影の村
@jejet
第1話
私が学生時代に出会った不可思議な出来事について、皆さんにお話しようと思う。
正直十数年前の話であるので、細部までは正確でないし、所謂思い出補正のようなものが入っているだろう。
何分文章を書くという事は得意ではないので、幼稚かつ読み辛いものになるが、納得の上で読んでいただきたい。
季節は夏、8月も半ばを過ぎ、夏休みも終わりの時期が近づいていた。
その年は確か冷夏といわれていた上、普段滅多に通らない台風が通過した為塩害で農作物が被害を受けたらしい。
この年の秋に近所の立派な桜の木が狂い咲きした。
辺りが紅葉に彩られる中、まるでそこだけ別世界のように咲き乱れた桜は何とも幻想的であった。
冷夏と話はしたものの、海の近いこの場所は潮風のせいで身体にまとわりつくような湿気が蒸し暑い。
日照時間の少ないどんよりした天気も相成って、誰に向けたともわからない苛立ちを舌を鳴らすことで吐き出していた。
この鬱屈とした気分をどうにかしようと考えていたのだ。
そんな中ふと思いたち、私は県のはずれにある温泉地へ向かう準備をしていた。
元々予定していた事ではなく、衝動的なものであり、準備物も下着と地図、財布と携帯電話があれば十分なので、すぐにそろった。
今となっては記憶が定かではないが、確か図書館で読んだ旅行記に影響された行動だったと思う。
学生なのだから空調を聞かせた図書室で勉強でもしていれば良いのであろうが、あいにく私は勉強が嫌いであったし、大学へ入学したのも将来の希望だとか職業は何がいいかなどろくに考えもせずなんとなくで入学しただけだった。
そんな浅はかな動機で行く場所なので、温泉の効能だとか、どんな客層がいるとか、詳しい内容を調べもしていなかったし、温泉があって宿泊さえできればいい。
何ならちょっとしたトラブルでもあれば話のネタにでもすればいい。
その程度のものだった。
出発しようと玄関をでた時間は確か正午前だったと思う。
学生の時代私は遅寝・遅起きが基本であった。
自宅のアパートから最寄のバス停は、歩いて5分程で着いた。アパートのある地域は学生が多く、この時間は比較的静かであり、バス停で待っている人は誰もいなかった。
時刻表を覗くと次の時間までは20分程あったので、ベンチに座り込みながらタバコを取り出した。潮風が頻繁に吹きぬける地形のせいで中々火がつかず、何度目かの着火でようやっとつける事ができた。
物語であればゆらゆらとゆれる煙を見ながらゆっくりとバスを待てるのだろうが、吹き抜ける不快な風からタバコの火を守る為、うずくまるような体制で一生懸命タバコを吸う姿は、なんとも絵にならなかっただろうと思う。
2本目のタバコを吸い終わる頃、バスが到着した。私は吸殻を排水溝の金網へ投げ込みバスへと乗り込んだ。
バスに15分程ゆられ、ワンマン運行の電車で更に30分程移動すると、目的の温泉地へ到着した。
無人駅を出ると、目の前に温泉街が・・・と期待していたものの、土産屋や観光案内所はもちろん民家すら見当たらない一面田んぼという風景が広がっていた。
駅の隣には必要性を微塵も感じない、とても大きな駐車場が腹を空かせているのが見えた。隣に目線を送ると舗装されていない砂利道が長々と伸びていた。寄り道という行為すら不可能ないっそ清々しいほどのまっすぐな一本道にネットの怖い話だかで見たなんたら駅を思い出し、「このまま帰ってこれなかったりして・・」と誰に言うでもなく口に出していた。
私も田舎の出ではあるがこれほどの過疎感は見たことがなく、あっけにとられたものの、これなら迷う事もあるまいと目的地へと歩みを進めた。
歩き始めて1時間。
駅から目的の温泉と宿泊ができる施設までの距離が思いの外遠く、休み休み歩いていたところ予定していた時刻を大幅におしていることに気づいてしまったのだ。
もともと無計画の塊のような旅行ではあるものの、ろくに調べもしなかったことを後悔した。気落ちしたテンションも相まっていよいよ歩くことに疲れた私は、道端に見つけた木に座り込んだ。
にじみ出る汗に蒸されながらも、沿岸部よりも内陸に来たせいか、吹く風は少し心地よかった気がする。
ふと、後ろから声をかけられた。
「やぁ、湯治かな?」
疲れていたので正直答えるのも億劫ではあったが、見知らぬ土地で親切に声をかけてもらっているのだから無碍にもできず、「えぇ、まぁ」と話しながら声の主を探して振りむいた。
・・・・・声の主は異様な男だった。
いや、少し語弊があった。この場にいることが異様に感じられたのだ。
切れ長の目にすらりとした手足。ゆったりと着こなした衣服は恐らくは麻か何かの素材だろうか。
その格好に私は昔見たス○ーウォーズのキャラクターを想像したが、とてもよく似合っている。いや着こなしているのだろう。流行の服装との共通点は微塵も感じないがダサさや古さは感じなかった。
一言であらわせばお洒落な奴ということなんだろう。およそこんな片田舎には似つかわしくない風貌の男である。
予想していた田舎のあんちゃん像を完膚なきまでに破壊された私はしばし呆然と見つめてしまった。
「おや、俺の顔に何かついているかな?」
からからと笑いながら再度声をかけられ、やっと思考の海から戻ってくることができた。
「いえ、すみません。なんというかその・・・」
―田舎者かと思ったらおしゃれなイケメンで驚いた―とはさすがに言えず、言葉につまってしまった私は別の話題に切り替えることにした。
「貴方は此方の方ですか?」
「俺かい?まぁ~そうだね。ここに越してからはしばらく経ったかな?」
「そうなんですね。僕は鈴尾と言います。今日は気まぐれで温泉に」
「俺はアキラ。ははっ、その様子を見るにここの事をよく調べずに来たとみる。」
「そうなんですよ・・まさか駅から宿がこんなに遠いとは・・・」
「はははそうだろうね。ここの温泉は地元民の湯治場でね。観光でくる人はそうそういないのさ」
「地元の湯治客用にバスはあるんだがね。これが1日1往復のみでね。」
「バスっていう事は・・・」
「察しがいいね鈴尾くん。ここから温泉宿までは歩いて1時間、さらに言うとここからはほとんど山道だよ」
「・・・・マジかよぉ~」
すでに疲労困憊の中聞かされる残酷な宣告に思わず顔をしかめる。行くも1時間、戻るも1時間どうあがいても
これから1時間は歩く羽目になるという事だ。観光地ではないというこの男の話があった通り。これまで歩いた道には田んぼしかなかった。コンビニはおろか自動販売機すらないこの状況にため息をつきながらタバコを取り出した。
「はぁ・・・どうしようかなぁもう・・・。すいませんちょっと失礼」
「おや、君は成人していたのか」
「・・・まだ19ですよ。えばる事じゃないですけど。」
「俺が警官だったら補導するところだよ」
「この町は私服警官が巡回しなきゃいけない程治安が悪いんですか?」
これからの事を思うと鬱々とした気持ちが募り、返す言葉にも毒を含んでしまう。初対面の人に話すには間違いなく失礼だろう。しかし些細な気遣いなど最早する気は起きなかった。
「ははは、上手いことを言う。しかし治安ねぇ・・・・・・」
妙に含みある言い方である。正直どうでもいいが会話がとぎれるのも面倒くさい。
「・・・悪いんですか?」
「ここの人口を知りたいかい?」
「答えになって・・・・50人くらいですか?」
「8人」
「・・・・は?」
「正解は8人さ」
「・・・・・・えっ?」
今日一番の衝撃を受けた。明らかに少なすぎる。
皆さんは限界集落の定義をご存知だろうか?詳細は割愛するが、その人数では明らかに「危機的集落」に達している。それよりそれしか居ない場所に曲がりなりにも電車が通り、バスもある。
確かに高齢者がほとんどであろうこの村の事情を考えれば必要なのだろうが、妙であることには違いはない。
「・・・・い」
ここに来る前にろくに調べなかったのは事実だが、インターネットで概要は見た。しかしそんな状況であれば
普通明記されてはいまいか。
「お・・・・い」
「・・え?」
「鈴尾くん、大丈夫かい?話かけても返事をしないから心配したよ?」
「あ、すみません。・・・いやそれよりも、ここそれしか人いないんですか?!」
「そうとも、厳密にいうと施設のスタッフを抜いたら6人だな」
「えぇ~・・・・・」
この男がいうには温泉施設には切り盛りを行っているスタッフが2人住み込みで働いているという。
どうやら夫婦の様で、バスの運行もスタッフの一人である主人がやっているらしい。
年々過疎化の進むこの土地を憂い、脱サラをしてこの土地へ来たと。なんとも奇特な人たちだ。
「それと治安といったいどういう関係があるんです?」
「おぉ。関係あるとも。」
「それはどういう?」
「まぁこれだけの広い場所、住む人は少ない。人通りももちろんない。そういう場所ってのは確かに犯罪はない
かもしれない。」
「でしょうね。」
「ただそのかわりに獣が増える。」
「獣?熊ですか?」
「まぁ熊もいるな。しかし熊だけじゃあない。」
「・・・?要領を得ませんね。わざとはぐらかしてません?」
「ははは・・・・まぁ要するにだ。戻るにせよ、行くにせよ暗くなる前に移動したほうがいい。」
そういうとアキラと名乗るこの男は立ち去ろうとする。
気になるような事ばかり散々話して帰るとは、からかわれているだけにせよここで話を切り上げられるのは
少し困る。それにお願いしたい事もできた。
「ちょっと待ってください。アキラさん。」
「ん?」
「アキラさんは普段は何で移動しているんですか?」
この男はしばし考えるそぶりを見せたあと、ははぁという顔をして此方をみた。
「さては車で送って欲しいのかい?」
そう、図星である。正直もう歩きたくない。情けない有様ではあるが駅だろうが宿泊施設だろうがかまわないので一息つける場所へ行きたかった。
「はい、お願いできませんか?」
「ん~無理だねぇ」
「えぇ~そこをなんとか」
「そういわれてもねぇ」
「ガソリン代なら出しますから!3000円でいいですか!?」
「いやいや待ちなさい。鈴尾くん」
「お願いします!もう歩きたくないんです!」
「・・・・・」
「それにさっきの話の続きも気になるし。」
「・・・・まぁ話をするのはかまわないが、車のことはあきらめなさい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
俺は免許を持っていない」
日没、この場所には街頭と呼べるものは存在しないらしい。
外をのぞくと一面が黒くしずんでいる。微かに青みを帯びた空と漆黒に染まった山の輪郭のおかげで昼間に見ていた景色と同一のものがここに存在していることを教えてくれる。
結局私は施設へも行かず、駅にも戻らなかった。アキラと名乗る男の家の縁側に座っている。
免許を持っていないというこの男、すぐそばに自宅があるからと案内され疲労していた私はそれに甘えて転がり込んだのであった。居間へ通された際に「そういえばこの時間じゃあもどっても電車なかったなぁ」という話を聞いて戦慄しつつ、だされたお茶を一気に飲み干した私は話をきりだした。
「さっきの獣の話。詳しく聞かせてください。」
「ん?あぁ、しかしどう話したものか・・。」
「こういう事を聞くのは失礼かもしれませんけど、アキラさんもともとここの方じゃあないんですよね?なんでここに?」
「なんでっていわれてもねぇ。仕事だけど?」
「農作業と旅館の施設以外にここでできる仕事あるんですか?マタギですか?」
「やめてくれよ、物騒な・・・。まぁ獣を取り締まる仕事・・・かな?」
「どういう事ですか・・・?」
獣を取り締まる?熊やサルが民家にいたずらをするのだろうか?
しかしマタギではないとこの男は言う。まさか狐や狸が化かしにでも来るとでもいうのだろうか?
田舎といえど人の手の入っている土地であるから、人影の少ないこの空間は確かに少し薄気味悪い。
こと夜なら尚更だ。人は闇に恐怖を抱く。それは原始から続く本能的なものであり人であれば誰でも持ちえる感情である。
物の怪だ幽霊だという類のものは、根源的な恐怖心を形作る為に生み出された幻想だ。
霊能者や占い師なんていうものは所詮心理学や統計学を用いてさも超常的な能力を持っていると言い張る人間であると私は考えていた。
ひょっとするとこの男もその類なのだろうか・・・・。
ここに居るのが酷く憂鬱になってきた。
「・・・胡散臭い人間だと思っているだろう?」
まぁ図星である。否定するつもりも無い。
「急にそんな事言われても信じれます?」
「ははは、確かにね。自分でも胡散臭い言い回しだとは思う。しかしねぇ・・・他に適当な言葉が無くてね」
何ともじれったい言い方である。あまりこういうペースには乗りたくない。
「まぁでも聞いたのは僕ですし、最後まで聞かせてください。その取り締まる獣っていうのは何なんです?」
「そうだねぇ。僕がここへ来ることになった経緯から説明しないとな。」
そう男は切り出した。
「僕の処に依頼の話が来たのは確か半年ほど前だった。この家の持ち主なんだけどね、独り立ちして関東に住んでいる人なんだが、親が施設に入るという事で、荷物の整理にこの家に2、3日滞在したそうなんだが。」
「家の周辺に変なものが出るのを何度か見かけたという。」
「それは猿のようでもあり、人のようでもある黒っぽい影が道をうろついている。」
「4足でイノシシ程の大きさがあり、庭に飛び込んでくる黒っぽい影」
「家の茶の間に座り込んでいる黒っぽい猫のようなもの」
「近所の人に聞いてみると、他の家でも同様らしく、ここ数年で引っ越す人が続出して人も数えるほどしかおらず、残った人達は身よりもなく、施設に入るお金もない年寄りばかり・・・」
「自分も親が施設に入ればここへ来る事はないだろう」
「しかし生まれ育った故郷がなんとも不気味な場所になってしまっているのはどうも後味が悪い」
「何とかしてもらえないだろうかという話だったのさ。」
「・・・それで此処に?」
「まぁそうなるね。」
「・・・・・・・」
不意に開け放たれた縁側から物音がした。
とっさに振り向いたが、ぽっかりと開いた襖からは漆黒の空間があるだけだった。
「おや?怖がらせてしまったかい?」
カラカラをアキラが笑う。タイミングがピッタリだった為にとっさに反応してしまったが、話自体よく聞く怪談と大差ない平凡なものであるし、怪談によくありがちな「らしい」が多い。ここまで引っ張られてこの程度では話のネタにもならないと私は酷く落胆した。
「やめてくださいよ。僕は別に・・・・・・」
文句の一つでも言ってやろうと視線を戻した時にふと違和感を感じた。
男の視線が自分を見ていない。
視線どころか顔すら此方に向けていなかった。まるで別の何かに話しかけていたかのように。
「・・・あの?」
話かけながらアキラの視線を追う。
私の肩を通り過ぎ、縁側から伸びる廊下へ。
視界に移る廊下の端にソレはいた。
子供くらいの背丈に、酷く背筋の悪い姿勢で此方を見つめているソレはおよそ実体と呼べるような確かなものではなく、アキラの話にあった”影”と呼ぶにふさわしい程の希薄さでそこにたたずんでいた。
動くでもなく、ゆらゆらと揺れるでもなく、ただじっとそこに佇むソレを、私は声も出せずに見つめていた。
見様によっては確かに猿にも見えるかもしれない。人型をしていながらも人らしさを微塵も感じないその佇まいがそう思わせるのか、自分でもわからなかった。
「鈴尾くん」
「ふぁ?!ぁはい!?」
不意に声をかけられた私はひどく素っ頓狂な声で返事をしてしまった。
「先ほど話した変なものがこれだよ」
ひどく落ち着いた口調でアキラは話しかけてくる。
「あ、アキラさん!これっていったい!?」
「あまり大きい声を出さないでくれ、あれは酷く臆病でね。驚くと突然飛び掛ってくるかもしれん。」
「そ!・・・・・そんなこと・・・・」
「まぁ放っておいてもいいんだが、今日は客人もいるからね。」
そういうとアキラは手のひらを口元へ運びフッと息を吹いた。
瞬間風が吹き抜けたような感覚と微かな匂いがした。
吹き抜けた匂いはまっすぐと影に向かって…
「・・・あ!?何で!?」
それまでそこに居たはずのソレが消えた。正確にいうなら消えていたという方が正しい。
私がアキラへ視線を向け、戻した時にはソレの居た痕跡はどこにも見当たらなかった。
「何処に行ったんです・・・?」
「アレがかい?消えてもらったのさ」
「消えた・・・・・?あれはいったい・・・・」
「アレらは希薄な存在でね、ちょっとしたことでも形を保てなくなってしまうんだよ」
言葉の意味は理解できる。
しかし自身の今までの経験が、知識が、納得する事はを拒んでいた。
叫びだしたくなる衝動を呑み込もうと何度も喉を鳴らしたが、言い様のない感情が渦巻いていた。
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