第11話 コーヒーを飲んだら運命が芽生えました

「わぁ……。全然変わってないですね!」

「そう……かな? 前に来たときもこんな感じだった?」

「はい! 綺麗なお家でした!」

「はは……」


 俺が1人で暮らすようになってからというもの、綺麗とは無縁の生活になっていたのだが、昨日、一昨日に芽依めい弥月みつきが家を掃除してくれて、なんとか他人を呼んでも構わないくらいには綺麗になっているのだ。


 なので、綺麗な家……と、言われるとちょっと反応に困る。


「お茶でも入れるからさ。そこ座っててよ」


 一応、こんな家でも来客用のセットはあるのだ。

 

 本来だったら弥月みつき芽依めいに振る舞う方が先なのだろうが、あの2人は来客というよりも俺の世話をしにきてくれたお母さんみたいな感じだったので、お茶を振る舞うという発想にならなかった。


「紅茶と緑茶、どっちが飲みたい?」

「緑茶です! 紅茶は向こうでも飲めますから!」

「おっけー」


 ネットで何でも買える今どきなら、別に緑茶でも飲めると思うけどなぁ……なんてことを考えながら、俺はお茶を沸かす。


 ちらりと振り返ってリビングを見ると、ルナちゃんが行儀よくソファの上に座っていた。


 普段通りの俺の家に金髪の可愛い女の子がいるという光景があまりにも異質というか、不思議すぎて現実味がまるでわかない。夢でも見てるみたいだ。


 ……夢だったことにならねえかな。

 もしかして、まだ俺はコーヒーの酔いから覚めて無くて……目を開けたら2日前に戻ったりして……。



「……あるわけないよな」

「どうかしたんですか?」

「いや、なんでもないよ」


 俺の独り言に、ルナちゃんが反応してきたので断りを入れる。


 一人暮らしを初めてから、独り言が癖になってきているな……。

 治しとかないと……。


「ルナちゃんは……」

「はい?」

「こんな時間に家を出てて、親からは何も言われないの?」


 もう日が沈んでからしばらく経っている。

 女の子が1人で出歩いていたら何かを言われそうなものだが……。


「パパもママも忙しくて家にはめったに帰ってこないです」

「そ、そっか……。悪いこと聞いたな……」


 俺は緑茶を湯呑にいれて、ルナちゃんのところまで持っていくと……彼女は首を横に降った。


「ノン! 何も悪くありません! だって、いつでも好きなときにハルさんのとこに来れますし!」

「……あぁ」


 なるほど。そういうことになるのか。

 ポジティブというかなんというか。


 ……俺の胃痛がどんどん加速していくなぁ。


「ハルさん、顔色悪いみたいですけど……まだ体調が悪いんですか?」

「いや……。大丈夫だ……」


 しかし、元はと言えば自分が撒いた種である。

 この胃痛とも付き合っていかなければ……。


「なにか困ったことがあったらいつでも言ってください、ハルさん。私たちは、これからも長いんですから」


 ルナちゃんの優しい声色が俺の耳の底をうつ。

 本人は励ましてくれてるんだろうが、俺からするとそれが原因なんだと叫びたいくらいだ。


 ……叫べたらこんなことにもなってないが。


「な、なぁ……ルナちゃん。その婚姻届のことなんだけどさ」

「これがどうかしましたか?」


 ルナちゃんは財布からラミネートされて保護されている古いルーズリーフの端を大切そうに取り出して聞いてきた。


 ……この娘、これを普段から持ち歩いてるの?


「それって、ルナちゃんが転校する前に書いたやつだよね」

「……はい。私の大切ななんです」

「お守り……」

「私はフランスで生まれましたが、物心ついたときには日本でした。だから、フランス語が上手くなかったんです」

「……うん」

「でも、私の容姿はフランスなんです。だから、そのせいで色んな思いをしました。日本でも、向こうでも」


 知っている。彼女のことは目の前で色々と見てきたから。

 彼女が容姿のことでからかわれているのも、言葉のことでからかわれていることも。


 そして、それによって彼女が嫌な思いをしていることも。

 側で見てきたから。


「ハルさん、だけでしたね。私のことを私のまま受け入れてくれたのは」

「そうだっけ」

「そうですよ。私の容姿でもなく、私の言葉でもなく、ちゃんと私を見てくれたのは」


 ルナちゃんはそういうと、ラミネート加工されたルーズリーフの切れ端を愛おしそうに抱きしめた。


「だからこれがあることで頑張れたんです。また、日本に行ったときに……ハルさんと結婚するって約束したから」

「……そうだったんだ」


 知らなかった。

 俺は彼女がそこまで追い詰められていたことを。

 

 それだけ、それを頼りにしてくれていたのだということを。


「でも……。ハルさんと会えるかどうかは……賭け、だったんです。ハルさんが引っ越してるかも知れない。私と会っても、私のことを忘れてて思い出してもらえないかもしれない」


 そこまで言って、ルナちゃんは黙り込んだ。


「……わ、悪かったよ。忘れてて…………」

「ノン! ハルさんはすぐに思い出してくれました! それに、ハルさんは困ってる私をちゃんとエスコートしてくださいましたし……」


 その記憶が無いんだよなぁ。


「ハルさんは、やっぱり優しい方です。そして、ちゃんと私を私として見てくれる方だとわかりました。だから……」

「……だから?」

「やっぱり、私たちはでこうなることが決まってたんです!」


 そういって、ルナちゃんは俺の手を取って指を絡めてきた。柔らかいルナちゃんの手が、俺の指と触れる。少しだけ冷たくて、でもそれよりもきめ細かくて滑らかな肌に意識が持っていかれてしまう。


 こっ! これ、恋人つなぎじゃん……ッ!?


 初めて女の子とこんな手の握り方してしまった俺は困惑のまま、ルナちゃんを見る。

 すると、そこには両目をうるませたルナちゃんの透き通るような蒼い目があった。


 それに、どこまでも吸い込まれていく。

 どこまでも、どこまでも……。


 そして、そのままルナちゃんの顔がわずかに近づいてきて……彼女はそっと目をつむった。


「な、なぁ、ルナちゃん……」


 なされるがままになっていた俺も、流石にそれには待ったをかけた。


 ……まだ、それは駄目だ。

 芽依めいにも、弥月みつきにもちゃんと話せてないんだ。


 いや、芽依(めい)には話せたか。

 だが、それでも……このまま彼女に流されてキスをするのは、違うと思ったのだ。


「……はい?」


 どうして止めるんですか……と、そう言いたげにルナちゃんの顔に拗ねた表情が浮かぶ。


「……1つ、聞いてもいいか?」


 それは、俺の口から出た苦し紛れの話題そらし。


「はい、なんでも聞いてください」

「もし……。もし、俺が誰かと付き合ってたら……どうしたんだ?」

「……?」


 ルナちゃんは俺の言葉に意味がわからないと言わんばかりに、首を傾げた。


「そ、その……運命だって言ってくれることは嬉しいし、そのルーズリーフが」

「婚姻届です」


 食い気味にかぶせてきたルナちゃんに若干俺は引いた。


 訂正する速度はっや……。


「……婚姻届が励みになったなら、良かったと思うんだけどさ」

「すっごく励みになりました」

「だからさ。もし、俺がその約束を忘れたままで……誰かと付き合ってたら、どうするつもりだったんだ?」

「何を言ってるんですか?」


 恐る恐るそう聞いた俺とルナちゃんの握り合っている手がぎゅっと強く握りしめられる。


「私とハルさんは運命で結ばれてるんですよ?」


 ルナちゃんは、当たり前だと――まるで、太陽が東から上って西へと沈むように、夏を経て秋へと移り変わる季節のことを語るかのように、


「ハルさんのなんて、私たちの障害になるはずが無いじゃないですか。だから、いないのと一緒ですよ」


 ゆっくりと、微笑んだ。

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