書店と数奇な恋心

桜乃

第1話

 私の大いなる、久しぶりな休日は、天気も味方してくれたらしく、文句無しの快晴となった。

 こんな日に現在住んでいる、築三十年になるボロアパートに隠居するほど、私はじっとできる性分ではない。

 休日は必ず、駅前の書店に行くと決めている。次の日が会社であろうが、前日に会社で先輩に裁きを喰らおうが、関係なく。

 先週、イオンで一目惚れした黒いショルダーバッグを肩にぶら下げて、書店に向かう。

 自転車はあるにはあるが、徒歩で行く。

 街の喧騒と、ほんの僅かに聞こえる電車の音を聞きながら歩くことが、書店に着くまでの一つの嗜みであるからだ。そして鼻腔にほんのり漂ってくるすき家の香ばしい匂いが、食欲を誘う。

 だめだぞ私。今日は本を一冊買うお金しか持っていないのだから、無駄遣いは禁物。

 大きな看板をみると、ホッと一息つく。

 書店にたどり着いた達成感と、物語の世界が目の前に広がっているという期待に胸が膨らむからだ。

 薄いガラス扉を開けて、向かうは地下一階。「いらっしゃいませ」と店員さんの穏やかな挨拶を聞きながら、エスカレーターを降りる。スーパーや雑貨屋さんとは違って、書店員さんの穏やかな雰囲気は、決まって私を和ませてくれる。ええがな、ええがな。

 地下に降りると、長い本棚の列が私を出迎えてくれる。

「まるで、貴族の住む宮殿に彷徨い込んだ気分です」

 独り言を言うと、案外声が大きかったらしく、近くで立ち読みしていた小学生高学年くらいの少女に目線で「やばい女来よったで」と訴えかけられた。私は会釈だけしてその場を立ち去る。

 宮殿みたいといえど、デパ地下ではあるまい。お目当ての本棚がある場所までは、通りを真っ直ぐ行けば直ぐにたどり着く。

 小説と書かれたコーナーに曲がり、足を止める。ようやく一休憩、とはいかず。ここからが本番だ。

 スマホを開き、ツイッターで好きな作者が告知していた新刊を血眼になって探していく。

 女子の中でも小柄な私は、背伸びをしては屈んで、背伸びをしては屈んでを繰り返して、スポーツ選手も驚くであろう屈伸運動を、本棚に向かって堂々とした。そうでもしないと、本棚の圧力に負けてしまいそうだ。それに、本が見えない。

 幸いにも、作者の名前の行がいちばん下の列にあったので、お目当ての本を取るときは苦労せずに済んだ。めでたし、めでたし。

 落ちないように、しっかり掌で本を包むと、あとは自由時間だ。

 書店のいいところは、興味のない本でさえも目を通せることにある。

 私は小説のコーナーに手を振ってお別れをしてから、反対側にある理学書の詰まった本棚をのっそり歩き出した。

 眼鏡をかけた男の子が、真面目な顔をして参考書を読んでいた。

 学生時代、生粋の文系人間だった私は、数学や理科系の勉強をする度に、その夜は金縛りにあっていたが、今となっては、なついなおいっ、程度で理学書を見て歩ける。結局、私に取り憑いてたのは、なんの幽霊だったのだろうか。

 理学書全般を見た後は、時事問題や評論などのコーナーを歩き、最後は哲学書をぱらぱらとめくる。

「ふぅ、食った食ったぁ」

 満足気味にお腹をさすると、さっきの少女がまた私の方を向いて「この女、何くったん」みいな目線を飛ばしてきていた。

 もちろん、書店を満喫してお腹いっぱいになったという意味だ。地下エリアしか回っていなのだけれど。

 本日二度目になる会釈を少女に向けてから、その場を立ち去ろうとした時、何かが変だと言うことに気がついた。

 エスカレーターに向かおうとした足を止めて、もう一度少女の方を見ると、なぜか四方八方に目を向けて、挙動不審になっていた。

 もしかして、私の怪しさに感極まって、書店員を探し出したのだろうか。もしくは警察か。

 少女の目は、軽く潤っていた。

「お、お嬢ちゃん?」

 私は勇気を振り絞って、少女に声をかけた。

 それから少女はなぜか、走ってそのまま奥へと立ち去って行ってしまった。

「ちょっとまってぇ!」

 私はストーカーにならない程度の距離を取って、少女の跡をつけた。

 きっと、書店員をみつけて、私を訴えるつもりだ。幸いにも、パトカーの音は聞こえないのでその一択だろう。

 少女の走る速さは、私が気持ち早く歩けば十分追いつける速さだった。

 そして、角を曲がったところで、少女は止まった。私もそれにつられて歩を止めて、本棚の角から目だけを出す。そこはさっき私が通った理学書の本棚だった。

 明らかにやっていることが、ストーカーみたいになっているが、気にしない。あらぬ誤解を生んで、やさしい書店員にストーカー扱いされるよりはましだ。優しい人間には裏があるからね。本で読んだことがある。

 しかし、様子が変だ。いや、べつに少女に誤解が生じてないのならそれでいいのだが、さっきから少女は前を向いたまま固まったままだった。

 どうしたの? と、私は心の中で少女に呼びかける。

 しかし、少女の心中は聞くともなく、すぐに分かった。

「なるほどね〜」

 恋愛小説は嫌と言うほど読んできたが、実際に見るのも案外悪くないかもしれない。

 少女がまた私の方を向く。

 その綺麗な目は相変わらず、潤んでいた。

 私は声とは言えない程度の声量で、「がんばれ」と囁いた。

 それくらいしかできない。それでも、私の声を聞いて分からないが、少女は前で参考書を読む男の子に近寄って行ってくれた。

「若いねぇ」

 老婆じみた事を呟きながら、私はその場を後にした。

 数日後、近くの公園を歩いていると、あの二人が楽しそうに会話していた。

 頬をほころばせながら、カウンターを通り過ぎて危うく本を窃盗しかけた挙句、軽い問答をされたこと以外、やっぱり休日は書店に限ると感じた、私のとある一日だった。

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書店と数奇な恋心 桜乃 @gozou_1479

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