いあ!クリスの体調不良
第46話
この日、ルルイエ探偵事務所では少女のうめき声が響いていた。
「うぅう……あぁ~……」
その正体はというと……。
「大丈夫? クリスちゃん」
「だ……だいじょばないです……うぅ……」
邪神の娘にしてトラブルメーカー、ヒーローを目指していたらなぜか探偵助手になってしまった少女ことクリスだった。
現在彼女はパジャマ姿にガウンを羽織りソファーでうずくまっている。
その眼前には食べかけのお粥が一杯。
「んー食欲もなさそうだし、そんなにつらいなら部屋で休む?」
「……体調悪い時って人が恋しくなりません?」
「ごめんねぇ、私体調崩したことないからわかんないや」
そういって眉をひそめてほほ笑むのはルルイエ探偵事務所の大家であるナコトだ。
その手には季節のフルーツを盛りつけた皿が載っている。
「でもまぁ私でよければしばらくそばにいてあげるけど、病院行ける? タクシー呼んでおこうか?」
そう言いながらナコトはお粥の入った椀の隣に皿を置き、クリスの頭を少しだけ持ち上げてソファーとの間に自分の太ももを滑り込ませた。
いわゆる膝枕だが、クリスは恥ずかしがることなくナコトの太ももを枕に腹部を抑え続けるのだった。
一応大丈夫と首を横に振っていたことから歩けないほどではないと見て取れる。
さて、そんなクリスの不調の原因だが……。
「でも……こんなに酷かったっけ? クリスちゃんのお月さま」
いわゆる女性特有のあの日である。
邪神の娘であろうとも、これに悩まされる女性というのは全世界共通だ。
「季節の変わり目ですから……もうすぐ夏だからお父さんの力が強くなるんですよ」
「へぇ……でもなんでフィリップスの力が強くなるとクリスちゃんのお月さまが酷くなるの?」
「肉体はお母さんに依存しているので神の血とエルフの身体のバランスが崩れて……うっぷ」
説明をしながらも顔を青ざめさせて口元を抑えるクリス。
元々重い体質だが、季節の変わり目になると邪神の力の根源、つまりは民衆の信仰心に変化が起こるため不調はピークに達するのだ。
「あーごめんね、もう喋らないでいいから病院の時間までこうしてよう」
ナコトは器用にもクリスの頭を揺らさないようにしながらテーブルの上に置いていた瓶からクリスに水を飲ませる。
普段ならば瓶を持ち上げるまでもなく、クリスの権能で中身だけを口元に運ぶこともできるが、月の日に限ってはそれすらも難しくなる。
故に、ナコトの介護をクリスは甘んじて受けているのだ。
「サクランボ、食べる?」
少量の水を飲ませたナコトは瓶をテーブルに戻し、布巾でクリスの口元を拭ってからフルーツの乗った皿に目を向け問いかけた。
「……」
ナコトの問いに無言で首を縦に振るクリス。
その口元に運ばれたサクランボを唇で茎からむしり取り、数回噛んでから種ごと飲み込んだのだった。
「種は出そうね」
そう言いながらナコトもサクランボを茎ごと口に含み、ごみ用にと置いていた空皿に茎と種を吐き捨てる。
それは器用にも茎と種はごくわずかな果肉で繋がったまま、なおかつ茎は結ばれた状態で皿の上に落ちた。
「あ、そうだちょっとごめんね」
ふと思い出したかのようにクリスの頭を持ち上げてゆっくりと下ろしてから立ち上がったナコトはクリスのスマホと自分のスマホを手に再び膝枕の姿勢に移行した。
それからクリスにスマホを差し出しながら頭を撫で始める。
その行為に特に意味はないが、クリスは心地よさそうにしていたためナコトも手を止める事はなかった。
「えーと、シュブ=ニグラス中央病院だよね。ここからだとバスに乗るのが早いから……うん、そろそろ着替えた方がいいかも」
「あ~……もうちょっとこうしていたいですぅ……」
「んーナコトさんも弱ってるクリスちゃんを撫でるのは楽しいんだけどさ、早く普段の元気なクリスちゃんに戻ってほしい気もあるんだよねぇ。だから続きは帰ってきてからね」
「う~……わかりましたぁ……」
岩のように重い上半身を起こし、鉛のような鈍重さを付与されたかのような下半身を引きずるようにして自室に戻っていくクリスの背中を見送りながらもナコトはスマホの操作を止めない。
画面に表示されているのは何かの原稿か、長々と書かれたそれをげんなりとした表情で見つめては視線を逸らすという奇妙な行動を繰り返していた。
「まったく……有名税って面倒だよね」
「はー何がっすかー?」
ナコトのひとりごとに口をはさんだのはこの探偵事務所の所長にして堕天使のルルイエだった。
ぼさぼさの髪によれよれのスーツ、しかしていつも通りだとナコトは気にすることもなく挨拶をする。
「あ、ルーちゃんおそよう」
「いや、これから寝るんでお休みっす……」
「……また徹夜?」
「うっす、EGOがレジェンドオブデストロイって映画とコラボするとかで限定キャラとゲーム内通貨のボーナスが美味しくってつい……」
「ほどほどにねぇ……あ、今日は私もクリスちゃんもいないからよろしく」
「え? そうなんすか?」
「うん、私はちょっと私用でね。クリスちゃんは毎月のあれがいつもより酷いから病院行って来るってさ」
「はー、大変ですねぇ生理重いって」
「ルーちゃん……」
あまりにあけすけな言葉にナコトも苦笑いを浮かべる。
が、ルルイエは気にせずデスクの上にあった煙草に手を伸ばすが……。
「あ、今はちょっと待ってあげて。クリスちゃん臭いにも敏感になってるから」
「はーそんなに酷いんですか……じゃあ珈琲も……」
「うん、自分で淹れてね。クリスちゃんが出かけた後で」
「うっす……」
少し肩を落としたルルイエは火のついていない煙草を灰皿の上に置いてから、給湯室でお湯を沸かし始めた。
そして数分の後。
「準備……できましたぁ……」
黒いゆったりとしたスカートと、濃いブルーのTシャツ、薄手のカーディガンを着たクリスがハンドバッグ片手に身体を引きずるようにして事務所に顔を出した。
「お、おはようクリス。辛そうだねぇ」
「あールルイエさん……おはようございます……」
「クリスちゃん本当にタクシー呼ばなくて大丈夫? 経費で落とせるし、もし何ならナコトさんが送ってくよ?」
「大丈夫ですぅ……というか……いえ、なんでもありません」
ナコトの運転、という言葉を聞いてルルイエ共々顔をひきつらせたクリスはこれ以上心配をかけまいと気丈にも笑みを浮かべて姿勢を正して言葉を続ける。
「では行ってきますぅ……」
力のない言葉に、ナコトは心配そうに視線を送るがルルイエはひらひらと手を振りクリスを送り出した。
それから二杯分のコーヒーを入れたルルイエは一つをデスクの上に置き、ようやくと言った様子で煙草に火をつける。
そしてもう一杯は窓際でよろよろと歩くクリスを心配そうに見つめているナコトに差し出す。
「そんな心配しなくても本人が大丈夫って言ってるんだから大丈夫っすよ」
「まぁそうなんだけどねぇ」
頬に手を当て悩まし気にクリスを見送ったナコトは大きくため息を吐く。
「あ、そだ。寝る前に朝ご飯食べたいんですけどなんかあります?」
「お粥の残りかうどんなら直ぐに用意できるけど?」
「じゃあうどん食べたいっす!」
「はいはい」
再び苦笑を浮かべるナコトは内心子供が二人いるようだと、コーヒーに口をつけるのだった。
「……まずっ」
「……クリス早く生理終わってほしいっすね」
激マズのコーヒーに盛大に顔をしかめた二人だった。
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