第40話 市街戦

 この辺りはもう町はずれだ。少し先では地面に舗装がなく、踏み固められた砂まじりの粘土がところどころでぬかるみを作っていた。辺りは暗かったが、月明りと前回の記憶を頼りに、どうにか迷わずに進む。

 数分後、俺たちはたどり着いたドアの前にしゃがみ込んで、中の様子をうかがっていた。

 

「ダダリオ殿……居られるか?」


 ドア越しに低い声で呼びかける。返事の代わりに、首をすくめたくなるような軋みと共にドアが開いた。メタルフレームの眼鏡を鼻に載せた、痩身の男が、ドアノブを掴んでそこに立っていた。

 

「……ロランド君か! 辺境から戻ったのだな」


「ありがとうございます。ダダリオ殿もご無事で――」


 俺が言いかけると、彼はそれを片手で制した。


「私のことはいい」


 そのまま俺たちを促して、家の中に招き入れる。

 

「そっちの若い男は誰かね、部外者にはあまりここの事を知られたくないのだが――」


「ああ、ご心配なく。リコと言いまして、当地での我々の協力者です」


「そうか。それにしても難しいときに帰ってきたものだな。街は見ての通りだ、君が居合わせなかったのは幸運だったが」


 ダダリオ氏はドアの施錠を直しながら背中越しにそう言った。


「……はい。それで善後策を考えているときに、雑貨屋でダダリオ殿の買い物について聞きおよびまして」


「ああ、なるほど。ご想像通りだ、君の部下たちは無事だよ」


「ありがたい……!」


「彼らのために必要な買い物ではあったが、まさかそれを手掛かりにしてここまで来るとはな。ドローバが見込んだだけのことはある」


 ダダリオ氏の言葉に、俺は苦笑しながら首を小さく横に振った。それに気づけたのは俺の才覚によるものではない。 


「いや、これはたまたま、幸運の産物というところですよ。それで、彼らは今どこに?」


「西の岩山だ。あそこはもともと、街の建設に使った石材を切りだしていた場所でな。石工たちが使っていた宿舎と、短いトンネルが何本か残っとるんだ」


 なるほど、と俺はうなずいた。やはりあの岩山か。

 さて、欠員が出ていなければ、残留組は士官がシャーベルとグレッチ、ジルジャンに、兵士が十名。装備やマシンがどうなっているかがまだ不明だが、これからのことを考えれば合流するにしくはない。

 

「部下たちにすぐ連絡を取れるでしょうか?」 


「む……何か差し迫った事態かね? わしが一週間前につかんだ情報ではギブソン軍は明日、部隊をまとめてここを離れるらしいぞ。君たちは少数だ、それまでは潜伏すべきだろうと思うが」


「何ですと……!」


 軽い衝撃を受けた。コルグからの情報は漠然としていたが、ダダリオは具体的な日時を掴んでいたわけだ。しかし明日、とは。

 あまりにも急すぎる。このままではコルグたちとの連携も難しい。ソリーナの身の安全はあと明日一日をやり過ごせば確保できるが、おそらくあのリドリバは撤退の際に持ち去られてしまうだろう――


「この情報は既にドローバにも伝えてある。ギブソン軍の撤収と入れ替わりに空中艦で君たちを迎えに来ると言っていた」


「……それでは遅いのです。ハモンド閣下に、至急連絡を取ってください」


 虎の子の打撃艦シュラックまで出してくれるのはありがたいが、それでは本当に迎えに来るだけになってしまう。だがあの艦の火力を当てにできるなら――


「奴らは、ジャズマンから義勇軍の資金三千万レマルクを押収したらしいのです。みすみすギブソン軍に撤収を許せば後々に祟る」


「三千万レマルク……!」


 今度はダダリオ氏が絶句する番だった。

 無理もない。ポータインが回収品で三十五万レマルク前後だったから、単純計算で百輌近くを調達できる額だ。ヴァスチフでも十輌をそろえられる――むろん、それだけの数の重戦甲が一度に売りに出されるなど普通はあり得ないが。


「いや、無理だ……すぐに出たとしても、艦がここまで来るに二日はかかる」


「あっ……」


 そうだった。すっかり忘れていたが、ラガスコからソステヌート近郊までは、クロクスベで来た時もおおよそ二日かかっている。

 冗談のような鈍足に感じるが、これはこの世界にレーダーの類がなく、周囲を目視警戒しながらの有視界航法がセオリーだからだ。


 ウラッテ渓谷から俺たちが打撃艦を運んだ時は三倍近い速度での夜間航行を行ったわけだが、実のところそれは、あの場に誰も操船経験者がいなかったが故の蛮勇だった。クロクスベでの飛行中、船長とうっかりその話をした時はしこたま叱られたものだ。


「とはいえ、こんな重要なことを報告せんわけにもいかん。ラガスコへ連絡だけは入れてみるか」


 通信機を立ち上げ、ダダリオ氏はラガスコを呼び出した。だが会話の途中で急に毒づきながら通信を切り、ヘッドセットを放り出してしまった。


「……なんてことだ! ドローバのやつ、昨日朝に出撃してしまったらしい」


「ええ!? 莫迦な……閣下が知り得た情報では、そのタイミングで出る理由にはならないはずだ!」


 どう判断すべきなのだ、これは。 

 が――とにかく。順調に航行してきたとすると、現在ハモンドの打撃艦シュラックは、ソステヌートからかなり近いところまで来ていることになる。

 

「どういうお心算つもりなのかわからんが……」


 不確定要素が積み上がりすぎている。バランスを崩せばすべてが累卵のように台無し、だがもしもうまくはまれば?

 そんな夢想に一瞬とらえられたその時。


 鎧戸の隙間から差し込む月明りに、オレンジ色が一瞬混ざった。


 ――ドゥン!

 

 一瞬遅れて、腹に堪えるような鈍い爆音がとどろく。それほど大きなものではないが、聞き覚えのある音だ。


「これは……四十メリ榴弾の炸裂音か」


「分かるものなんです?」


 リンが驚いたようにこっちを見た。


「ああ。ガラトフが装備する四十メリ短砲身シューターだと思う。父が村を守るために発砲するところをよく聴いたものだ」


 続いて同様の音が数回。十三メリ機銃の連射音がその空隙を埋めていく。距離からすると町の中心部のようだ。


「これは……コルグ君がもう動いたのか?」


 いや、恐らくは動かざるを得なかった、か。こうなると、こちらも後は出たとこ任せで動くしかなさそうだ。


「あの砲声と閃光は山からも見えているはずだ。追っ付け君の部下たちが近くまで駆けつけるだろう。こういう時のための集合場所も決めてある」


 ダダリオ氏は壁際のクロゼットに歩み寄りながら、そう言った。ハンガーにかけられた衣類の間から、手入れの行き届いた旧式のボルトアクション・ライフルを取り出している。

 

「サエモドを一台持ちだして、山に隠してあると言っていた……君はどうする?」 


 ダダリオ氏の問いに、俺は同行者への命令で応えた。


「よし、私はソリーナ嬢のリドリバを取りに行く。上手くいけば現場でコルグ君たちと会えるだろう。リンはダダリオ氏を守って、シャーベルたちと合流してくれ。リコは戻ってソリーナ嬢の護衛を」


「やれやれ、また下水道か。貧乏くじですな」


「すまん、だがよろしく頼む」


 肩をすくめて笑うリコを後に残して、俺はダダリオ氏の家から駆けだした。

 


 路地を駆け抜けてシャッフル通りへの曲がり角に差し掛かる。足を止め身を低くして様子をうかがうと、ちょうどその位置からは南北それぞれへ等距離位のところに検問所らしい灯が見える。

 

 その奥に、駐機場があった。ギブソン軍カラーのポータインが二輌、ゲートの向こうで起動し、立ちあがるのが見えた。人員が足りないのか、駐機場で歩哨に立っていた兵士の半分ほどがそれに随伴して東の通りへと走っていく。

 

 俺はターコイズブルーに塗装されたソリーナのリドリバを探した。駐機場の弱い照明が作る影を頼りに進んでいくと、不意に横から走ってきた三人ほどの兵士に出くわした。

 こちらをみとめて、一瞬彼らの動きが停まる。その表情に浮かんだわずかな戸惑いに気が付いた瞬間、俺は自分でも驚くような行動を選んでいた。 

 背筋を伸ばして居住まいをただし、長剣を指揮刀らしく振り上げて精一杯の命令口調で叫ぶ――

 

「何をぐずぐずしている、早く行け!」


 戦闘の中心は東のスイング通りであるようだ。剣の切っ先でそちらを指し示すと、兵士のうち二人は敬礼して走り去った。

 だが残る一人はいくらか冷静だったようで、こちらに向かって目を凝らしながら腰の拳銃を抜いた。

 

「待て……その軍服、うちの士官たちとは違うぞ! 何者――」


 誰何の言葉が出終る前に、俺は踏みこんで彼の喉笛に長剣を突きこんでいた。


「目端が利きすぎるのは、時に不幸を招くものだな」

 

 声もなく崩れ落ちる遺体から剣を引き抜いて再び走る。駐機場の塀越しに、一台のガラトフが駆けていくのが見えた。その防弾鋼板で覆われた操縦席に、コルグ・ダ・マッハが座っているのを俺は見逃さなかった。

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