第45話

「さて……それで餌に食らいつきますかね」


 ふとクリスがそんな言葉を漏らす。

 以前対峙したラビィの時とは違い今回は覗き魔の正体はわからないままだ。

 ならばどうするか、そう考えた三人は適当にロビーでくつろいでいた。

 30分後に温泉にと警察官組に伝えた一行は、まず仕掛けを施していた。

 旅館の客間から温泉に向かうにはまずこのロビーを通らなければいけない。

 そこで如何に露天風呂が良かったかと話し、そして今日もこの後に入りに行こうと声高々に宣言して見せたのだ。

 そして今、こうして温泉に浸かっているがナコトもクリスも気配を察知することはできていない。

 湯につかり始めてまだ5分程度だが、逸る気持ちを押さえつけていつでも攻撃できるように構えている。

 ついでに覗き対策に、マナー違反ではあるがバスタオルを巻きつけての入浴だ。

 その様子に顔をしかめる者も少なからずいたが、そこはナコトの眼力と迫力で黙らせた。

 黙らせるついでに徳利とお猪口を持ち込んだナコトはそれを桶に載せて酒を楽しんでいる。

 男湯で死んだ魚のような目をしている警官二人が見れば激怒する光景だろう。

 もっとも、見た場合は二人が社会的な意味でも物理的な意味でも抹殺されかねないのだが。


「ナコトさんずるいっすよー」


「へっへっへー、気付かなかったルーちゃんの負けだよー」


 そう言ってちびちびと酒を舐めるナコト。

 それを見てゴクリと喉を鳴らすのはルルイエだけではない。

 というよりその場にいた成人女性は全員が喉を鳴らしていた。

 カオスをはじめとする邪神によって創られた世界に存在する人々は、一部の種族を除いて酒が大好きなのである。

 特にこの岩風呂を愛する者は、ドワーフや鬼と言った酒好きの種族が多い。

 結果的にナコトは一身に露天風呂でヘイトを集めていた。

 が、その時である。

 ガラリ、と引き戸を開ける音が響いた。

 女湯ではない、男湯からだ。

 その音を聞いて三人の表情がこわばる。

 バシャリというかけ湯の音、ちゃぷんという湯船に入った音、ザバザバと移動する音全てに集中し、そしてナコトが指を立てた。


「来たよ」


 小声でそう言い、感じ取った視線に集中する。

 クリスも湯気をセンサーに男湯の情報を拾い集める。

 まず真っ先に気付いたのは仕切り板の前で手を組んで、そこに顎を乗せてくつろいでいるように見える男性。

 次に岩風呂のど真ん中に設置された壺湯でゆったりと温泉を満喫する誰か。

 そしておそらくはアバーラインとアデルのコンビだろう、出来るだけ仕切り板から離れた位置で寄り添うようにして浅く湯船につかっている二人組。

 合計四人が男湯にいる事を感じ取り、それを二人に伝える。


「どうっすかナコトさん……」


「気配とかも昨日の奴と同じ……間違いないよ」


「じゃあ、派手に悪人退治と行きましょう!」


 がばりと、立ち上がり温泉の湯を使い大砲を模して形どっていくクリス。


「【バリツ17式:武器(ウエポン)大砲(カノン)】!」


 怒りを込めた水の弾丸が仕切り板を突き破り、その向こう側で女湯を眺めていた男の顔面を穿つ。


「温泉の定番と言えばお酒と浴衣と覗き! それに対するはこれでしょ!」


 続くはナコト、先程まで徳利を乗せていた桶を掴むとそのままの勢いで投擲した。

 あえて注釈を入れるならば、トラックを軽々と投げられるナコトの膂力による投擲である。

 それは音速の壁を突き破り、衝撃波と共にクリスの一撃で打ち上げられた男の腹部に突き刺さった。


「えーと……水場だから電気はダメだし火も殺傷力があるから……風でいっか」


 最後にやる気なさげに呟いたルルイエは上空の大気を引きずり下ろす。

 空の上、超高高度から降り注ぐ空気の塊。

 時に大地すらも凍らせるそれを人はこう呼ぶ。

 『ダウンバースト』と。


「……けい……アバーラインさん、俺この温泉に魔法かかっててよかったって初めて思いました」


「お前ただの人間なのによく生きてるな」


 ルルイエの魔法によるダウンバーストは空中でコンボを食らった男を湯船にたたきつけ、同時に男湯を氷の世界に変貌させる。

 その渦中でアバーラインとアデル、ついでに居合わせた不幸な被害者は氷漬けになった温泉の中でなお魔法の恩恵で適温と認識させられていた。


「俺……あの犯人捕まえたら檜風呂行きたいです」


「俺はジャグジーかな……」


「吸血鬼なのに流水大丈夫なんすか?」


「あー……そっか、ジャグジーも流水か……まぁ長湯しなけりゃ……」


「奥さんと娘さんに『アバーラインさんはジャグジーに浸かりすぎてお亡くなりになりました』なんて間抜けな報告させないでくださいよ」


「……サウナにしておく」


「その後はしこたま飲みましょう……もう何もかも忘れるくらいに」


「そうだな」


 ふぅ、とため息をつき空を見上げた二人はいつになったらこの氷は溶けるのだろうかと、その時を待つのだった。

 大きな穴があけられ丸見えになった女湯に絶対に視線を向けないように気を付けながら。


「ふーはっは、覗き魔確保!」


「やっぱり覗き魔には桶を投げるのが正義だよね!」


「二人ともやり方が雑じゃね? 男湯からこっち丸見え……お、アデル君いい体つきしてるねぇ」


 主犯たちはそんなものはどこ吹く風と、ハイタッチを決めたりセクハラをしたりと忙しかった。

 他の女性客と言えば、クリスが謎の大砲を用意した瞬間には危険を察知してさっさと退避していたためあらゆる意味で難を逃れたのである……。

 その後、浴衣に着替えたクリス達は自らで開けた仕切り板の穴を通り男湯に突入するとすぐさま氷を溶かし始めた。


「アデルさーん、もうちょっとで溶けますから頑張ってくださいねー」


「……アバーラインさん、俺、もう子供は望めないかもしれません」


「大丈夫だアデル……黒山羊病院の医者ならお前のソレも治せる……」


「それ人体改造とかじゃないっすよね」


「………………」


「………………あ、クリスさん絶対にこっち見ないでくれよ。もしどっかでねじ曲がって男のまたぐら見せつけたなんて話になったら俺達の首物理的に飛ぶから」


「はーい、まぁその程度見てもどってことはないんですけどねぇ」


「……アバーラインさん、俺達のその程度らしいです」


「……男の沽券にかかわるかもしれんが、今はこらえろ。相手が悪い」


「……うっす」


 適温に感じると言ってもそれはあくまで体感である。

 そして治癒能力があると言っても、それは体内に浸透できる液状での事。

 氷となった今、体感では温かいが実際は下半身を冷やし続けるだけの氷に過ぎない。

 結果的にただの人間であるアデルは、いやむしろルルイエのダウンバーストを受けてよくぞ生きていたと褒めるべきだが、ここに来て数分間氷の中に下半身を埋めていた事で色々と不味い状況に陥っていた。

 が、それ以上にクリスに素っ裸を見せるわけにもいかないため急かすような真似もできずにただひたすらすべてが終わるのを待っていた。


「んールルイエさんの魔法が変な感じに作用して溶かしにくいですね……」


 そう呟きながらクリスは凍った温泉に手を当てて必死に溶かそうとしているが、その効果は微々たるものである。

 徐々に氷が溶けていくがこのままではアデルの下半身は、どころか低体温症や血行不全による命の危機さえあり得る。

 が、それ以上の危機がアデルの視界の端に存在した。

 クリスは現在浴衣姿であり、クリスの父たち邪神のいた世界での風習を基にしたそれは向かって右側が前に来るように着るものだ。

 そしてクリスはアデルの左側で前かがみになっている。

 つまるところ、浴衣がはだけて胸元が……どころか年相応に実った禁断の果実が、アデルの鍛え上げられた眼力の端でゆっさゆっさと揺れているだった。

 結果、アデルはだらだらと汗を流しながら大きく深呼吸をして心を落ち着けようとする。


(見てない……俺は何も見ていない……。おちつけ俺の理性……相手は高校生……未成年……犯罪だぞ。あ、胸元つたう水滴がセクシー……じゃなくて! こんなことがばれたら俺の首が飛ぶ! 物理的に! ……きれいな形だなぁ……じゃねえ! くっそ雑念が混ざる! えーと先人の教えだ! こういう時は素数を数えて1(ワン)、2(ツー)、3(スリー)!)


 煩悩の犬は追えども去らずとはよくぞ言ったもの、ならば追わねばいいと思考を逸らして難を乗り切ろうとする。

 そんな彼に助け舟が一つ。


「アデルちゃーん……いい腹筋してるじゃないのさ~」


 ただし助け舟は泥船である。


「触るな腐れ天使」


「おや、そんなこといっていいのかなぁ?」


「…………」


「ふっふっふ……柔肌蹂躙しちゃる」


 じゅるりと涎を垂らしながら近寄る駄天使、それを前にいっそひと思いにやれと覚悟を決めつつも意識がクリスの胸元から離れた事で胸をなでおろすアデル。

 その眼前の凍った温泉に、ルルイエの頭がたたきつけられた。


「いやぁ悪いねアデル君。ルーちゃんにはあとでお説教しておくから」


 そう言いながらナコトがアデルとアバーラインの周りの氷を砕く。

 クリスの権能であれば早々にお湯に戻せる物、と本人を含めた全員が思っていたが外的な魔法によって多少湯の性質が変化したせいで中々溶かせずにいたクリスを見かねての行為だった。


「ナコトさん……あんた楽しんでましたね」


 アデルの問いかけに答えながらナコトは掘削作業のように氷を破壊していく。

 と、同時に再びアデルに試練が襲い掛かる。

 ナコトもクリスやルルイエ同様浴衣姿であり、さらに明言こそしないが色々と小柄なナコトのそれは多少ダボついている。

 それ故に前かがみになったナコトの浴衣は『体を隠す』という機能を放棄していた。


(平原……じゃねえ! くっそ丸見えじゃねえか! くっ、本来なら色気のないはずの胸部であるはずなのに鎖骨のラインが綺麗で小柄な体格と相まって妙に扇情的に……左のおっぱい、前門のちっぱい……じゃねえ! 俺はロリコンでもねえんだよ! ……そうか! 右を見ればいいんだ!)


 なぜ今まで気づかなかったのか、そう思う暇もなくすさまじい速度でアバーラインの方向に首を動かしたアデル……だがその行為は、行動に何かしらの意図があると気付かせるには十分だった。


「んー? ……あぁなるほど、アデルちゃんはこれで貸し借り無しってことにしておいてあげるよ」


 タハハと照れたような笑みを浮かべながら掘削を進めるナコトは、ついでにと言わんばかりにアデルの耳元でつぶやく。


「ついでに、クリスちゃんの胸元の件も黙っててあげるから安心してね。胸元だけにむねにしまっておくよ」


 そう言いながらナコトはルルイエを抱え上げた。


「さて、そのくらい砕けばもう出られるでしょ。というかアバーラインなんで出なかったの?」


「部下を置いて一人でとんずらなんざできるか」


「……ふふっ、なんかいい男になったねアバーライン」


「ふんっ……いい男だから嫁と娘にも好かれてるんだよ」


「それもそっか、クリスちゃん。犯人とあのおじいさん助けたら後は旅館の人に任せよっか」


「りょーかいでっす!」


 そう言って素っ裸の犯人を拘束し、完全に被害者の男性を救助した一行は……旅館から無茶苦茶怒られることになったのである。

 当然と言えば当然、露天風呂はしばらく使用できない状態になってしまったため、ナコトは後悔先に立たずという言葉を胸に刻みこむことになった。

 刻み込んだとしても、それを心掛ける事は一生ないと言えるが……。

 クリスはと言えば、今回の事の顛末を父に連絡した所烈火のごとく怒り狂った本気の『クトゥルフ』が覗き魔の前に現れる事になった。

 そのおぞましく恐怖心を駆り立てる姿に覗き魔はあっさりと自白、逮捕と同時に相応……ではなく相当の罰を与えられることになった。

 それなりに裕福な身分だったであろう男、歳のほどは人間換算ならば20代中ごろといったところだろう。

 彼は家族から縁を切られ、クトゥルフ率いるヴィラン組織の末端として真っ黒なお仕事をして相応の金額を納める、という刑に課せられることになった。

 が、それは裏の話でありまず普通に刑務所暮らしの後にその処罰という流れになったため泣きっ面に蜂である。

 アバーラインとアデルはと言えば、もうどうにでもなーれと残りの旅行を存分に満喫することで心身の疲労を癒して職場に帰る事になったが……その後さまざまな書類を渡され仕事に忙殺されることになった。

 そしてナコト、クリス、ルルイエの三人はと言えば……。


「じゃじゃじゃじゃーん! 俺様ちゃん参上!」


「おかえりください」


 唐突に、何の脈絡もなく事務所に現れたニャルラトホテプを窓から投げ捨てていた。

 実行犯はクリス、共助はナコト。

 水で作り出した巨腕で猫のように摘まみ上げたニャルを見た瞬間ナコトは阿吽の呼吸で窓を開けて、そこから見事なダストシュートを決めた……はずだった。


「おいおいつれないねぇお二人さん。俺様ちゃんはただ報酬持ってきただけだって言うのにさ」


 しかし、その程度で排除できるのであれば邪神と呼ばれる存在の中でもとびっきり厄介で、この上なく危険で、そして最悪のトリックスターなどと言われたりはしない。

 窓から捨てられたはずのニャルはいつの間にかソファーに腰掛け、先程までクリスが飲んでいた紅茶に口をつけていた。


「……報酬置いておかえりください」


 相も変わらず、というよりはすでに慣れきってしまった、あるいは諦めたクリスの対応にこれまたニャルは口角を釣り上げる。

 この邪神、言うなればサディストとマゾヒストが混在しているような物であり他者の反応は全てが愉悦に代わるという非常に面倒くさい性格をしている。

 それもまた嫌われる一因ではあるのだが……。


「はっはっはぁ、クリスちゃんったら照れちゃって」


「照れてません」


 吐き捨てるように言ったクリスはいつでも迎撃できるようにか、周囲に水球を浮かべて身構えている。

 ナコトも同様に窓際で拳を鳴らしていつでも飛び掛かれるように、まるで猛獣のように笑みを浮かべながら構えをとっていた。


「ありゃりゃ、こりゃ俺様ちゃん本格的に嫌われちゃってるみたいだねぇ」


 クスクスと笑いながら懐から7枚の封筒を取り出す。

 そのうち一つだけが分厚い。


「こーれが今回の報酬! まーずは、俺様ちゃん48人の生写真サイン付きちょっとえっちなバージョン! こりゃぁマニアの間じゃプラチナ価格で売れるだろうねぇ」


 そう言ってちらりと見せたのは湯上りの浴衣姿や、雨天にうっすらと透けた下着を見せるセーラー服、中にはスクール水着と言ったマニアックなものまで含まれている。

 一般の写真集では没を食らうような、しかし確実に欲しがる層がいるであろう写真。

 それらが入った封筒を三つテーブルの上に乗せたニャル。

 続けてルルイエの真後ろに立ち、そっと封筒を二つ差し出す。

 一つは先程の厚みを持った、おそらくは報酬の70万L(ラヴ)が詰め込まれているであろうそれ。


「ありがとうごぜぇますニャル様!」


 その封筒を抱えて涎を垂らすルルイエは、餓えた獣のようにも見える……が話はそこで終わらない。


「そうそう、最後の封筒は俺様ちゃんからじゃあないんでねぇ。ほい、こっちはナコっちゃんとクリスちゃんの分」


「お持ち帰りください」


「受け取りきょひー」


「だめだめー、言ったろ。俺様ちゃんからじゃないって、珍しくタダ働きで運送屋さんやってるだけだから。あ、ハンコもサインもいらないんで」


 チッと舌打ちが二重に響く。


「あぁ……あぁ……ニャルラトホテプ様……」


 その一方でルルイエは封筒から取り出した札束と生写真にキスをして頬擦りまでして見せている。

 が、その眼に移すはL(ラヴ)の文字。

 完全に金に目がくらんでいる者の姿だった。

 それを見てクリスとナコトは一層警戒心を見せるが、お構いなしにニャルは懐から取り出した安煙草に火を吐けて一口吸い込む。


「そうそう、2人のその誤解を解消しておかなきゃって思ってたんだよね。俺様ちゃん今回ばかりはなーんもしてないから」


「ご自分の信用の無さをご存知無いようで」


「いんにゃ、知ってるよぅ。ただその上で、俺様ちゃんは関与していないしお宅の可愛い堕天使ちゃんにもなーんもしてない。俺様ちゃんはねぇ……」


 そこで一息区切ってから煙を吐き出したニャルは向こう側が見通せるほど薄い煙に紛れるように気配と身体が希薄になっていく。


「ただ、純粋に堕落の道を進む愚か者が見たかっただけなのさ」


 そんな言葉を残して姿を消した。


「……ふぅ、どうやらいなくなったみたいですね」


 フッと周囲に漂わせていた水球が消える。

 同時にナコトもどさりとソファーに腰を下ろして、ルルイエの煙草を勝手に吸い始める。

 と、同時に生写真の入った封筒を広げ中に何もしかけられていない事、写真にも妙な魔術がかかっていないことを確認してからもう一つの封筒を手に取る。

 クリスもそれに合わせたように『クリスちゃんへ』とハートマーク付きで名指しされた二通の封筒を手に取って中身を確認して、ゴンッと額をテーブルに打ち付けた。


「クリスちゃん!?」


 珍しくナコトが声荒げてクリスの心配をする。

 が、ゆらゆらと幽鬼のように手を上げて大丈夫だとジェスチャーで返事を返したクリスはそっと写真入りの封筒をナコトに差し出す。


「え……?これ見ればいいの? 変な呪いとかじゃなくて……?」


 いぶかしげに写真を見たナコトの顔色がボッと赤く染まる。

 中には、先程までのマニアックな写真をはるかに上回りもはやR指定が入るであろう、それもかなりえげつない……言うなれば本屋ではカーテンの向こうに隠された男の楽園ともいえる空間に並んでいる写真集のような艶めかしい写真がこれでもかというほど詰め込まれていた。


「あ、あの人……本当に何考えてるんですか……こんなんばらまいたらNYA48解散待ったなしですよ……」


「うーん、たぶん今もどっかでクリスちゃんの反応見て喜んでると思うよ」


「……うわぁ」


 ただ楽しむためだけに人気アイドルグループを一つ解散させる事も視野に入れる。

 その思い切りの良さもニャルを厄介と言わしめる理由であり、またその結果待ち受けている破滅さえも喜びに変えてしまう性癖という最悪の組み合わせこそが邪神代表とまで言われる所以である。


「で、もう一通は……あー……」


 ナコトがもう一つの封筒から一枚の髪を引っ張り出したナコトは煙草を灰皿に乗せて得心が言ったと言わんばかりに頷く。

 それからスマホを取り出し、何やら操作をしてからクリスにも見るように促す。


「……あぁなるほど、確かに今日はこの嫌がらせのような報酬の受け渡しと荷物運びがメインだったみたいですね」


 二人の手に握られているのは請求書だった。

 今までクリスが作った膨大な借金に比べたら吹いて消えてしまいそうな金額で、なおかつ今のクリスならば即金で返済できる程度の額である。


「ルーちゃん、それ確認しとこうねー」


「へ?」


「あとこれあげます」


「貰えるなら貰うけどいいの? ……ってうわっなにこれえぐっ!」


 自分の貰った写真と札束に夢中になっていたルルイエが現実に引き戻されると同時に、写真を見て眉をひそめる。

 少し首をかしげるクリスとナコトはひそひそと何かを話し始めたがルルイエは気にすることなく最後の封筒を開くのだった。


「へぇ、請求書……あー仕切り板壊しちゃったしやむなしか……しかーし! 今のルルイエ様にはこの報酬があるのだ!」


 高笑いを擦るルルイエは、一つ大きく見落としている事に気付いていない。


「ルルイエさん、裏を見てください」


「ん? 裏? ……ほげぇえええええ!」


 乙女らしからぬ悲鳴を発したルルイエ、その視線の先にはクリスが今まで作り上げた以上の借金額が記載されていた。


「は……はは……ぜろがいっぱい……」


「また借金増えちゃいましたねぇ」


「例によって例のごとくナコトさんが立て替えておいたからねー」


 温泉をぶち壊しにしたという事で桃源郷と、温泉旅館湯楽の両方から莫大な金額を請求されていた。

 ルルイエは無事ニャルから残りの報酬70万や、サイン付きの生写真などをてにいれることこそできたが帳簿は真っ赤である。

 真っ当な仕事では末代までかかっても返すことのできないであろう金額がルルイエの前に晒されているが、その理由は温泉に最も被害を与えたのがルルイエだからだ。

 クリスもナコトも相応の行為は行ったが、壊したのは仕切り板だけである。

 その金額はせいぜいが10数万。

 対してルルイエは男湯全面改装とその期間露天風呂が使えなくなるという被害額を合わせて天文学的な数字になっていた。

 もっとも、ルルイエが矢面に立たされただけで、やりすぎていなければ被害額はまとめて三人に分割で請求される予定だったが、いかんせん仕切り板の腐食は旅館側の落ち度であったのも合わせてクリスとナコトは軽微で済んだという側面も有ったりする。


「ニャルさんに関わったらこうなるっていう、いい教訓になったんじゃないですかねぇ」


「あぁニャルちゃん関わると誰しもタガが外れるからねぇ……普段のルーちゃんだったらもっと穏便に済ませてただろうし」


「やっぱり精神操作とかしてたんですかね」


「してたんじゃないかなぁ……ほら、だってルーちゃんヘビースモーカーなのに今回ほとんど煙草吸ってないし」


「あっ、そういえば!」


「それにさっきの写真、あの程度ならルーちゃんの部屋にあるエロ本とか、PCの中に蓄えられてる動画画像ファイルに比べたら大したことないのにドン引きしてたし」


「……うわぁ」


 クリスの驚きに満ちた表情が一気に軽蔑した物に変わる。


「まぁ……これに懲りたら依頼は選ぶようになるでしょ」


 そう言ってとろけながら涙を流すルルイエの背後にあるテレビのチャンネルを変えるナコト。


『はーい、今日は噂のリゾート地! 桃源郷に来てまーす! NYA48初の温泉ロケなんですがー、今回予約した旅館はこちら! 豪華ホテルグレープです!』


 バチコーンと、ウィンクを飛ばすNYA48の面々が映し出されたテレビを見ながら、やっぱりこいつに関わるとろくなことにならんなとため息を吐くクリスとナコトだった。

 るーるるーと涙を流すルルイエはさておき、今日もルルイエ探偵事務所は借金地獄の真っただ中である。

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