エピローグ

 かえでれなおした夜のこと。

 おりは自室でスマホをにらんでいた。


すずはらさんのれんらくさき……!)


 トークアプリの友達リストに表示されている、『すずはらかえで』の文字。アイコンは毛並みが白黒のかっこいい大型犬だ。犬も好きなのだろうか。

 メッセージを送りたいが、このやりとりで仲を進展させようなどと欲張るのはけたい。みなとからさんざん受けたダメ出しを思い出す。あくまでもさりげなく、何気ない会話を……。

 ぷるぷるとふるえる指で文字を打ち込み、かえでにメッセージを送る。


『こんばんは』

『こっちでもよろしく』

『(立ち上がったマンチカンのスタンプ)』

「これでどうだ……!?」


 同じマンチカンでもコタローのほうがわいいが、さすがにコタロースタンプは作っていないので(オファーを受けたらそくりようしようするが)、とりあえずいつも使っているスタンプを送った。

 トーク画面を見つめること十秒、二十秒、三十秒。

 そんなにすぐにはどくにならないか……と思った直後、どくの文字がついた。

 ベッドから飛び起き、正座でスマホの画面をぎようしする。受験の結果待ちをしているときを思い出した。

 返信が届く。


『うむ』

「……へ?」


 思いのほかこうな返事にまどうも、「まあ続きがあるだろう」と自分に言い聞かせる。

 しかし、何十秒待てども続きのメッセージは届かない。


「……終わり? 今ので終わり!?」


 会話を続けられる気がしなかった。スカッシュをプレイしていたら、打った球が生きたかべにずぶずぶと飲み込まれたような手応え。


「ままならねえ……!」


 スマホをにぎりしめてベッドをごろごろ転がっていると、


「うるさーい!」

「ごめん!」


 となりの部屋の妹にしかられ、あわてて正座で謝った。


       ◆  ◆  ◆


 ストラップが見つかった、翌日の放課後。

 かえでは職員室に用事があったため、すずに教室で待ってもらっていた。とどこおりなく用事を済ませてもどると、すずおりがふたりで話していた。他の生徒はもういない。


(ふたりで何を……?)


 すずおりは、以前も不意に仲良くなっていた。自分がおりと話してもそんな事態にはとうていならない。いったいどんな会話をすれば、男子とあんなにも気さくなあいだがらになるのか。すずの並々ならぬコミュニケーション能力はよく知っていたので、興味本位でふたりの会話をぬすきする。


「いおりんがストラップを見つけてくれたんでしょ? いやー、おがらだね!」

「たまたま見つけたんだって。でも、本当によかった」

「ん。……わたしからもお礼を言わせて? ありがとね」

「いやいや、そんなそんな」


 顔が熱くなる。ふたりとも自分のことを心配してくれていたのだと改めて実感する。


「やー、それにしても、今日のかえでにはびっくりしたよ~」

(む?)

「どういうこと?」


 かえでが全力で聞き耳を立てる。


「いおりんもわかると思うけどさ、あっきらかに表情筋がよく動くようになったの! 他のクラスメイトと話すときはいつも通りだけどさ、いおりんと話してるときのふんが昨日までとまるでちがうんだよねー」

「あー、それは……うん、めちゃくちゃわかる」

(そんなばかな)


 熱くなったほおをむにむにとこねくり回す。無自覚なのに友人には気付かれているなんてずかしいにもほどがある。


「ねえねえ、いおりんから見て、かえでってどんな子なの?」

「え、なんで急にそんなこと……?」

「いいからいいから。どんなふうに見えてるのかなって」


 かえでが鼻息をふんすとあららげ、気配を殺しつつもふたりの会話に集中する。


「どんな子、って……えぇと、まず、ぶつちようづらで、めんどくさくて……」

(へぇ……?)


 ろうの温度が三度ほど下がった。通り過ぎた先生が「? ……??」とうでをさすりながらきょろきょろと辺りを見回す。


「でも、すずさん以外の女友達にもいつも囲まれてるし、スポーツも得意だし、ねこが好きなのに苦手なのはあいきようがあるし、おばあちゃんにもらったものを何年も大事にしてるし……」

(へ?)


 おりが一気にまくしたてた言葉に、顔がぽっぽと熱くなる。数秒前まで雪原と化していた周囲が花畑に変わるような感覚。


「ふむふむ。つまり?」

「い、いや、つまり、って……」

かえでをどう思ってるかを一言で表すと?」

「うぐ……」


 おりが顔を真っ赤にして口をぱかっと開き、何か言いかけて閉じ、また開く。


「か、かわ……」

「皮? スキン? なんかりようきてきだね」

「ち、ちが……」

「ほれほれ、早く言ってみぃやー」


 すずおりうでをシャーペンでぐりぐり、ぐりぐり。

 かえでは無意識のうちに、教室の入口から顔をひょっこりとのぞかせ、


「か、わいいと思いまする……」


 おりきんちようしすぎてなぞの口調になるのを聞いたしゆんかん、思わずしてしまった。


「んなっ!? す、すずはらさん!? いつからそこに!?」

「ぷっ、けふっ、ごめっ、けほっ、まする……死ぬ……」

「いい度胸してんじゃねぇか……」


 おりがこめかみに青筋をかべるが、ぜんぜんこわくない。男子のことをわいいと思ったのは初めてかもしれない。


「あははは! いおりんはかわいいねー」

「ちょ、すずさん、やめろって……」


 すずが楽しげにおりの頭をでる。


(……あれ?)


 もやっ、と。

 胸の奥で、もどかしさに似た何かを感じた。


「よけるなってー。ほれほれ~」

「いや、ずかしいん、だって、の……っ!」

「よいではないかよいではないか~」

「カバディのポーズって頭をでようとする人がとるもんだっけ?」


 すずおりがはしゃいでいる。同じようなやりとりは割とよく見るはずだ。

 見るはずなのに。


(……?)


 もやもやは晴れることなく、むしろもっとふくらんでくる。


「あれ、かえで? どしたの……って、あ~、なるほどね?」


 すずが目をぱちくりさせたかと思えば、口を「ω」の形にしてにんまりと笑う。


かえではもっとかわいいね~このこの~!」

「ちょ、やめ……っ!」


 ターゲットが変わり、今度はかえでが頭をわしゃわしゃされた。しかも両手で。

 ずかしいからやめてほしいが、すずでるときの力加減はぜつみようここいのでもう少しでてほしい。

 このじゆんした感情を解決するため、かえでは。


くん、出てってくれる?」

「急にひどくないか!?」


 口にした自分でもびっくりするくらい、じんな言葉を告げた。


       ◆  ◆  ◆


 すずと帰り、自室でくつろぐ。教室での三人のやりとりを思い出して自然とほおがゆるんだ。


(そういえば……)


 ふと思い出したことがあり、トークアプリを開く。

 おり、と書かれたアカウント。アイコンはやっぱりといえばやっぱりで、マンチカンのコタローだった。きっと妹のひよりも同じようなアイコンなのだろう。

 かえではクラスメイトの女子ともまだれんらくさきこうかんしていない。なので、おりは友人の中ではごく限られた登録者ということになる。


(昨日の返信……色々と雑だったかも)


 おりのメッセージに対して、本当は『うん』と返し、あらためてお礼を言うつもりだった。しかしすずとのトークで打った『うむ』に予測へんかんされた文字をそのまま送ってしまい、それだけで会話をする気がふつりとれてしまった。なおかつおりのマンチカンのスタンプに対しても、心の中で「わいい」とほくほくしただけで何ら反応を返していない。

 申し訳ないなぁ、とは思うものの、こちらからメッセージを送ったところで話題が続く気がしない。なので放置を決め込む。今度すずに相談したほうがいいかもしれないなーなどと思いながら。

 もういちど、おりのアカウントをながめる。

 おり、という名前をじっと見つめたとき、不意にどうが高鳴った。


「……?」


 胸を押さえ、首をかしげる。胸がぽかぽかと温かい。たきぎの奥でほんのりとともった火に手をかざしているような、やわらかくて、ここくて、明日以降が楽しみになるような……そんな感覚。


「…………??」


 おりのアカウントをじっとながめ、ふたたび首をかしげるも──その感情がなんなのか、かえでにはいまいちわからなかった。

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