言い訳
「いってきます……」
「いってらっしゃい……」
出勤する準備を終えて一真は家を出ていった。そうして兄が出勤した少し後に琴美も登校の準備を終えて部屋を出、玄関の鍵を閉めて学校に向かう。
かように、二人は淡々とした様子でいつもと変わらずにいた。そうすることが二人にとっては必要だったからだ。あのどうしようもない両親の下で正気を保つには、同じことを同じように繰り返すだけのロボットのようになるしかなかった。でなければ今頃は、一真は両親を殺していたかもしれない。
それこそ、無責任な他人は、
『妹と一緒に家を出ればよかったんじゃないか?』
などと軽々しく言うだろうが、ロクに働きもしない両親をそのまま捨てていけば他人にどんな迷惑を掛けるか分かったものではないので、できなかったのだ。
『自分と妹さえ助かれば他人がどんな迷惑を被ろうと構わない』
そんな風に考えることができないのが、
けれど、一億五千万もの大金を手に入れた両親が自ら行方をくらましたのだから、さすがに、
『両親が勝手に出ていったんだから』
という言い訳が成立してしまった。
加えて、あまりにも想定外すぎる展開だったことで、理解が追いつかなかったというのもあるだろう。
いずれにせよ、一真と琴美には、これまでと同じ生活を続けるしか選択肢がなかったのである。
一真が勤めているのは、<ビスク・ドール>と呼ばれる高級な着せ替え人形を現代の技術で再現した<球体関節人形>のためのドレスブランド<SANA>を展開しているという会社だった。
従業員はわずか七人の零細企業ではあるものの、<球体関節人形>界隈では知られた存在でもあるそうだ。一真自身は別に人形にはさほど関心もなかったのだが、高校の時にそこのデザイナー兼代表者の女性と知り合った縁からアルバイトとして働くようになり、高校卒業後、そのまま社員として採用される形で就職が決まったのである。
つまり、『運が良かった』のだ。
「おはようございます」
雑居ビルの一室に構えられた<SANA>のオフィスのドアを開けて、一真は挨拶した。すると、
「おはようございます」
と返事が返ってくる。
オフィスの雰囲気は明るく、清潔で、そこにいる者達の表情も穏やかだった。三人がすでに業務を開始している。
すると、
「一真くん、今日の予定は?」
と、奥の席から声が掛けられた。短髪でスーツ姿でありながら首に幅広の黒いチョーカーをつけた、三十前くらいという印象の女性だった。
「あ、はい。今日は朝一で
彼が応えるとその女性は、
「了解。じゃあそっちは任せるから」
と告げた女性だったが、その様子にはなんとも言えない違和感が。その女性の口は一切動いていなかったのである。
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