために周辺監視を密にしていたようだ。

 ダダッカの小部隊だったとしても結局は敵のポータインに見つかっただろうし、その場合は恐らく全滅を免れない。そして、連絡を受けたモズライトの一味は、そのままウラッテを放棄して迅速に拠点を移したかもしれない。

 

 あくまでも後知恵の憶測、それも実際には起きなかったことだが――俺たちの到着より前にコルグ・ダ・マッハたちがウラッテのダム後に到着し、誘拐された農場の娘(ソリーナさん)を救出していれば、アルパ偵察隊はもぬけの殻になったウラッテで、ギブソン軍の連絡部隊と接触していたかもしれない。

 

 ともあれ、ロランドがアルパ殿の命令でサエモドを残して隊伍を離れ、森の中へ単独で斥候に出たすぐ後。俺たちはモズライト一味のポータインによる奇襲を受けたのだ。

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