初雪の降る日まで

森川 湖

第1話 別れ

 机上にある目覚ましが、耳障りな音を立てて騒いでいる。できる限り腕を伸ばし、止めようとするも虚しく、大きな音を立てて落下した。結局ベッドから降りて、落ちた目覚ましを拾い上げる。

(朝からついてないな、、、)

柊 楓は、大きく伸びをし、欠伸をしながらリビングへと歩を進めた。

「おはよう!何か大きな音がしたけど、どうした?」

講子が声を掛ける。台所に立ち、素早い動作で料理を作り、テーブルの上の皿に次々と盛り付けていく。その動作には、無駄がない。

(案外、主婦も大変なんだな、、、)

そんな事を思いながら椅子に掛ける。

「おはよう。何でもない、、、」

思わず欠伸が出る。芳ばしい匂いと共に、バターとジャムがたっぷり塗られたパンが運ばれてくる。

「茂さんまだ起きてこない!!もうっ!毎日毎日!」

講子のその言葉をかき消すように、寝ぼけ眼の茂が欠伸をしながら、リビングに登場した。

「おはよう。、、、今日は、食パンかぁ」

「食パンかって、何か文句でもあるんですか?!こちらはね、朝5時に起きて、楓と茂さんのお弁当作って、洗濯して、朝食作って、夜ご飯の下準備して、、、、」

「いや、そういう意味じゃなくて、、、」

「じゃあ、どういう意味ですか?!毎日、毎日、主婦も朝から晩までやることがあるんです!わかりますか?!」

(あーまた、お父さん、お母さんの怒りのスイッチ押してるよ、、、)


楓は、朝から喧嘩勃発しそうな2人を尻目に朝食を食べ終えると、身支度し、出発した。


 楓は市営住宅に住んでいる。産まれた時からなので当たり前だと思ったが、エレベーターが無く、3階なのに階段で下まで降りなければならない。初めて遊びに来た友人には、不便だと文句を言われた事があった。楓にとっての不便は、1階に降りて忘れ物に気付き、また階段を昇り、3階まで行った時だけだった。

 1階に降りて直ぐ目の前が、駐車場になっている。駐車場を脇に逸れると、T字路に突き当たる。そこを右方向へ歩いて行くと、小学校が見えてくる。その先に楓の通う中学校がある。

 駐車場を脇に逸れて、右方向へと歩いていると、縁石におばあさんが座っていた。見ると、右手の平を抑えており、血が出ていた。足元には、小さなバッグが落ちており、中身が散乱している。その近くに、杖もあった。その側を、出勤で急いでいるのだろうか、スーツを着た男性、女性が一瞥はするが、足早に通り過ぎていく。楓は躊躇する事なく、おばあさんに駆け寄り、声を掛けた。

「お怪我されてますが、大丈夫ですか?」

おばあさんは、答える。

「転んでしまってねぇ。大丈夫よ。ありがとう」

だが、血は出ており、楓は、自分のハンカチを出して、止血した。

「お嬢ちゃんの大事なハンカチが、、、」

楓は、首を左右に、振った。

「私のハンカチは、気にされないで下さい。変えはいくらでもあります。それよりも、どこか打ったりとかされてませんか?」

血が止まったところで、絆創膏を貼った。おばあさんは、お礼を言う。小柄で色白、おでこを出して、髪の毛を後ろで団子にしている。にこにこと笑みを絶やさず、優しそうな雰囲気だった。おばあさんの散乱した荷物を拾う。おばあさんは杖を頼りに、立ち上がる。楓は、その体を支えた。

「どちらまで行かれますか?ご一緒します」

おばあさんは、にっこりと微笑む。

「ありがとうね。でも、用事は済んだからもう大丈夫よ。家は直ぐそこだし」

おばあさんが指差した方向を見ると、住宅が並んでいる。おばあさんは、続けた。

「私は、ヨネと言います。お嬢ちゃん、お名前は?」

「私は、楓と申します」

おばあさんは、再度礼を言い、互いにお辞儀をして別れた。


小学校の前では、2人が待っていた。

「楓!おはよ!!」

可愛い声が聞こえた。前髪は大きな目のギリギリ上くらい、おさげは肩の上、身長は150

cmくらいの、須崎 夢美が右手をオーバーに振りながら、声を掛けてきた。

「おはー」

その隣には幼なじみの、夏川 隼人が立ってた。欠伸をしながら、挨拶する。黒髪短髪、日焼けした肌から白い歯を覗かせる。その笑顔は、見た目だけは爽やか好青年だ。前ボタンを1つ開けている。身長は165cmくらいだろうか?楓は158cmなので、少しだけ見上げるかたちになる。

「おはよう」

「何か、あったの??」

楓の元気の無さを察知した夢美が、楓を下から見上げる。

「また、かあちゃんとうちゃんの戦いだろ?まっ、喧嘩するほど仲が良いっていうしな!」

歩きながら今日のテストについて話していると、3人の横を早歩きで、通り過ぎる人物がいた。思わず、楓は声を掛ける、

「町中さん、おはよう!」

町中 光は、足を止めてゆっくりと振り返り、口を開きかけるも、両サイドの2人が視界に入るなり、口を無一文字に結び、足早に通り過ぎた。

「何あれっ!感じ悪ぅーっ!」

「夢、町中さんは、悪い人じゃないよ。不器用なだけなんだよ、、、」

「クールだよな、、、」


 楓が中学校入学式の、帰宅時に靴箱に入れたはずの靴が無くなった事があった。用事があり先に帰宅した夢美に代わって、一緒になって探してくれたのが、光だった。靴は靴箱に入れたはずなのに、何故か来賓用の靴箱に入っており、誰かが取り間違えて、そこに入れ直したんだろうと言うことで、騒ぎにはならずに終わった事があった。 

 1人困って靴を探している楓に、光は『どうしたの?一緒に探すよ』と、笑顔で声を掛けてくれた。その時の笑顔と優しさから、感じが悪いようには思えない、楓だった。


 教室に着くと、一番後ろの窓側の席に、既に光が窓の外を見つめて座っていた。楓の席も一番後ろだが、廊下側の席なので、かなり離れている。夢美の席は一番前の教卓の前で、先日の席替えの自分のクジ運の悪さを嘆いていた。  

 ホームルーム前は、友人と話したり各々過ごしてるが、やはり光は誰とも話さず、窓の外を見つめていた。光は、黒髪のショートカットで、狐顔の美人。身長は170cmはあり、成績も優秀なので一目置かれていた。でも、話し掛けても反応が薄く、会話も続かないので、クラスメイトからは距離を置かれていた。

 光が窓から視線を戻し、最前列の奥村 聖斗(おくむら せいと)を見つめていた。楓も光の視線の先に目をやる。

 奥村 聖斗は、サラサラヘアの色白で、黒縁眼鏡をかけている。成績は常に光と1、2位を争っていた。身長は140cmくらいの小柄。聖斗がゆっくり振り返り、光と見つめ合うかたちとなる。が、心なしかその表情は曇っていて、小刻みに顔を左右に振っていた。

「って、楓!聞いてるのー?!また、町中さん見てる!、、、あ!」

しゃがんで楓を見上げていた夢美は、立ち上がり、シワくちゃになったスカートを整え、足早に席に着いた。

 担任の刃向 剛(はむかい つよし)がドアを開けて、生徒に挨拶する。楓の担任で、新任教師、長身、イケメンの為、女子生徒の人気が凄い。

「この間のテストを返却します!」

教卓には、先日の社会のテストプリントが置かれた。担任の刃向の担当教科とはいえ、楓の苦手科目だった。クラス中に、悲鳴と、落胆の声が響き渡る。

「静かに。今回も、、、やったな。1年生の学年で1番は、、、」

皆が固唾を飲んで、光と、奥村の顔を交互に見る。奥村の表情は、相変わらず曇っている。具合でも悪いのだろうか。光は変わらず、飄々としてさえ見える。

「1番は、光!!しかも、満点だ!頑張ったな!おめでとう!!皆で、拍手!」

刃向の掛け声に、絶え間ない拍手が沸き起こった。ふざけているクラスメイトもいる。拍手されている光の表情は、一切変わらない。

「光!何か一言、、、感想をどうぞ!」

「ありません」

刃向が言い終わると同時に、光は答える。刃向は、苦笑しながら頭に手をやり、髪をくしゃくしゃにする。光のあまりの愛想の無さに、楓は少し笑えてきた。


 体育の時間になり、体育館に移動すると、夢美がお腹を押さえていた。歯を食いしばっている。

「夢、どうした?お腹痛いの?」

「うーん。多分、生理痛かなぁ。かなり痛いから、ちょっと保健室で休んでくるね」

楓は付き添うと言ったが、少し休んで直ぐに復活するからついて来なくて大丈夫との事だった。夢はガッツポーズをして、小走りで保健室に向かった。

『ガタン!』

振り返ると、今度は光が片膝を着いて、うなだれている。光に駆け寄ると、頭痛が酷く嘔吐のおそれ、との事。

「楓、一緒に保健室に来てくれる??」

初めて呼び捨てにされた事と、名指しされた事に驚いたが、頷いた。体育担当者の教師に伝え、付き添いで保健室に向かう。保健室は、体育館から校舎への渡り廊下を通り、右手に進み、4つ目にある。だが、何故か光は左に曲がり、階段手前で止まった。楓の驚いた顔を見つめて、手を握る。

(楓、聞こえるかな?)

口は全く動いていないはずなのに、光の声が聞こえてきた。腹話術?とも考えたが、暫くその口元を見つめていた。

(腹話術じゃないからね。あなたに見せたいものがある)

口元は、やはり動いていない。光の目を見つめる。切れ長の瞳は、澄んでいて、澱みが無い。睫毛が長い。またばきせずに、じっと、楓を見つめている。楓も光を見つめた。不思議と怖さは無い。楓は、ゆっくりと頷いた。

(音が鳴るから、上履きは脱いで。今から教室に向かう)

(??)

楓は何が何だか分からなかったが、言われた通りにした。脱いだ上履きを手に持ち、階段を昇った。

 教室の前に着くと、ドアは締まっていた。防犯上の理由で締めているらしい。光はしゃがみ込み、楓にもしゃがむ様にジェスチャーで促す。しゃがんでみると、廊下側の足元の小窓が空いており、光はそこを指し示した。

(ここから覗いてみてくれる?)

ドアが締まってるのに、ここ開いてちゃダメじゃない?と突っ込みつつ、小窓から上を見上げると、自分の席が見えた。そこに、いるはずのない、人物が立っていた。夢美だった。

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