ヴォイドカウント

所長

第1話 獣と天使と

ウー.......ウー.........


「確認急いで!」「死傷者多数、白帯隊員は救助優先!」「崩壊の恐れがありますので離れて下さい!」


チカチカと鬱陶しい警光灯と耳障りなサイレンの音が頭の中で響き続ける。ふと、横を向けばさっきまで一緒にバカ話して盛り上がっていた親友が腹から臓物をぶちまけて、冷たく、静かに眠っていた。

............これは雨のせいだ。日が暮れるに連れてただでさえ寒いというのに、さっきから雨が降って余計に体温を持ってかれる。だからコイツも冷たいんだ。そうだろ?だから起きてくれ。起きて、起きろ。そうじゃないと_____


「なんの為に............」


絶望と失意の波に翻弄されるオレの身体はどさりと膝から崩れ落ち、それから立ち上がる事は無かった。


神皇暦58年8月8日、ストライア王国首都ガレオン、中央都市レンブラント。

大型天獣用護送車レッドタートルの施錠不備により天獣ガストシルバードッグが脱走、周囲の民間人を体裁構わず喰らい尽くした戦慄の事件。

遺体は全て胴体、四肢、頭部のいずれかが激しく損傷し、現場は血液や内臓が飛散する地獄絵図と化した。シルバードッグはその後、EPB直属天獣対策部隊『代行士』により沈静化された。


『犬喰事件』

死傷者32名、行方不明者1名、生存者1名。EPBは唯一の生存者であるカンバラ・アラタを重要参考人として扱い詳しい捜査が進められた。




      * 




「アラタさ、なんでコウジの飲みモン買ってんだよ」

「.........え?」


自販機で二つの缶ジュースを買っていた鉄紺の髪を生やした男、カンバラ・アラタはタクヤの質問にすぐに答えることは出来なかった。

タクヤはオレが小さい時から一緒にいる、所謂幼馴染だ。茶色の短髪とがっしりとした身体が特徴で、気が強くて運動できてオレ以外の友達も多い。勉強の方はそう上手くいってないようだが、そんなのは重要じゃない。


「無理矢理買わされてんだろ?」


陽光に照らされて輝くタクヤの瞳は薄っすらとオレの間抜け面を映し出す。そんな自分の顔を見るのがイヤで、タクヤから顔を逸らした。


「別に、買わなかったらハブられるだけだし.....なら従った方いい」


我ながら下手くそな嘘には虫唾が走る。そう、オレはクラスの王であるコウジに何かされるのが怖いだけだ。それに繋がりが多い奴ほど嫌がらせの選択肢は豊富に、構造は複雑に、効果は絶大になる。であれば缶ジュース一本で立場を脅かされないと考えれば安いものだろう。


「それに、此処は清廉なるストライア王国だぞ。24時間365日監視機カメラがオレ達、いや全国民を見てる。ヘタな行動取れば、搭載されてる麻痺光線スタンレーザーがすぐに作動して、もれなく晒しモンだ。コウジも明確な暴力行為はしないと思う」

「ったく、いつ見ても鬱陶しいな。アレが平和の象徴だと思うとゾッとするぜ」


コンクリート製の円柱に設置された2台の内1つが不快な表情のタクヤの姿を確実に捉えていた。睨み合う監視機の冷酷で容赦のない視線とタクヤの醜悪で焼印を入れんばかりの熱い視線が交差する。


「やめとけよ。向こうに怪しまれたらどうする」

「逆にEPB最新鋭がわざわざ俺を捕まえてくるって思えば光栄だぜ」


捕縛型防犯装置電霆デンテイ。EPB本部から送信された情報を元に対象を割り出し、たとえ群衆の中であっても自動照準による的確な狙撃が相手を撃ち抜き一時的な運動麻痺を引き起こすEPB技術開発部門が独自に開発した犯罪対策装置。これにより犯罪件数、犯罪者数共に例年の85%減少を記録。現在ストライア王国は世界一平和な国として世間に認識されている。


「治安維持も管理する者の義務だからな......お前は早く『する側』になれよ」

「あ、おい!」


オレは両手に缶ジュースを持ちその場を立ち去った。


世界には神が降り立った5つの聖地が存在する。80年前、それらの保護を目的に創設されたのが聖地管理局(Eden Protection Bureau)EPBだ。神の領域である聖地には人間でさえ足を踏み入れてはならない。故に現在まで人類の大半が聖地の景観すら拝むことは許されなかった。それは聖地の守護を目的とするEPB局員ですらこの鉄の掟には逆らうことは出来ない。


だが、それには例外があった。


天使ノ子ウツシゴ

その名の如く、天使の力をその身に宿した超人種。聖地の侵入が可能なウツシゴの身元は世間から特別視され、すぐに聖地管理局の管理下に置かれるようになった。


ベージュ色の御影石とガラスを基調とした本館に敷地内に植えられた街路樹が太陽の光に照らされ、雄大な景観が保たれている。此処は聖地管理局がウツシゴの為だけに用意したストライア王国国立能力育成高等学校『燕の巣』。

オレ達はこの場所で日々の生活を送っていた。


   *


「コウジ」


ガラガラと五月蝿いスライド式ドアの音とアラタの呼び声が教室に響いた。

だが室内に居座る生徒は誰も彼のいる方向へ向うとはしない。


「...............?」


肌で感じとる不信感にアラタは動揺が隠せない。自販機から教室まで往復するまで5分も掛からないこの時間に一体何があったというのか。


「なあ、コウジは?」

「.........」


一番近くのクラスメートに声をかける。またもや返事はない。それどころかアラタ自体を拒むような反応だった。

未だ状況を理解できていないアラタは男子を振り向かせようと肩を掴む。


「なぁ」

「...........めろ」

「は?だからどうしたんだって__」

「やめろ....!」

「___っ!」


怒鳴られ、振り解かれる。

そいつはしまったと言わんばかりに表情を曇らせた。そこから感じたのは苛つきと脅えの感情。前者はオレに対してだが、後者はおそらく___


教室の中は依然、男女の明るく活気な会話が四方八方から聞こえて来る。アラタ一人を除いて。


(なんだ?....なんで無視するんだ?)


「お疲れさま!アラタ」

「ああ.......................コウジ......」


いつも教室のど真ん中で聴く声の主人がアラタの肩に腕を乗せる。

服越しに伝わる奴の感触。そう思うとアラタの体は本人の意思に関係なく身震いを始めた。恐怖によるものか、嫌悪からか、何方にしろ自分の身体は遺伝子レベルでコイツを受け付けないらしい。

白色に染まる金髪、エメラルドグリーンに染まる宝石のような瞳、墨色の生地で編まれた候補生制服。キハラ・コウジはアラタのクラスに君臨する絶対的な王。


「そう震えないでよ。あ、飲み物の調達ご苦労様。何買ってきたのかな.......って炭酸じゃん。僕炭酸飲めないんだよね」

「.......好みが分からなかったからな。残念だがコウジの分はもう無い......諦めてくれ」


怖い、それが本音だ。だが、アラタは追ってきたタクヤを振り切って来た為に、下手に外に出ればしつこく嗅ぎ回られてしまう。タクヤは周りからも世話焼きバカと言われる善人である。それにアラタは幼い頃から過ごしてきた幼馴染。タクヤのことは隅々まで知り尽くしているつもりだ。


(アイツに見られれば絶対介入してくる.....どうか....それだけは避けないと....)


「頼む、コウジ」

「....................」


目を合わせなくとも伝わる怪訝な眼差し。薄ら笑いを浮かべるコウジだが、その内心は穏やかではないのは確かだ。


「..........はぁ...分かったよ。今回はこれくらいで勘弁してあげる」

「...すまなっ__________@%%*$!*bd#x!?___!!!」


コウジがアラタの肌に触れた瞬間、直撃雷を受けたような激痛がアラタの体を乱暴に駆け巡る。

保っていた正常な意識が手放され、朦朧とする視界。苦痛に耐えながら唯一認識できたのは自分が落とした缶ジュースだった。筋繊維を一本でも動かせば忽ち内側から漏れ出す見えない雷撃に苛まれ、激痛によるストレスが脳と健康的な肉体に深刻なダメージを乗せる。だが、アラタの体に外傷と思われる部分は一切確認できなかった。となれば、デンテイの作動も期待はできない。

教室全体に谺する唸り声を聞いた周囲に居座る一部の生徒は涙を浮かばせながら耳を塞ぎ顔を背けた。


「が......!くっ.....うぅ...!!なんで...!?....!まさか....お前、もう...!」


苦い顔で涎を垂らしながらもアラタはコウジの返答を聞かなければならなかった。しゃがみ込みながら低い視線で教室中を隈なく視界に映してゆく。しかしアラタが探していたものは見つからない。


「ヨルタは.......何処だ....!」


アラタやコウジと同じクラスの生徒、一年E組オトノ・ヨルタ。

彼の姿が見当たらなかった。


「コウジ......オレが居ない間、何をした」

「........フフッ」


アラタの問いかけにコウジは嘲笑で返す。


「何がおかしい....!」


ヨルタはコウジやタクヤと違い、無口で背の低い、それでいて友達と呼べる奴があまり居ない、要するに人見知りだった。

入学当初から教室の隅で本ばかり読み、他の生徒と話すところを見るのは、一日に一回あるかどうかも怪しかった。アラタですらヨルタと話したのは四ヶ月の間に三回程だろう。

その内気な性格が災いし、コウジが目を付けた。遊びという名の暴力、殴る蹴るなどは日常茶飯事。ヨルタの身体は日に日に痛々しい傷跡が増えていった。


そして、今。


ヨルタの姿は、何処にもない。


「心底不思議だ」

「あ?」

「なんで君のような気持ちわるい存在が、ワザワザあんな劣等種庇うのか。何度も何度も止めに来てた。『やめろ』『もういいだろ』『これ以上するな』.......なんて何様だよ」


ハァ、と溜息を吐き天井をを仰ぐコウジの眼は予想よりも苛立ちや憤りの様な感情が見えなかった。

眉一つ動かないコウジの双眸から見えたのは呆れの感情。


「アラタってさぁ、ヨルタ君の何なの?」

「クラスメイトだ......!」

「...................本当に、気持ちわるいね」


ここで初めてコウジの表情が曇った。


「悪いけど、ヨルタ君の居場所は知らないよ。僕もさっき戻ってきたばかりだしね」

「本当.....か...?」

「本当さ。現に君が戻ってすぐに僕も入ったしね。もしかしたら案外すぐそこに居るかもよ?」


「クソッ...!」


それを聞いたアラタは直ぐに身体を起こし、教室を出る。身体中に駆け巡る激痛が未だにアラタを蝕んだ。しかし、手足を無理矢理振り上げ、必死に走り、廊下を駆け回る。


「................さてと」


アラタの居ない一年E組は静寂に包まれ、曲線を描く巨大な三列の生徒用机と教卓の間に広がる空間にコウジは再度、天井を仰ぐ。


「案外近くにいる、僕は言ったよ。アラタ」



能力育成高等学校『燕の巣』

その本館はEPBの協力と莫大な資金を所持するストライア王国が相まった事で高さ60mを誇る王国内でも生粋の大型建造施設となっている。最上階は屋上となっており、一般に生徒は立ち入り禁止となっている事から安全設備として置かれるのは鉄柵のみ。しかし、途端に落下してしまえば即死は免れない。


(それに、一番楽なのは飛び降りらしいし...)


「キミは、どこまでイケる?アラタ」


その一瞬、窓から人影が落りた。


「ハハッ!」

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