シャボン玉とんだ……

山村久幸

幸せだったあの日……

「ご兄弟などに何か言い残すことはありますか?」


「兄弟たちには言い残すことはありませんが……。いえ、一つありました。私の骨は美咲みさき真雪まゆきと一緒に。ただそれだけです。それとシャボン玉の道具も一緒に入れてくれと……」


「シャボン玉ですか?」


「ええ。娘の真雪まゆきがよくせがんだものでしてね」


「詳しくお聞かせ願えますか?」


「ええ。手短にですが」


 とある雪の降る日の朝。東京拘置所の教誨室きょうかいしつでは一人の死刑囚が刑の執行前に教誨師きょうかいしと最期の談話をしていた。



 これから始まるのはとある死刑囚の回想である。それはそれは幸せだった日々の……。


「わあっ! おおきいシャボン玉! きれーい!」


「ははっ! 真雪! やってみるか?」


「うん! ママー! かしてー!」


「真雪ちゃん。ちゃんと持ってね? 吸い込まないようにね?」


「うん!」


 ある晴れた春ののどかな日曜日。東京郊外の一軒家の庭ではほのぼのとした光景が繰り広げられていた。

 父親が娘の前でシャボン玉を作ってみせると5つの娘は自分もやってみたいとせがむ。そして、それを笑顔で見守る母親。

 どこにでもある幸せいっぱいの一コマだ。


 父親は松永まつなが崇人たかひと。大学卒業後は商社の営業マンとして好成績を叩き、25にして高校時代からの恋人だった美咲みさきを妻にした。

 そして、1年もしないうちに娘が生まれた。それは東京でも雪が降り積もるほどの寒い夜のことであった。


 崇人たかひとと美咲は真雪のことをこよなく愛した。おしゃまな娘はよく「パパのおよめさんになるー!」と言っては「パパのお嫁さんはママだけだからね? いつか真雪のことを好きになる男の子がいるからね?」と崇人が宥める日々であった。


「真雪? こんな歌があるんだよ?」


「あ! 崇人。もしかして、あれ?」


「あれだな? 美咲も一緒に歌うか?」


「そうね」


「しゃーぼんだーまとーんだー。やーねーまーでーとーんだー。やーねーまーでとーんでー。こーわーれーてーきーえーたー。かーぜかーぜふーくーなー。しゃーぼんだーまーとーばそー」


「お! 真雪! よくできたなー! きれいにシャボン玉が飛んでいったぞ?」


 崇人と美咲が一緒に奏でるハーモニー。それに真雪は目をキラキラさせていた。


 これは本当に幸せだった日々の一コマ……。

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