第36話 地下監獄『奈落』

神殺しの槍(ロンギヌス)本部最下層である地下13階の更に下。空間自体が隔離された本当の最下層『奈落』。ここには法律では裁けない罪を犯した悪魔憑きたちが収容されている。




日に数分の面会ならこの隔離空間から外に出られるため隊長、副隊長格ならそこでなら会えるが、この奈落に入れる者は限られている。




上人と三原則、そして真っ当な理由で許可を申請し認められた十三槍の隊長のみだ。




そして今その『奈落』に新しく上人となったコウイチロウ・ササキが一人で訪れていた。彼の目の前の牢に繋がれているのは元十一番隊『狗神』隊長シンイチ・イチジョウである。




両手両足は悪魔祓いの鎖でグルグル巻きにされ、両眼は破邪の糸で瞼を縫い合わされている。他にも聴覚を奪うピアス、嗅覚と味覚を遮断するマスク、そして触角を消し去る拘束衣。これらの道具は聖十字協会(タナハ)が作ったものだ。だがここまで悪魔を寄せ付けないことができる聖具は一つ作るにも何人もの祓魔師が長い年月をかけて力を込めないといけない。だからかなり貴重なものである。それでもシンイチ・イチジョウを無力化するにはこれでも心許ないぐらいだ。




「はぁ、お前を拘束するための聖具を聖十字協会(タナハ)から借り受けるためにいくら使ったと思ってる?今年の神殺しの槍(ロンギヌス)の予算は底を尽きたよ。赤字も赤字だ」




「だから言った。拘束なんてしなくても俺は逃げるつもりなんて微塵もないって」




コウイチロウの皮肉にシンイチは淡々と答える。シンイチには五感の全てを封じられてもそれを補って余りある第六感がある。



「信じられるか!自分の一族を皆殺しにやつを。それに俺が信じたところで、他の連中に不満が出る」




「ならしょうがない」




「まるで他人事だな」




「そう見えるか?」




「ああ、憑き物が落ちたような感じだ。腹立たしいがな」




「そうか。確かに出来る限りのことはやり遂げたし、もうとっくに死んでる予定だったからな」




「まだ退場してもらっては困るんだよ。その為にお前を生かしたんだ」




「ラグナロクか」




「その時は解放してやる。俺の独断でな」




「いくら上人になったといってもそこまですればあなたも罰を受けるぞ?」




「世界が終わったら罰もクソもない。みんな等しくこの世から消えるんだからな」




「確かに」




「それで今のお前とフェンリルとの関係はどうなっている?」




「俺が死ねば自由にしてやれるはずだった。だが今は力を抑えられて俺の中で眠ってる。俺のフェンリルは地獄と現世を行き来する一般型でも、常時顕現型でもない。もっと特殊な常時同化型だからな」











シンイチは生まれたその時点ですでにフェンリルと同化していた。イチジョウ家最初の悪魔憑きは『フェンリル』を宿していたと言われる。その子孫たちも強力な悪魔を宿し、七家の一角としての地位を築いてきた。だが初代の他にフェンリルを宿す者は現れなかった。シンイチが生まれるまで。




フェンリルとシンイチとの間に契約の類はない。一つの生き物として混ざり合って生まれてきたのだ。




契約のようなものがあるとすればフェンリルの能力である『慈愛』の対象を選ぶ時だ。




悪魔と同化して生まれたシンイチは生まれてすぐに言葉を理解していたし、立って歩くことも出来た。そしてシンイチは自分の力を母親のために使うと誓った。




だが母親はシンイチが一歳になる前に死んでしまう。




妹を生んで力尽きたのだ。後々知ったことだが、シンイチにフェンリルが宿ったことに欲を出した父親が生まれてくる妹も強力な悪魔と同化して生まれてくるように色々な儀式を行った結果、母親はその負担に耐えられず妹を生んでそのまま息を引き取ったようだった。




生まれてすぐの妹を抱きかかえた母親の最後の言葉を聞いたのはシンイチだった。父も含めイチジョウ家の人間は誰一人そこにはいなかった。医者と看護師、そして一歳に満たない自分一人。




「シンちゃん、それにユウカ。2人が大きくなるところが見たかった。でも私には無理みたい。ああ、くやしいなぁ。もっと一緒にいたかったなぁ。シンちゃんはカッコいいからきっとモテるだろーなぁ。もしシンちゃんがガールフレンドを連れてきたら、お母さん審査しちゃうかも。友達もいっぱいできてきっとみんなの人気者だよ」




「そんなに僕は凄くないよ」




「うん、そうでなくてもいいんだ。こうやって想像するのが幸せなの。どんなシンちゃんでも私にとっては世界一愛しい男の人だよ」




「か、母さん」




生まれた時も泣かなかった男が、後にも先にもこの時だけは涙をこらえることができなかった。




「ユウカもきっと大きくなって恋をするんだなぁ。好きな男の子の話を、少し茶化しながら聞いてあげたかったなぁ。ああ、死にたくないなぁ」




母親はボロボロと涙を流しながら、シンイチとユウカの頬にキスをした。




「母さん、ユウカは僕が絶対に守って見せる。誰よりも幸せになれるように」




「ありがとう。でもユウカだけじゃダメ。シンちゃんもちゃんと幸せにならなきゃ。だから自分のこともちゃんと守って。そして大切な人をいっぱい作って。私の宝物、、、」




「おぎゃあああああ!!!」




そのまま母親は息を引き取った。それに気付いたかのようにユウカは泣きじゃくる。そしてこの瞬間『慈愛』の能力の対象は母親から妹であるユウカに移った。




それからシンイチはユウカだけを考えて生きてきた。父親とイチジョウ家には憎悪を抱えながら。




イチジョウ家などいつ皆殺しにしてもよかった。ただユウカの傍を離れるわけにもいかなかった。父親はユウカのことをイチジョウ家のための道具としか考えていなかったから。











「上人、最早言うまでもないと思うが釘を刺しておく。ラグナロクにおいて俺の力が必要なら、ユウカ・イチジョウは必ず守れ。ユウカが無事でないのなら俺は神について世界を滅ぼしたっていいんだ」




このシンイチの言葉に嘘は無かった。というより心の底からの正直な言葉だ。




「わかっている。だが猫が守ると誓ったんだろう?猫に出来ないことが俺に出来るとは思えないな」




このコウイチロウの言葉も嘘偽りのない正直なものだ。




「強さの話をしてるんじゃない。上人としてできる限りのことをやれと言ってるんだ」




「、、、わかった。それは約束しよう」




「ならいい」




そう言ってシンイチの気配が闇に溶けていく。力が封じられている故にそこまで長いこと覚醒してはいられない。再び眠りについたのだろう。




「まったく、罪人のくせに清々しい顔しちゃって。まあとにかく神と戦うためには絶対に必要な戦力。はぁ上人も楽じゃないな」




コウイチロウはそうボヤキながら『奈落』から出ていく。コウイチロウが『奈落』を出るとそこには三原則のヘイシが待っていた。




「どうだった?」




「シンイチのスタンスは聞けました。確認できたと言った方がいいかもしれませんね。変わらなかったですよ。妹であるユウカ・イチジョウが無事である限りこちらの味方です」




「そういう一つにこだわる人間は信用できる」




「俺にはよくわかりませんね。でもお願いしてもいいですか?」




「ああ、お前が今日ここに来たという事実そのものを俺が消し去ってやる」




「ありがとうございます」

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