第39話 最後の演奏会 バックハウスとリパッティ

 「最後の演奏会」と名付けられたクラッシック音楽のアルバムが、この世の中には幾つか存在する。バーンスタインがボストン交響楽団を振ったベートーベンの7番は僕も持っているし、バイオリニストのミルシテインはストックホルムでのコンサートが最後の物になって世に出回った。ホロビッツはハンブルグでのコンサートが最後の演奏会と銘打って発売されていて、グラモフォンのホロビッツ全集の1枚として収められている。

 演奏家の最期は老衰や病気、或いは思いも掛けない事故の形で訪れる。ウィリアム・カペルやジネット・ヌブーのように飛行機事故で亡くなる演奏家もいればデニス・ブレインのように、自らの車の運転事故で思い掛けない死を迎える音楽家もいる。フリッツ・ブンダーリッヒやクララ・ハスキルのように階段から転げ落ち亡くなる人さえ居るのだ。だが、それより多く、殆どの演奏家は老衰や病気で演奏活動を終える。老境を迎えた彼らは「これが」最後になるかもしれない、と常々思いながら演奏をしているのだろう。

 そのようにしてそれぞれが「最後の演奏会」を必ず持っているはずであるが、ここに挙げたバックハウスとリパッティというたぐまれな二人のピアニストの録音がわざわざ「最後の演奏会」と銘打って発売され、今なお人々の印象に残っているのにはそれなりの訳がある、そう思った。

 それはこの二人のピアニストの死に様、というか生き様というか・・・演奏家としての矜持きょうじが強くレコードの溝、ないしはCDのピットに刻み込まれているからだ。この2つのアルバムに刻まれた「最後の音」はたぶん、演者にもこの世に贈る「最期の音」だと分かっていた、そんな演奏なのだ。


 バックハウス。このピアニストについては「ピアニストに恋をして」という別のエッセイの第15話に書いていて、そこにGottfried Krausが書いたライナーノーツの一部を引用したのだが、"I've recently been reflecting that my life would have been passed completely differently if Beethoven had only written 16 piano sonatas..."(最近つくづく思うのだけど、もしベートーベンがソナタを16番までしか作曲しなかったとしたら、私の人生はずいぶんと違ったものになったのではないかとね)とバックハウスが著者に語るくだりがある。バックハウスにとってベートーベンの中期以降のソナタ群がいかに大切なものだったかを表すコメントだが、彼の最後のコンサートで21番(26日)と18番(28日)の二曲が弾かれているのはまさにその証でもあろう。

 この演奏が成されたオシアッハ湖というのは、ザルツブルクから南東約100キロ、クロアチアとの国境近くにある湖で、そこにある修道院教会でのコンサートである(ケルンテンの夏の音楽祭)。さほど大きな教会では無いことは演奏終わりの拍手の音量で察することが出来よう。

 CDにはそこでの二日分のコンサートの模様が収められている。一つは1969年6月26日のもの、もう一つはその二日後のもので、この28日の演奏が彼の最後の演奏となった。

 26日のワルトシュタインはベートーベンのソナタ全曲を録音した壮年の頃のリズムを彷彿とさせるものである。壮年と言ってもスタジオ録音をしたのは1958年だから11年前、その時バックハウスは既に74歳になっていたがその演奏を聴く限り壮年と称しても違和感はない。ただ、第1楽章はずいぶんとゆっくりになって、時折指が回っていない。それでも第2楽章に進むにつれ次第に調子は戻って来たようで、途中のロンドの部分などは趣のあるしっとりとした仕上がりで、音を鳴らし過ぎずることもなく、さすが巨匠と思わせる。とはいえ、総じてこの日のベートーベンはあまり調子が良いとは思わない。

 ベートーベンの演奏の最後となった18番はゆっくりと、静かに始まる。だが前々日の21番より指は軽快に回っている。何百回、いや何千回と無く弾いてきたのであろう、と思わせる説得力の高いリズムが刻まれていく。時折置かれる微妙な間合いはスタジオ録音とは違う味を醸し出す。その間合いもあってか、1楽章はスタジオ録音よりも若干(30秒ほど)長いが、更に軽快な2楽章は6年前とほぼ同じ時間で弾ききっている。

 だが、紡ぎ出されていた音の糸車は第3楽章のメヌエットで突如、途切れる。心臓発作を起こし退席したのだ。敬愛していたベートーベンの曲を最後まで弾ききれなかったことはさぞかし無念だっただろう。それでも、建て直してシューマンとシューベルトの小品を三曲演奏したというのは驚異的である。

 おそらくピアニストが再び姿を現したからであろう。客席から拍手がおこるが、司会者がベートーベンは中断しシューマンとシューベルトを弾く旨の説明をしているのが聞こえてくる。そしてピアノは再び主を得て音を紡ぎ始める。その、音・・・。直前に発作を起こしたとは思えぬほど、シューマンの曲は正確なリズムで刻まれていく。僅か5分足らずの「夕べに」を弾き終えたときに意図せず起きた観客からの拍手を制するようにして「何故に?」が弾き続けられていく。

 そして、取り分け、最後に弾かれたシューベルトの即興曲。この曲は様々な名演に恵まれた名曲であり、2日前にもバックハウス自身が演奏した曲でもあるが、最後に演奏した僅か5分足らずの演奏がこれほど素晴らしく感動的だとは知らずにいた。この2つの演奏会の全てが名演と言うつもりは無い。だが、この最後のシューベルト・・・どこか、その曲の幾つかに「死」を予感させるシューベルトではあるが、バックハウスのまさに「白鳥の歌」となったのが彼の曲だとは知らなかった。何という美しい別れであろうか?

 この演奏だけでもこのアルバムは聴く価値がある。


 ディヌ リパッティについても同じく「ピアニストに恋をして」で触れている。その時のリパッティについてはEMIから出された全集が僕の所有していた演奏の全てで残念ながらブザンソンで開かれた「最後の演奏会」はその全集には含まれていなかった。改めて手に入れたHIS LAST RECITALに含まれていたのはバッハ、モーツァルト、シューベルトとショパンである。夭折した彼が念願のベートーベンのワルトシュタインを演奏する事無く、この世を去り、その19年後、85歳のバックハウスが世を去る前にその曲を演奏した、というのは何かの縁なのかもしれない。そういえば・・・どちらにも曲の選択は異なるものの、モーツアルトのソナタとシューベルトのアンプロンプテュが含まれているのも単なる偶然とは思えない。

 リパッティがこの演奏会を行ったのは33歳、医師から強く止められていたにも拘わらず、ブザンソンに赴いた彼はこれが彼にとっての最後の演奏会となることを強く意識していたのだ。医師に中止を求められるほど病状が悪化していたことを思いつつ、この録音を聴いてみたまえ。あなたは驚くに違いない。一つ一つの音の籠められた力強さに。それは今、まさに死のうとしている人の出す音ではない。生きようとする者の強い意志が出す音色である。

 例えばショパンのワルツ。ブザンソンの5ヶ月前に彼はスタジオ録音を行っているが、それと比べてみるが良い。このあスタジオ録音した時は病状は少し寛解していた筈である。確かに音は明快で鋭い。だが、力強さはブザンソンの録音の方にある。5番の「大円舞曲」6番の「子犬のワルツ」。どちらも僅かにブザンソンの方が短い。その短さは勢いによるものだ。

 だが、次の「別れのワルツ」以降は、反復部分を飛ばしていくために遙かに短くなっていく。最後まで弾ききれるのかと自問自答したのかもしれない。リパッティがショパンのワルツを弾くときに独自の順列で弾いたことは有名だが、スタジオ録音では14曲弾いたワルツをブザンソンでは13曲しか弾かなかった。順番も少し入れ替えて、先頭バッターもスタジオ録音ではop34.3、ブザンソンではop.42となっている。省かれたのはop.34-1、それを省いたことによって不吉な13という数字にあえてしたのだろうか?本来ならop.34-1は最後に弾かれるべき曲であったのだが、それを弾ききる力が残っていなかったのだろうか。いや・・・この曲が掉尾を飾ることは初めから分かっていた。弾き終えたときの観客からの拍手の速さが物語っている

 彼がその13のワルツの最後に選んだのは「華麗なる大円舞曲」として知られるop.18・・・そしてその1曲だけがスタジオ録音より演奏時間が長いのだ。その5分、命を削るピアニストが最後に弾いた曲は彼の短い、しかし華麗なピアニストとしての人生の最期を飾るに相応しい演奏である。


 この全くスタイルが異なる二人の偉大なピアニストは、それぞれ最後の演奏会で煌めくような人生における最後の音をのみで削りだしていった。その魂の音が、最後の演奏会に、そしてとりわけ最後の曲に確かに籠められている。だからこそ、受け継がれていくべき演奏なのだ。

 心して聞き給え。



*ヴィルヘルム・バックハウス/最後の演奏会

ルートヴィヒ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第21番 ≪ワルトシュタイン≫  ハ長調 作品53

フランツ・シューベルト 楽興の時 D.780(作品94)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調  

   K.331(K300.i)≪トルコ行進曲付き≫

フランツ・シューベルト 即興曲 変イ長調 D.935-2(作品142の2)

ルートヴィヒ・ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第18番 変ホ長調 作品31-3より

   (第4楽章を除く)

ロベルト・シューマン 幻想小曲集 作品12から

   第1曲:夕べに 第2曲:何故に?

フランツ・シューベルト 即興曲 変イ長調 D.935-2(作品142の2)

 DECCA UCCD-9185/6 458 450-2


*DINU LIPATTI HIS LAST RECITAL BESAÇON FESTIVAL

J.S バッハ パルティータ 第1番 変ロ長調 BMW825

モーツァルト ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調K.310

シューベルト 即興曲 第3番 変ト長調 D899-3

       即興曲 第2番 変ホ長調 D899-2

ショパン 13のワルツ

 第5番 変イ長調 作品42「大円舞曲」

 第6番 変ニ長調 作品64-1「子犬のワルツ」

 第9番 変イ長調 作品69-1「別れのワルツ」

 第7番 嬰ハ短調 作品64-2

 第11番 変ト長調 作品70-1

 第10番 ロ短調 作品69-2

 第14番 ホ短調 遺作

 第3番 イ短調 作品34-2「華麗なる円舞曲」

 第4番 ヘ長調 作品34-3「華麗なる円舞曲」

 第12番 ヘ短調 作品70-2

 第13番 変ニ長調 作品70-3

 第8番 変イ長調 作品64-3

 第1番 変ホ長調 作品18「華麗なる大円舞曲」

WARNER CLASSICS ERATO WPCS-23073

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